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  作者: ラララルルル
8/8

 次の日、僕は真っ先に彼の元へ報告しに行ったが——その時の心境はいそいそとも、しぶしぶとも分からない、とにかく、朝一番、会ったのだけは覚えている——彼は思いの外、軽い反応しか見せず、放課後部室に来て、と淡々と告げた。僕は気勢を削がれて、この紋章集めが大層なことには思えなくなった。七つ揃えるにはそれなりの時間を費やしたし、少しは努力もした。だから成果を見せびらかしたのに、こう甲斐が無くてはそりゃ気落ちもする。決してミステリーマークで早く自分の願いを叶えてやろうというわけではないが(むしろそんな目的があったこと自体すっかり忘れていた)携わった分だけ愛着が湧くと言うものである。

 部室へ来る頃、傾いた日が僕のこめかみ辺りへ突き刺さる。橙色がこれから段々濃やかになるのだろう、とだけ思って、逃れるように部室へ入る。誰もいない。始めと同じように、ベンチに腰を下ろす。

 暫くすると、やはり彼はやって来た。部室を半開きにしただけで中には踏み込まず、

「来い!」とだけ声かけしてきた。僕はただちに立ち上がり、荷物を背負って外へ出る。彼の跡を追いかける。どうやら向かうのは、テニスコートの方面である。近くに一つ、セミナーハウスがある。その一階ロビーで、この件に関わった全員が集合して待ち受けている。いよいよ劇も大団円らしい。

「おめでとう! さあ、七つを全て見せて」

 中村が指示したので、僕は従って見せびらかす。手作りの歪な形が七つ、折り重なって僕の掌の上に乗る。皆がおお、と感心している。

 その時、「待った!」と野太い声が部屋中に響いた。春の夕暮れ刻に似合わぬ鬼気の迫りようである。——現れたのは、変装をした男であった。体格と、黒色のマスクから覗く顔貌で類推するに、体育の的場まとば先生である。僕は思わず「的場先生……」と呟いたが、今思えばこの発言は誤りであった。本来劇に根っからの誤謬はあってならないが、今度の場合はしようがない。僕は即興の演者であり、この些細な失言を逐一咎められる筋合いは無い。

「否、私の名は川田翔平かわだしょうへい。そのミステリーマークを渡してもらおう」

「倉野! こいつがミステリーマークを集めて悪だくみをしている奴だ。絶対渡しちゃ駄目だ」

 彼の説明が入る。ここに来て、悪役を挿入したのは、劇作家が脱稿して一通り自作を俯瞰してみた時に、当初言及していた者の存在をすっかり忘れていたが故、最後に出来合いで埋め合わせしたに違いない。僕もどう対応すればいいやら分からないから——だってこの悪役は全身黒ずくめでビニールのマントを垂らしているとは言えど、どこからどう見ても的場と言う教師にしか見えないのである。こうなると、可笑しくてしようがなくなってくる。これまでは井出や中村や、竹山先生が、それぞれが自分の役をやるからまだ良かった、が、唐突に明らかな非日常を突きつけられると、滑稽やらなんやらで感情が混ぜこぜになって、笑うしかなくなる。けれどもやはり笑うのはご法度らしいから、我慢するが、それでも可笑しいものは可笑しい。とうとう、ぷくくと僕の頰の下が震えた。

「何が可笑しい?」と先生は劇を破綻させない。僕は一旦湧き上がってくるものを解き放って、

「ゲラゲラ」と笑う。的場先生は怪訝そうな顔つきである。こんな展開、脚本にあったかなと言う様子である。また、皆にしても唖然と、ぽかんと口を半開きにして僕の方に注目している。こちらもやはり、話と違うなとでも言いたげである。

 思い切り笑ったは良いが、後にどう繋げればいいやら迷う。先生は悪役で、僕が主人公なのだから、僕が先生を倒してやるのが道理である。けれども、先生だって倒されたくないはずである——妙なことを考える、と思われるかもしれない。確かに妙だ。妙だが、訳も分からず妙と決めつけてしまうのは危険だ。悪役は排されるべき、と言うのは間違いで排されるべきが悪役なのであり、僕にとって——脚本の書き手にとって、悪は先生だが、先生からすると僕は、自分の所持していたはずのミステリーマークを、落っことしたりした隙に全て奪い、しかも返さぬと言い張る悪人である。加えて、悪人らしい高笑いまでやらかした。

