聖騎士
ズシン、ズシンという重い音が渓谷に響き渡る。霧が出るような朝の時間帯、森に囲まれた渓谷の底に、巨大な存在が闊歩していた。
見た目は赤い鱗を持つトカゲのような生物――だが、その大きさはあらゆる動物を凌駕し、獅子はおろか象でさえも一飲みしてしまうほど大きな口を持つほどの巨体――異形とも呼べる存在。
人間はこうした存在を『魔物』と呼び、人類の敵として戦ってきた。世界全体における六割が魔物の領域であり、人間達はそうした存在を倒し、少しずつ支配領域を広げてきた。
渓谷内を我が物顔で歩くトカゲのような魔物も、人の手が及ばない領域にいる存在――だが、この日は違っていた。
「エリアスさん、いました!」
渓谷内に男の声が響いた。その姿は白銀の甲冑に身を包んだ、騎士。とはいえ森の中であるため騎乗はしておらず、剣を右手に渓谷にいる魔物を見据える。
「わかった――戦闘態勢に移行するぞ!」
そして騎士の言葉に応じたのも男性――同様に白銀の甲冑姿だが、その声音は巨大な魔物を見ても怖じ気づくことなく、むしろ狩りの対象を発見したかのように嬉々としたものだった。
着込む鎧は多数の傷が見られ、右手に持つ剣もまた年季が入っている――歴戦の騎士。そう形容される男は、黒い髪とどこか野性的な目を持ち発見した魔物を見据えた。
「図体は大きいが、頭上から攻撃すれば対処は可能だ。問題は、死傷者を出さないためには一撃で仕留めたい……相当な威力の攻撃を叩き込まないといけないことだが」
男――エリアスと呼ばれた騎士は、呟きながらも頭の中にプランがあるのか、口の端に笑みを浮かべた。
エリアスが魔物を見据える間に、周囲の森にいた騎士達が展開する。渓谷の上で彼らは魔物の動向を窺いながら準備を始める。騎士達の手には銀色の剣。その刀身が、淡く輝き始める。
それは、魔物と対抗するために編み出された人間の叡智――魔法を使うための準備。
「エリアスさん! いけます!」
「よし、攻撃開始!」
号令と共に騎士達は一斉に地面に剣を突き立てた。直後、剣先から地面へ光が移り、それが崖下へと駆け抜けていく。
そして渓谷のそこにいる巨大な魔物に触れた瞬間、光が弾け魔物を拘束する鎖となった。途端、魔物は雄叫びを上げた。オオオオ、という野太い声は、突如身動きが取れなくなったことで驚愕したもので間違いなかった。
「今です!」
騎士の誰かが叫ぶ。同時、エリアスは跳躍し渓谷へ身を投げた。それと共に右手に握りしめる剣に力を込める。それに呼応し剣が光り輝く。それは剣全体を包み込み、さらに光そのものが伸び、人の手には余る光の剣と化していく。
エリアスは空中で剣を両手で持ち頭上に構えた。そして足にも力を入れる――このままだと魔物の背中に着地するが、生身では到底生存できない高さからの落下だ。しかし足に魔力を込めることで、着地しても怪我がないように強化ができる。
そして、騎士達が魔物を拘束してから僅かな時間で、エリアスは魔物の背に着地し、巨大な光の剣を魔物の頭部へ叩きつけた。それにより再び雄叫びを上げる魔物。光の剣を受けて身じろぎをしたが、拘束魔法が機能していることにより、抵抗できなかった。
「はああっ!」
そしてエリアスは追撃を魔物の頭部へ一閃した。それによって頭部は完全に破壊され、魔物は動きが止まる。
そして体を支える四本の足は力をなくし、巨体は地面へ倒れる。それと共に光の鎖が消え、
「よし、戦闘終了!」
渓谷の底で声を上げると、エリアスの頭上から歓声が聞こえてきた。
魔物を討伐後、エリアス達は渓谷周辺にある森から脱し、拠点へと戻ってきた。そこは森や渓谷を観察するために建設された砦。エリアス達が帰還すると、残っていた兵士や騎士達が歓声を上げながら出迎えた。
「お帰りなさいませ」
そうした中、エリアスに声を掛ける女性が一人。黒い騎士服に身を包み銀髪を三つ編みに束ねた人物で、直立した背筋と引き締まった顔つき、さらに黒い瞳はどこか硬質な印象と中性的な印象を与えてくる。
彼女の名はフラン。エリアスにとって秘書的な意味合いを持つ、事務担当の騎士である。
「討伐は滞りなく終わりましたか?」
「ああ、怪我人もゼロ。大型の魔物だったが反撃されないうちに仕留めることができた」
「それは良かった。一仕事終えて今日はもう寝るという雰囲気ですが……」
「お、何かあるのか?」
「王都から使者が」
フランの発言にエリアスの周囲にいた騎士や兵士は何だ何だと注目する。
「王都への召喚命令です」
「ん? 俺、何かしたか?」
「悪い知らせではありませんよ……エリアスさんの戦歴、功績により聖騎士の称号を授与することになったと」
――その言葉の直後、砦内が一気に沸き立った。聖騎士、それはエリアス達が忠誠を誓うルーンデル王国では知らぬ者はいない、騎士にとって最上級の称号。
「二十年以上、最前線で戦い続けた功績により、聖騎士として認められたと」
「……聖騎士って、ある程度の身分じゃないと得られなかったはずだよな? 俺、ド平民だぞ」
「はい、なので異例中の異例という形になります」
「あー、マジか。面倒そうだな」
頭をかくエリアス。その反応を見てフランは苦笑する。
「聖騎士になる、と聞いてそんな態度を示すのはあなたくらいのものですよ。それこそ、称号があるだけで人が集まり、富が得られると言われているのに」
「富や名声にさして興味があるわけじゃないからな」
そんな返答に周囲の騎士や兵士も苦笑する。
「俺が求めるのは武の極みだ。最前線で魔物と戦い続けることで、得られる経験や技術……それこそ俺の目標にたどり着ける唯一の方法であり、聖騎士になってもそれは変わらない」
「今年四十になったのですから、もう少し落ち着いてください。それに、肉体的には衰えが出てきているでしょう?」
「限界を悟ってからは魔法を使って補う形にシフトしたからなあ。強化魔法を上手く使えば、若いときよりも遙かに戦えるし、強くなれる……実際、今日戦った魔物だって、十年前は倒せなかったはずさ」
「……戦いを求める性分は理解できますが、だからといってさすがに断ることはできませんよ」
「わかったわかった、とりあえず王都へ向かう支度をすればいいんだな?」
「はい、明日出発です」
「早くないか?」
「使者としては今日にも出発してくれと言っていました。魔物討伐があるから、出発を明日にしたのです」
「そんなに急ぐことかなあ……ま、いいや。それじゃあ、準備はしておく。みんなはいつものように森を監視してくれ」
エリアスの言葉に騎士や兵士は動き出す。砦内の話題は聖騎士のことばかりとなり、今日が終わるまでは続く気配だ。
「ちなみにフラン、君はどうするんだ?」
「私はついていきます。同行者は私だけです」
「わかった……長旅になるな、これも面倒だ」
「今は良いですが、その面倒そうな顔、王都では出さないようにしてくださいよ」
そんなやりとりをしつつ、エリアス達は砦の中へと入ったのだった。