不鮮明の一面
「やっぱり、無理かもしれない…」
「ん?なんか言った?」
「いいえ、何も。」
忙しなく宿の者たちが玄関と馬車とを往復する中で、その出発支度を時々口出ししながら眺めるノクトールに私は昨日くくった腹を緩めたくなりつつ、首を横に振った。
宿の者たちが手にしているのは木箱やトランク。ノクトールが積み込みの指示を出しているのだから当然荷物はノクトールのもので。
「ノクトール様、中身を伺っても…?」
「ん?ああ、お土産だよお土産!こっちがメーラに、こっちがペーラに、こっちがヨルテンに!それとこれがロイで…」
知らない名前が次々に出てくるけれど、素直に見えるその表情に少し心が温まる。だがそのまま絆されるのは良くない。眼の前で馬車へ積まれていく荷物は私の常識など軽く超え、貴族の常識も逸しているのではないだろうか。
下手をすれば馬が動きたがらなくなるだろうほどに積まれる荷物に、私は助けを求めるためにテイタルへ目を向けた。
「これは、何時ものことなの?」
「そう、なのでしょうか…?」
「は?」
テイタルを見ると、彼は私とは反対の方向へ顔を動かした後だった。
視線を合わせまいとしていることがまる私のその動きに、私は彼の暗い茶色の髪を睨むようにして問いかけようと口を開こうとした。
「積み終わったよ!…何話してるの?」
テイタルと私の間に顔を出したノクトールは、首を傾げてテイタルを見る私と私の視線から逃げるテイタルとを見比べた。
本人を前に“親は何をしている”と問うのもどうかと思ったのと、聞いたところで答えは見えているかと思い、私は中途半端に開いた口から息だけを吐き出した。
「…なんでもありません。私たちの荷物も積んで宜しいですか?」
「あ…」
ノクトールは限界まで積まれたように見える馬車へ目を向け、気まずそうに私へ向き直った。私の荷物のことを考えるには至らなかったらしい。
私はキルシエへ視線を向け、それを受けたキルシエは私達の荷物であるトランク二つをさっさと馬車へ持っていった。馬車の上はノクトールの荷物で埋まっていたので、気を利かせた馭者が自身の隣へトランクを受け取っている。
「大丈夫そうです。」
「…えっ」
戻ってきたキルシエには労りの声をかけ、私はノクトールを馬車へ促す。
背を押されたノクトールは素直に馬車へ歩みを進めながらも戸惑いを顕にし、その表情の理由が分かるからこそ私は問答無用とばかりに彼を馬車へ乗せた。
馭者の隣にはトランクが二つ乗ったので必然的にキルシエは私の隣に座ることになり、私は進行方向を正面としたノクトールの向かいに腰掛ける。
「ふ、夫人…」
「あらテイタル“様”、どうかされましたか?」
早く座ってください。
口角を上げて、キルシエと親しく見えるよう体を寄せ、ノクトールの隣を示す。誰がこの状況を見てもテイタルの座る場所はノクトールの隣だとわかるように。
暫し私へ目で訴えていたテイタルだったけれど、私に譲るつもりは一切ないと分かると数分して漸く諦めた様子でノクトールへ頭を下げてから彼の隣に腰を下ろした。
私の八つ当たり半分の嫌がらせに元気を失ったテイタルに代わり、ノクトールが壁を叩いて出発の合図を出す。ゆっくりと進み始めた馬車は昨日と明らかに進みの様子が異なっていて。
なんというか、重そうだ。
「ええっと、ご婦人…?なんかごめん!俺の荷物で上がいっぱいになっちゃって!」
「私のことはハーラニエールで構いません、ノクトール様。元々荷物はトランクが二つほどでしたし、お気になさらず。」
ゆっくり進む馬車から外を眺めてから、ノクトールは申し訳なさそうに口を開いた。
