一の①
一
「なあ」と声をかけられたのが始まりである。
「『ミステリーマーク』って知ってるか」
「ミステリーサークル、的な?」
「いんや。ミステリーマークってのはな、七つあってな、この七つを全て集めると、願いが叶うらしいぜ」
「ドラゴンボールみたいだな」
「ドラゴンボールは架空の話だろう? ミステリーマークは本物だ」
「願いが叶うなんて、あるわけない」
「あるはずが無いと言う前に一度探してみようぜ」
僕は眠いのだ。昼飯の後、怠い五限の授業を乗り切って、次六限。眠い。
「放課後、部室に来いよ」
ああと適当に返事をしておく。
さて、返事をしたからには、部室へ行かねばならない。行かなければ、彼との友情を一つ、終わらせることになる。特段何の問題もないが、行く。
彼は部室で、と自分から指定したくせに、まだ来ていない。仕方が無いから、中に置いてあるベンチに腰を下ろして待つ。——部室の中に、ベンチがあるのだ。空き時間ひっそりとくつろぐのに最適だ。
五、六分経って、ようやく来た。ほっと、息をつく。縁を切るのは構わないが、切られるのは何だか気分が良くない。
「授業長引いたわ」と釈明だけ手っ取り早く済ませた彼は、僕の目の前の床に座り込む。
「何、他でも無い話だ。心して聞けよ」
「うん」
「ミステリーマークってのは、世界中に七つ散らばっている」
「そりゃ途方も無いな」
「ああ。だが、幸運なことに——」
何が幸運か知らん。
「——現在、ミステリーマークは全部日本に集まっている」
「へえ」
「何でか分かるか?」
「分かるわけない」
「想像力に乏しい奴だ」
彼はこうして、どさくさに紛れて人を貶すのが得意である。
「いいか。ミステリーマークを全部集めようとしている奴がいるんだよ。そいつが、最後、七つ目の紋章を求めて日本にやってきたのだ」
「なあ、何の漫画の話か、いい加減教えてくれよ」
「だから! これは現実の話なんだって」
彼は言い張って聞かない。これは思っていたよりもずっと面倒だ。
「で、と言うわけだから、ミステリーマークの最後の一つをお前にやる」
彼が掌に乗せて差し出してきたのは、星型の装飾である。中には綿が詰まっているらしく、やんわり膨らんでいる。縁に沿って、縫い目の跡まで見つかる。
「何じゃこれ」
「これがミステリーマーク最後の勲章、星だ」
星と言うのは、すたあとふりがなをしておく。実際、彼はすたあと恥ずかしげもなく言い放ったのだ。
「どう見ても手作りじゃん」
「とにかく!」
どうしても設定は崩さないつもりらしい。大がかりに欺かれようとしているのに、大人しく話を合わせる僕は優しい。この優しさ故に傷ついたことがある、救われたことがある——人の性格であれこれ論議しても徒労だ。とにかく、僕は優しい。そこのところを踏まえてもらって、これよりのやり取りを見守ってもらいたい。
「お前はその星のミステリーマークのせいで、」
またすたあと言った。
「色んな奴から狙われるかも知らん。けれども、お前は誰にも、絶対それを渡しちゃいけないんだ」
「何故?」
「何故? 突拍子も無い事を聞くな。悪い奴にこの最後のミステリーマークをとられたらどうなる? 悪い奴がどんなことを願うと思うんだ。言ってみろ」
「どんなことって……」
「とにかく、恐ろしいことに違いない。だから、渡しちゃ駄目だ、いいか。お前は良いやつだろう」
「それは間違いない」
「それじゃお前がミステリーマークを七つ全部集めて、何か適当な、平和な願いをして、それで万事解決だ。なっ、そう思わないか」
「大体何でお前が最後の一つを持ってるんだ」
「……譲り受けたんだ」
「誰に」
「なあ、倉野。詮索はあんまり良くないなあ。人には知られたくない秘密と言うものが、一つや二つあるものだ」
「お前には三つや四つでも済まなそうだ」
「あっ、そ。とにかく、それを誰にも渡しちゃならん。いいな」
彼は厳重に言いつけると、部室を出て行った。
ほら、僕は優しい。この訳の分からぬ星型の縫い物を押しつけられただけでなく、他に後六つ同じようなものがあるから、全部集めて願いを言えと来た。何か劇でもやるのかと思う。そんな茶番劇に、即興で付き合ってやる身になって考えてもみろ。多くの者が早々辞退するだろう。僕は決して優柔不断なのではなくて、優しいからこの芝居の一役を引き受けるのである。優しくなければとことん、どんな役でも固辞している。お人好しの自分が嫌になるくらいだ。
さて、劇の役を優しさ故引き受けるとは言っても、別段行動を起こそうとは思わない。ミステリーマークのことについて周囲をあたったり、ちょっと調べてみたりなんて面倒はもちろんやらない。向こうから遊びに誘ったのだから、考えておいた遊びを僕の方に仕かけてくるのが道理というものだ。だから、平時と大した変わりは無く、過ごすつもりだ。
部室から出ると、後輩に会う。
「ちわ」と挨拶してくる。軽い会釈で返してやる。僕は帰る準備を万端整えて、出てきたのだ。だからもう部室に戻るはずも無いのに、「先輩、鍵閉めておきますか」などと聞いてくるのは、不躾だ。けれども優しい僕は、「うん」とだけ答えておく。後輩は「はい」と元気良く返事する。律儀な奴だ、どこまでも。
下校時刻を中途半端に過ぎたこの時間、共に帰る友達は見つけられそうに無い。——僕はそう、友達が多い方ではない。同じ部活の僅かな仲間と、クラスの二、三人くらいのものだ。——友達は多ければ多いほど良いと言う考えには、賛同しかねる。多ければ多いほど一人一人との関係は希薄になるのではないか。かと言って、少ないから濃密なわけでもない。友情と言うのは些細な微風に表裏逆転し、結ばれたり離れたりするものである。——要は誰が友達だ、友達でないと拘泥することは無いらしい。帰宅時に、さあ友達を、と周りを見回して名簿を照らし合わせて、そういう作業は厄介だし、何だか根本的に誤っている気がする。よって、僕は一人で家路を辿る。