02
俺は篠宮の指差す先を追うように視線を向けた。
机の脚と脚の隙間。
古い入部申込用紙と散らばったDVDの山の中に、ひときわ目立たない劇本が半分埋もれていた。
紙の端はくるんと丸まり、まるで長いこと忘れ去られていたかのようだ。
しゃがみ込んで、それをゆっくりと引き抜く。
表紙には手書きのタイトル。
紙はうっすらと黄ばんでいたが、それでもすぐにわかった。
これは、例の未完の映画の脚本だ。
「これ、誰が書いたのか知ってる?」
俺が問いかけると、篠宮は迷いなく答えた。
「引退した映画監督から譲り受けたって話だったよね?
たしか湊くん、脚本を変えるかどうかで前の部長とずいぶん揉めてたじゃない。」
「……あのとき、俺があんなに頑なにならなければ……今、こんなことにはなってなかったかもな。」
自嘲気味にそう呟くと、篠宮は穏やかに、でもきっぱりと言った。
「どうあれ、過去の失敗は取り戻せないよ。」
――だからこそ、やり直さなきゃいけないんだよな。
掃除を終えたあと、俺たちはソファに並んで座り、しばらく休憩してから勧誘について話し合い始めた。
「まずは第一歩として、企画書を作ろう。時間がない。新歓説明会までに準備しなきゃ。」
「企画って言っても……ただの勧誘用チラシなら、もう作ってあるよ。」
そう言って、篠宮は持ってきた資料の束を指差した。
――ほんと、この人は抜かりない。
「でもさ、どんな映画を撮るのか、事前に決めておかないと。
興味持ってくれた人に何も説明できないじゃん。」
「うーん……じゃあ、前の映画の続きを撮るってのはどう?」
「でもさ、その映画の脚本を巡って、俺が前の部長と揉めた結果が、今のこの惨状なんだよ?」
「だから言ってるじゃん。もう過去は過去。
湊くんだって、本当はあの映画、ちゃんと完成させたかったんでしょ?」
……そうだ。俺は、あの脚本じゃ納得できなかった。
もっと良いものが撮れると思った。だから、変えたかった。
でも――その結果、仲間はみんな去っていった。
「新しいものを作るとなると、脚本も分けて一から考えなきゃだよ?
絵コンテだって、全部描き直し。」
確かに……前の脚本を活かせば、作業はだいぶ楽になる。
「だけど……」
正直、まだ脚本の内容をちゃんと思い出せない。
それほど、俺の中で“トラウマ”になっている。
――俺がサークルを壊した張本人なんだ。
「大丈夫。
脚本の後半部分、湊くんが“変えたい”って言ってた部分なら、私が書いてみるよ。
……忘れてないでしょ? 私、もともと脚本担当だったんだから。」
そうだ。
篠宮 澪依。文才に長けていて、実力もあった。
過去に制作した短編映画の脚本は、全部彼女の手によるものだった。
「……とはいえ、私は文学部じゃなくて教育学部だから。
過度な期待はナシってことでね?」
彼女は少しだけ上体を傾けて、俺に微笑みかけた。
その笑顔があまりに綺麗で――思わず、口をついて出てしまった。
「……綺麗だな……」
思わず、声に出してしまった。ほんとに無意識だった。
彼女はそれを聞いたのか聞いてないのか、口元をさらに緩めると、さらに身を低くして俺に近づいてくる。
あっ、だめだ、こっちは無理だわ。
「じゃ、あとで“修正したい部分の方向性”を送るよ。」
俺は慌てて前を向き直り、羞恥で熱くなった顔を隠すようにテーブルを見つめた。
彼女も体勢を戻し、まるで何事もなかったかのように話を続ける。
「じゃあ、他の勧誘関係は湊くんに任せるね、部長さん?」
「……部長、ねぇ。」
俺が……部長か。ほんとに、俺でいいのか?
でも――俺は確かに、この“サークルを立て直す”って提案を引き受けたんだ。
そして、勧誘チラシはもうできている。
やるしかないだろ、もう。
「うん、じゃあ今日はここまでにしよっか。
私、そろそろ履修登録の準備もしないと。」
彼女は机の上の資料をまとめながら、帰る準備を始めた。
「俺もそろそろ、実際に勧誘に動かないとな。」
俺も立ち上がり、ついでにテーブルの上にあった急須を手に取る。
せっかく篠宮が淹れてくれたお茶だし、
せめて茶器くらいは自分で洗って返すべきだろ。
そう思って流し台へ向かおうとすると――
「大丈夫、洗うのは私がやるよ。」
彼女はそう言って、俺が急須を持っていた手首を、ふいに掴んできた。
その瞬間――
「あっ……!」
俺の手が滑り、急須が前に傾く。
そして、案の定――残っていたお茶が、全部こぼれた。
急須は無事だったけど、問題は……こぼれた中身だ。