眉を垂らす彼へ許しの言葉を向けるのはなんだか弟を相手にしているようで、弟なんて居たこともないのに不思議な気分だ。
初めからノクトールから向けられる言葉たちが、距離の近い口調だという理由もあるのだろう。昨日会ったばかりなのに、つい彼に親しい態度を取ってしまいそうになる。
「じゃあ、ハーラニエールさん…もなんか長いなあ。」
「家族からはハルと呼ばれていました。」
「ハルさん!いいねハルさん!そっちのお姉さんは…キルシエだったね!」
明るく、無邪気。
ノクトールはそんな印象を受ける青年で、聞けば歳は十四で私より二つ下だった。私は十六だと教えれば、彼は目を丸く見開いて。
『嘘っ!年下だと思ってたのに!!』
婦人扱いは建前だったらしい。勢いのある言葉が胸に刺さりつつも賑やかな馬車内は3人の声で満たされていた。
休憩を挟む提案をするとき以外は口を閉ざしていたテイタルは、空気となることに徹しているかのように会話に加わることなく気配を消していた。ノクトールがテイタルの提案する休憩をすべて受け入れるとは思わず驚いたけれど、馬にはこれまでの移動よりも増えた馬車の重量の分休憩が必要だったようで、結果的には誰にとっても利のある休憩となった。
「綺麗ね。」
「そうですね。」
日は真上から少し傾き、目的地まで残すところ後わずかとなった現在、私とキルシエは二人で森を背に平原へ目を向けていた。
穏やかな風が吹き視界の終わりには森が必ずある、森に囲まれた地。近くに人の姿はないが、遠くへ目を細めて注視すると人工の建物とその近くで動く点が見えるので、営みは確認できる。
人の営みだ。
「侯爵は勿体無いわ。こんなに素晴らしい景色を長く見ていないだなんて。」
「価値観は人それぞれかと。」
キルシェの言葉に上手く返す言葉が見つからず、私は景色へ目を向けたまま黙る。
人はそれぞれ違うと理解していても、素晴らしいものが手元にあるというのにそれを見ずに外へ手を伸ばしている侯爵は、やはり勿体無いと思うのだ。
「あの人の知り合いでここを“素晴らしい”って言うなんて、珍しい。」
声に振り向けば、風で揺れる自身の髪を整えながら穏やかに笑うノクトールが私の隣に立った。
その姿は年齢を忘れるほど大人びていて、侯爵と同じ緑に金が混じったような瞳が煌めく様は息を呑むほど美しい。不思議な色を宿す瞳はアンキス侯爵家の象徴として有名で、彼の血筋を証明している。
瞳の色を確認し少し考えれば、ノクトールが侯爵子息であることなど疑いようもなかったというのに、昨日の私はそれを認めたくなかったのだと改めて思わされる。
「ノクトール様は王都と領地、どちらがお好きですか?」
会話を続けるために出た質問は、くだらないものだった。
侯爵も把握していない王都行き。土産を携えての帰還。その二つのノクトールの行動を考えれば、どちらが好きかなど分かったようなものか。
そう考えていた私に、ノクトールは静かに答えた。
「どっちも一緒。何処に居ても、居なかったとしても、それほど変わりはないからね。」
「ノクトール様…それは」
「夫人!ノクトール様!侍女殿!そろそろ出発致しましょう!!」
今日一日の明るい雰囲気とは全く異なる彼に、私が質問を重ねようとしたところでテイタルが馬車へ呼んだ。
テイタルの方向へ目を向けるノクトールには既に先程の穏やかさや静けさなど感じられず、更には明るい笑顔で「ハルさん、行こうか!」と手を差し出してくる。
それに自身の手を重ね、彼の温度を感じるように柔く握りながら彼の言葉を考えた。ノクトールにとって場所を移してもそれほど変わりがないのは“侯爵”だろうか、それとも“ノクトール自身”だろうか。
もしも自身のことを言ったのならば。
それはとても、悲しいことだ。