04
「つまり君たちは――予算もなく、役者もおらず、準備も整っていない映画を撮ろうとしてるの?」
その声が背後から聞こえたとき、俺は思わず手を止めた。
張りつめた空気をまっすぐ切り裂くような、鋭く、無駄のない口調。
音の高さも低くも高くもなく、抑揚に乏しいその声は、どこか冷たく感じられた。
ゆっくりと振り返ると、図書館の石階段の手前に、一人の女子が立っていた。
艶のない黒髪を短く切り揃えた、知的な雰囲気の少女。
端正な顔立ちに、整ったラインの眼鏡をかけ、肩にはパリッとしたジャケットを羽織っている。
表情は乏しく、視線も感情が読めない。けれど、その無機質な佇まいには、何故か人を刺すような鋭さがあった。
俺は少し間を置いてから、慌てて笑みを作りながら答える。
「えっと……いえ、それはちょっと違います。たしかに今は人数が少ないんですけど、過去には短編映画も何本か作ってますし……今回は、その延長で長編に挑戦しようと考えてて……」
喉が少し渇く。言葉が口から出るたびに、妙にぎこちなくなるのが自分でも分かる。
その間も、彼女はじっと俺を見つめていた。
まばたき一つせず、ただ沈黙の中に佇むその姿に、なぜか胸のあたりがそわそわする。
「『今回は』って言い方……つまり、以前にも何か撮ってたんだ。」
ようやく、彼女は首を少し傾けながら言った。
「でも……去年、映畫制作部は活動停止になったはず。そう記憶してるけど。」
「っ……!」
その言葉に、俺の動きが止まる。
まさか、こいつ……本当に、この部のことを知ってるのか?
表面上は平然を装いながらも、内心では動揺していた。
こんな何でもない顔して、こっちは過去の痛いところをいきなり突かれてるんだぞ。
彼女は俺の反応には一切触れず、胸に抱えた本に視線を落とした。
風が吹き抜け、スカートの裾がわずかに揺れた。
一拍置いて、彼女はまた口を開いた。
「それで、その『長編』のテーマは?」
またも、鋭くて容赦のない質問。
俺は一瞬、何をどう答えようか迷ったが、とにかく正直に言うしかなかった。
「まだ最終的には決まってないんですけど……
実は、参考映像みたいな感じで何シーンかテスト撮影はしてます。」
彼女は僅かに眉を動かした……ような気がした。
だが、それも確信が持てないほど表情が読みにくい。
「脚本は、完成してるの?」
淡々と、次の質問。
どこまでもストレートに、核心を突いてくる。
「今、うちの脚本担当が鋭意執筆中です。完成までもう少し、ってところで……」
自分の声が、自分の耳にまで不安げに聞こえた。
まるで就活の面接を受けているみたいな気分だった。
彼女は少しだけ沈黙したあと、ふっと目線をこちらに戻す。
「あなたたちの映画制作部……興味があるとしたら、私は何をすればいいの?」
「えっ……あ、うん……そうだな。やりたいことがあれば、それに合わせて……」
言葉がうまくまとまらない。こんなに落ち着いて話す相手、逆に苦手だ。
「演技でも、脚本でも、美術でも。人手が足りてないから、正直何でも助かる。」
「演じるのは向いてないし、脚本や美術も別に得意じゃない。」
その一言一言が、無駄な装飾なしに胸に刺さってくる。
だが、俺はあきらめなかった。
「じゃあ、とりあえず一度、見学だけでもしてみない?
部室に来てもらえれば、雰囲気も分かると思うし。」
今は、興味の度合いなんてどうでもいい。
大事なのは、「関わってみようかな」と思ってもらうこと。
彼女は一瞬考える素振りを見せたあと、小さく頷いた。
「……じゃあ、連絡先を交換しよう。行くかどうかは考えてみる。」
その言葉だけで、少しだけ希望が見えた気がした。
本当は名前も聞きたいところだったが、さすがに初対面でそれはちょっと警戒されるかもしれない。
俺は自分のスマホを差し出した。
彼女は無言でそれを受け取り、静かに操作し始める。
「説明を最後まで聞いてくれて、ありがとう。ぜひ一度、遊びに来てください。」
「……考えておく。」
彼女はそれだけ言って、図書館の奥へとゆっくり歩いていった。
振り返ることもなく、消えていくその背中を、俺はしばらく見つめていた。
……一応、声はかけられた。
でも、来てくれるかどうかなんて、まったく分からない。
「……あのクールな子が、映畫制作部に来るなんて……本当にあるか?」
思わず、ひとりごとのように呟く。
「ここで会えるなんて偶然ね、湊君。……今の話を聞いてる限り、勧誘成功ってこと?」
突然後ろから声がして、俺は肩を跳ね上げた。
「わっ……あ、篠宮か。」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。で、どう? うまくいった?」
「うーん、まあ……『考えてみる』って言ってくれたから、それだけでも十分でしょ。」
視線を彼女に移すと、まださっきの短いスカートのままだった。
結局、あのまま着替えに戻らなかったのか。
……でも、意外と似合ってる。落ち着いた彼女の雰囲気とは不思議とマッチしていた。
もちろん、そんなことは口が裂けても言えないけど。
「そういえば、さっきの子……名前、聞いた?」
「いや、聞いてない。なんか、聞いたら警戒されそうで……」
「でも――」
「大丈夫。連絡先は交換してある。」
俺はスマホを彼女に見せる。
画面には、連絡先の名前が表示されていた。
【神戸 真知子】
「ほら、名前はここに書いてある。」
「うん、そうね。……でも、ちょっと見て。ここ。」
篠宮は画面のある部分を指差した。