 僕は、どうするべきか、迷う。今度の件、思えば常にこうだった。即興とは言え、劇を壊さぬよう丁寧に演じ、いちいち自身に望まれる気質を考え、呈示し、最終の局面まで持ち堪えてきた。うむ、堪えてきたと言うのが正しい。無理を押して、耐えてきたのだ。何とか繋いできたのだ。尤も、こう言った努力は、普段から知らず知らずの内に続けているものである。高校の一生徒として、クラスで、部活動で、虐げられず生き残って行く為に、家庭で一息子である為に、難儀な生き方を自らに強いて、やっているのである。何も考えずにいられたらどんなに楽か! 自分がどんな役割だ、地位だ、などと逐一確認しなくてはならないのは、面倒だし心労である。終いには心を閉ざしてしまうか、あるいは全部上手くやるのを諦めて、彼らとの友情も絆も何もかも断ち切ってしまうのが良い。しかし、それでまた辛くなるのなら、それは恐らく、まだ僕が別の何かを求めていると言う証拠である。何か——何だ、それを願い事にすれば良い、とこの時思いついた。

「僕にはどうしても叶えたいことがある」と堂々悪役に向かって宣言してやった。欲深いと言う意味では、どちらが悪か知らん。

「なにぃ?」

 悪役が飛びかかってきたので驚いた。体育教師が体当たりして、衝突すれば僕は吹っ飛んでしまうに違いない。咄嗟腕を胸の前に交差させ、右肩を突き出すようにする——が、先生は来ない。見ると、とても動きが遅い。スローモーションを演じているつもりらしい。周囲を見渡すと、こちらも徐だから驚いた。ゆっくり口を開けようとする者、腕を鈍く振り上げ、駆け出そうかという者、その内彼だけは自由で、「ミステリーマークを七つ掲げろ!」と叫んだ。掲げろ、と命令されても、先程身を守ろうとした際、全て床にばらまいてしまった。拾わないと終わらないらしいから、手早く集めて、あり得ないほどのんびりな先生に向かって投げつけた。掲げるだけじゃ、何だか手応えが無かったから。これ幸い、と足元に散らばったものをいただき逃走するのが現実の人間だろうが、この黒の悪党は生憎劇中の人物である。ぐああと泣いて、仰向けに倒れた。

「やった!」

「よくやったぞ、倉野!」

 皆歓声をあげる。

 彼がマークを全部拾ってきて、僕に押しつける。

「さあ、願い事を言え。どうしても叶えたいことがあるんだろう?」

「ここで?」

「もちろん」

 皆の前で恥ずかしいと思うのが普通だが、うむ、この時の僕はどうかしていた、認めよう。盛大に悪をやっつけて、皆が祝ってくれて、体が訳も分からず火照り出した。芝居だ、芝居だ、と落ち着かせようとしても、自ずと熱くなって、興奮した。だから、勢い任せに口走ったのが、これまた複雑で「お気楽な友達が欲しい!」とマークを鷲掴みにして天に突き上げ、表明していた。分からぬ者は、分からぬなりに受け止めるが、分かる者は、ううむと唸り腕を組み呻吟する希望である。——彼らは意外にも、ほおと呟き、個々に悩み始めた。

 僕は、何だか途端、置いてけぼりにされた感覚を覚えた。皆は考えているが、僕は突っ立っている。いつの間にか劇は終わって、現実の世界が広がり出したのだ。ぽつんと劇に残された僕も、右足からその世を跨ぎ、出る。

「倉野、そんなこと考えてたのか」

 彼が言う。

「そう言ってくれればいいのに」

「私、倉野くんの為に、ミステリーマーク、つくってあげたんだからね」

「そもそもミステリーマークって何だ?」

「謎の印?」

「あはは、変なの」

 僕は面食らって、戸惑う。すっかり平常な思考を失っていたことに気づかされる。そう、ミステリーマークなんて、集めて願いの叶う宝なんて、あるわけがないのだ。

「倉野くん。ごめんね、付き合わせちゃって。でも、これも倉野くんの為だったんだよ?」

「どういうこと?」

「つまり、俺たちは近頃、お前の異変に気がつき始めていたのだ。その原因を探るべく、一芝居打ったってわけさ」

「異変だって?」

「そうだよ、倉野くん、何だか最近変だったもの」

 中村が変だったもの? と発音するから、僕は頷くか首を振るかしなくちゃならないが、とりあえず、ううんと捻っておいた。

「そうだ、倉野。でも、原因が分かった今、対処ができるってわけだ。よし、お前のお気楽な友達に、俺がなってやる」

「私もー」

「先生は友達にはなれないけれど、お気楽な関係でいてあげることはできる」

 的場先生がマスクを脱いで、ぼさぼさの髪をかきあげながら、竹山先生を窺って小さく頷いた。

 こういうことがあったから、今の僕には『お気楽な友達』とやらが幾人かあるはずである。ところが、僕自身の所感として、事件の前と後とで一向に環境の変わった気がしない。そもそも、自分の何が一体周りから見て『変』だったのか分からないし、僕は彼らに対して態度を変えるようなことがなければ、彼らの僕への接し方もあまり大差無いように思える。確かに彼らとの関係の構築を窮屈には感じていて、決して『お気楽』ではなく、結局それは今も変わらない。

 けれどもやはり、大きく変化した点が一つくらいはあって、それは僕にしてもそう、皆が自分と違っているとは思わなくなった、ということである。

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