日が過ぎる
一枚ドレスを広げて首を振り、広げられては頭を捻る。
その作業を繰り返すこと数回。
「もう、これで良いのではない…?」
私がキルシエに見せたのは、もう数カ月前になる私と侯爵の婚姻が結ばれた日に会場から出る際に着ていた簡素なドレス。
けれどキルシエは首を横に振って、違うドレスを手にした。キルシエが見せるのは、私がこの屋敷に着てから一度も袖を通していない、刺繍の凝った一着。
私が輿入れとなるに当たって、一着でも良い服を持たせようと領民たちの協力を得て母のドレスに刺繍してくれた大切なものだ。
「こちらの方が、相手に侮られることは無いかと。」
「それは貴女が手入れしてくれている分状態もいいし、私が着たら明らかにロイ様の母君を刺激してしまうと思うのだけれど。」
相手の思う通りに行かせないよう先手を打ちに行くため、少しでも刺激は少なくするに越したことはないだろう。
相手が差を感じない、かつ品性を残して下手に出ることのない、絶妙な服とは。
考えが煮詰まって、私は隠すようにキルシエに見せなかった一着を持ち上げた。
「真っ先に却下です。男爵家の仕着せで侯爵夫人を名乗るのですか?そもそも私が荷物を纏めたはずなのにどうしてそんなものが入っているのです。」
「着慣れたものが欲しかったのよ…」
「令嬢が実家の仕着せを着慣れているなんて、可怪しいことはお分かりですよね。」
出した時点で分かっていたけれど、キルシエに懐かしく感じる仕着せを没収され、ついにロイの母ラーナに会う際に着るドレスを決められなかった。
「お嬢様の立場を明確に表すためにも、男爵家の方々が用意されたこちらをお召になることが一番です。貴族であること、侯爵家の人間であること、相手が手放したものであることを分からせましょう。」
「私はロイ様の母君を牽制しに行くのではないのだけれど…?」
「付け入る隙を与えないことは、こちらの要件を通りやすくさせることにも繋がると、仰ったのは他でもないお嬢様ですよ。」
そのようなことを言った事もあった。
男爵家へ借金を取り立てに来た相手に対して、出来る限り質素な服を着て涙ながらに用意できるお金が無い事を伝え、父が最後まで売ることを渋っていた本を差し出して、借金の減額と返済時期の先延ばしを叶えた立派な処世の心得だ。
『覚えておきな、お嬢さん。しっかりと場を整えれば、こちらの要件を相手が崩すことは難しくなる。しっかりと身を整えれば、こちらの事情を相手は勝手に察してくれる。あとは頷かせる言葉が一つ二つあれば良い。手腕なんて、必要なくなるんだ。』
キルシエへ言った言葉は受け売りで、私にはこれを教えてくれたのは、一番最初に男爵家がお金を借りた商人だった。今あの人は、どこで何をしているのやら。
「次子様との面会を諦めさせるのに最適なのは、侯爵家の女主人公がお嬢様であることを明確に示すことが必要です。下手に出てはいけません。親しみやすい簡素な服よりも、手配した宿に相応しい服装であることが大切なのでは?」
「…そうね。」
肯定の一言、それだけ呟いて思い出のドレスを見て私が実家へ思いを馳せている間に、キルシエは素早く荷物を纏めていく。気づいた頃には数日分のドレスは簡単に一つに収まっていた。
荷物に入れなかったドレスたちは再びクローゼットへ戻され、元のスッキリとした状態となった部屋のテーブルには一通の開封済みの手紙。
つい昨日届いたその手紙には、前後を私への気遣いで固めた【用意が整いましたので、領地へ向かいます。】という言葉が綴られていて。
「手配した宿まで最短でも5日くらいと見て、私達は3日後に出発。ロイ様のご様子は?」
「報告に上がりましたら、手紙をお読みになる際も落ち着いておられました。『前からこんな奴だ。』と。」
ロイへの言葉も、ロイの母親であることを感じさせる言葉も無い手紙を読んでの感想だと思うと、彼が落ち着いていることに対して悲しさを感じた。
母が自身を気にしていない様子を知りながら、それでも初めは母を無意識にでも庇おうとしていたのだから。
「少しラーナ様の事情を考えた時もあったけれど、こちらの言い分を無視したりロイ様への言葉が一つも無いこの手紙を読むと、会わなくて正解と思うようになったわ。」
一度でも、手を振り払われた記憶は消えない。
ラーナがロイを産んだのなら、彼らが血の繋がりのある親子であることに変わりはないけれど、ロイがラーナを手を取らなければならない理由にはならない。
ロイだって、母親の手を取らない選択をしても良いのだ。
「当日の馬車はクエンストが用意をしてくれるそうだし、二人乗りだから馭者はキルスで良いのよね?」
「はい。」
馭者を手配するには費用も時間も無いので、キルスが馭者をする旨をクエンストには既に伝えてある。クエンストは申し訳なさそうにしながらもキルスが馭者の心得があることに感心して、しかし一頭引きの馬車しか走らせたことがないことに対しては、嬉しそうに自分が指導することを提案していた。
双子も説得の甲斐あって、屋敷で私の帰りを待つことに納得してくれた。イルエントにはクエンストを通じで報告済み。
あとは日が過ぎるのを待つばかりだ。
「説得、出来るかしら。」
母親から子を引き離すこと、子に会うことを諦めさせること。
発端はロイの母親が両者の事情に巻き込んだ形であろうとも、侯爵夫人としての私に宛てられた手紙だった。私が介入することでロイを刺激してしまったが、結果的にロイが直接母へ決別の意思を口にすることが無いことを思えば、これで良かったのだと思う自分も居て。
「お嬢様なら、大丈夫です。」
「何処から来るの?その自信。」
私を信じてくれていると思える言葉は嬉しくあるが、率直な疑問を口にする。
キルシエはテーブルの上にあった手紙を自身のポケットへ仕舞うと、私の前へ湯気の立つ茶が置かれた。
「男爵家へ来た借金取りを追い返し、不当な査定額を見抜いて逆に高額な買い取りを成立させ、侯爵の情に訴えて契約的な妻となったお嬢様が、困窮している“だけ”の女性の金銭要求を退けられないはずがありません。」
キルシエの笑みは誇らしさが感じられ、その表情に素直に喜べない自分がいる。
他者から自分の行いを言葉にされると、こうも居た堪れないものだとは思わなかった。
けれど自分のこれまでの経験を並べられたことで、確かに借金取りのように恐ろしさが無ければ商人のように口が立つわけでもないだろう女性を相手に、遅れを取ることはないのではという自信が湧いてきた。
「そうね。当日はキルスも居るだろうし、頑張るわ。」
カップを傾ければ、程よく温かい茶の香りと味わいが口に広がった。




