【第3話】スキルを持たない少年
それから、さらに数年が過ぎ6歳の誕生日を迎えた。身体は成長し、家の中にある本は、すべて読み終えていた。読み返す必要もない。内容は、もう頭に入っている。だが、知識だけでは意味がない。まずは身体をある程度、元の傭兵時代まで近づけなければいけない。
『家の周囲では、人の目があるな。毎日続けるなら、誰にも邪魔されない場所がいい』
とはいえ、黙って毎朝出かければ不審に思われるだろう。朝食のあと、俺はノアのそばへ向かった。
「村のはずれにある森に行ってもいい?」
ノアは手を止め、少し驚いたように俺を見た。
「一人で?」
「うん。近くまで」
ノアは、しばらく考え頷いた。
「遠くに行きすぎちゃダメよ?暗くなる前に帰ってくること!」
俺が頷くと、ノアは安心したように微笑み、そっと頭を撫でた。
『よし、許可は下りた。これで毎朝森に出ても不自然ではないな。』
その日の朝、俺は家を出ると、そのまま村の外へ足を向けた。人の気配が遠ざかるにつれ、周囲の音が変わっていく。風が木々を揺らす音。鳥の鳴き声。足元の土を踏みしめる感触。森の奥へ、さらに進んだ。
しばらく歩いたところで、木々の間が開けた。そこには、小さな泉があった。
水は澄み、底の石まで見える。周囲は木々に囲まれているが、完全に閉ざされているわけではない。数か所、視線の抜ける方向がある。
身を隠せる場所がある。視界も確保できる。人の気配はない。
耳を澄ます。風が葉を揺らす音。鳥の鳴き声。
『よし、侵入経路は限られる。逃げ道もある。――問題ない…。』
その日から、俺は毎朝ここへ通うようになった。誰にも邪魔されない。俺だけの場所だな。
まずは基礎からだ。走るだけじゃ足りない。この体は前の体に比べると細すぎる。筋力も持久力もまるで足りてない。
足場の上で、ゆっくりと体を沈める。腕に体重をかける。一度。もう一度。
すぐに腕が震えた。体を支えるだけで、力が抜けていく。腹に力を入れたまま姿勢を保つ。数秒も持たず、体が崩れた。
息が荒い。指先に力が入らない。
『……弱いな』
それでも、やめなかった。次の日も。その次の日も。同じ場所で、同じことを繰り返した。腕が震えなくなるまで。呼吸が乱れなくなるまで。体が思い通りに動くようになるまで。
数日。
数週間。
やがて、四季が1周し、歳が変わる頃には――足場の上で体が揺れることはなくなっていた。踏み込んでも、力が逃げない。水際の狭い場所でも、バランスを崩さない。
リオルはゆっくりと目を閉じた。いつも近接戦闘で構える型を構えた。相手を想像し、2秒間で7発の打撃を終わらせた。それでも、傭兵時代の感覚とは程遠い。
『……まだ足りないな』
その時だった。
「ねぇ…」
すぐ後ろから声がした。反射的に振り返る。水のほとりに、少女が立っていた。
銀色の長髪。小柄な体。年齢は、俺と変わらないように見える。
――いつから、そこにいた。
足音は聞いていない。気配もなかった。こんな至近距離まで近づかれて、気づかなかった。
『あり得ないだろ…』
だが、もう一つ。立ち方に隙がなさすぎる。子供のそれじゃない。
少女は、しばらく俺を見ていた。そして少しだけ首をかしげる。
「6歳でそんな動きをするものなの?」
普通はこんなことを6歳でやらないらしい。
「君、名前は?」
突然の問いに、少しだけ間が空いた。敵意は感じない。だが、油断できる相手でもない。
「リオル」
短く答える。
「私は――」
言いかけて、
「まあ、名前はあとでいいか」
そう言うと、俺に向かって数歩あるいて近づいてくる。だが、やはり波音が聞こえない。
『特殊な技術か。それともスキルか。どちらにせよ、普通じゃない。』
少女は足場の近くまで来ると、俺の動きをじっと見た。
「もう一回やってみて」
ただ、確認するような言い方だった。俺は少しだけ考え、もう一度構える。さっき打った7発より1発多く瞬時に8発の打撃を行った。
「……なるほど」
少女は小さく呟き笑った。そして、次の瞬間。
少女の姿が、消えた。
『――!』
気配を探り、視線を走らせる。背後にかすかに息遣いを感じ振り向く。そこには、少女が立っていた。さっきまでいた場所から、足音も、気配もなく。
「今の、見えた?」
心臓が一瞬だけ強く打つ。
『転移系か……? いや、違う。』
「……見えなかった」
正直に答える。少女は、少しだけ嬉しそうに笑った。
「そっか」
それから、真っ直ぐ俺を見る。青い綺麗な瞳。厳密に言うとただの青じゃない。光の当たり方で色がわずかに違って見える。深い蒼に見えたかと思えば、次の瞬間には淡い青色になる。まるで、水面に映った空をそのまま閉じ込めたような色だった。
「リオル、君、さっきの打撃より1発多く動いたでしょ?」
頷く。
「だよね」
少女は、少し楽しそうな声で言った。
「スキル持ってないのに、そこまで動ける人間、初めて見た」
数秒間の沈黙が続いた。 そして。
「ねえ、リオル」
その声は、さっきまでより少しだけ柔らかかった。
「私が、スキルを継承させてあげようか?代わりに君のその動き、教えてよ」
少女はゆっくりと俺の手を取り、綺麗な瞳でまっすぐ俺を見つめてきた。




