価値観の相違
テイタルの手配してくれた馬車は、揺れや長距離の移動に配慮された、とても乗り心地の良いものだった。
この近辺に辻馬車や貸馬車などを手配出来る所は無いと、昨日雇った馭者から聞いた気がするけれど。馬を操る馭者だって、昨日の者と明らかに態度が異なる。態度についてを私が侯爵夫人であることを知っているからだと考えても、装いからして昨日の馭者とは違うので、普段から富裕層を相手に仕事をしている者をテイタルが連れてきたことが予想できた。
まあそういった少し気になる部分もあるが、もしかしたら昨日の馭者が知らないだけでそういった手配できる場所があるのかもしれない。アンキス侯爵家の人脈を使用すれば、大抵のことは実現できるだろうから。
「夫人…お荷物は本当に侍女殿のものも含めてトランクお二つだけなのですか?」
「…ええ、まあ。キルシエが整理整頓が得意で…」
ああ、馬車は本当に快適になったのに。
「それにしたって少なすぎるのでは?流行を取り入れられるような店はこの先暫くありません。ご婦人方が楽しめるものも場所もどんどん減りますよ。」
「そうなのですね…?」
別に流行にそこまで興味は無いし、流行を追えるほど贅沢な暮らしをするつもりもないから、それは良いのよ。それは。
馬車がアンキス侯爵領までの道を進み始めて暫く、私がどれだけ窓の外へ目を向けて静かにしたいことを空気で示しても、軽い相手からの質問に少し戸惑いを混ぜて返しても、会話は終わる様子がなくて。
私は控えめに出来ていたか怪しいが、覚悟を決めるために薄く息を吐いてから漸く、外の景色から前に居る相手へ目を移した。
そこにはキルシエ…ではなく、揺られる馬車の中でも姿勢正しく穏やかな笑みでこちらを見返すテイタルが。
「あの、それよりも少しいいですか。」
「はい」
“それよりも”なんて失礼だったかしら。
いや、反省は後にしよう。実際に馬車の手配やこれからの道のりについてより、聞かねばならないことが私にはあるのだから。
「どうして、貴方様がここに?」
「どうして…?勿論夫人と領地までご一緒するために決まっています。」
いや、まあ、うん。
そうなのだろうなとは思っている。私を気遣ってくれる姿に、彼が私へ主人の妻として純粋な好意を持ってくれているのも、昨日から私が恙無くアンキス侯爵領へ入れるよう尽力してくれていることも、嬉しいしありがたい。
けれど。けれどだ。きっとそれだけじゃあ無いでしょう。
「テイタルは旦那様の側仕えですよね?いくら私が夫人となったとはいえ、旦那様の側仕えの方を数日お借りするなんて…少し、心苦しいです。」
「ああ!その辺りはお気になさらず。昨日夫人を追いかける前に、侯爵からは夫人を送り届けるまで側を離れる許しを得ています。」
やはりね。私はテイタルから淀みなく返ってくる言葉に少し身構えた。
そう、彼は侯爵の側仕え。キルシエがアンキス侯爵の夫人となった私に仕えるために男爵家から一緒に出てくれたように、テイタルも侯爵を優先するべき立場なのだ。
いつかの日に侯爵と顔を合わせた際、テイタルは侯爵の私に対する態度について小言こそ言っていたものの、侯爵の後を追った姿を覚えている。それはけして間違いなどではなく、寧ろ仕える者として正しい態度だった。
彼が私を心配しているように見えるのは、本心からのものだろうと信じたい。けれどそれを信じるのと同じくらい、彼の侯爵に対する忠誠心の強さを会った当時から感じていたのだ。そんな彼が侯爵から断りもなく離れるとは思えない。
そして侯爵から許可を得ているのなら、そこには少なからず侯爵の思惑も含まれてくるだろう。
「侯爵は、何と?」
私の問いかけに、テイタルは言いにくそうに目をそらした。私は彼の態度に更に警戒を強める。
侯爵に好かれていないことは承知の上だ。小言や嫌味など少しの悪感情なら甘んじて受け入れようとも思っている。何を告げられても、大丈夫。大丈夫だ。
心を強く持つため呪文のように自分に大丈夫と言い聞かせていると、テイタルは口を開いた。
「『私は好かない場所だが、君はきっと気に入るだろう』…と。」
「へえ…そうですか。」
ふうん?
随分と、受け取り方に幅のある言葉だ。
好意的に考えれば、私の出身や貴族らしくない部分を見越して自身との違いも“気にせず過ごしてほしい”と言われているように取れる。
けれど彼との心や物理的距離を加味すると、そんな優しい言葉には聞こえない。
「旦那様は、領地がお嫌いなのですね?」
「いえ嫌いとまでは!嫌いというよりですね、その、肌に合わないようでして…」
嫌いと何が違うのだろう。苦笑いで私に答えるテイタルの微妙な返しに、私も彼と同じ表情を返した。
書物に目を通したり噂に聞いたりして集めたアンキス侯爵領の印象は、王都での侯爵の振る舞いでは彼の領地だと結びつかないほど、華やかな印象とは遠く離れたものばかり。そして侯爵が当主となってからの情報しかないけれど、それでも領地へ足を向けることが十数年に渡ってないことは以前耳にした本人の言葉からも証明されている。
今後暮らしていく領地だ。いい方向に受け取れない侯爵の言葉の理由も含めて、気になるところは聞いておきたい。
「なにか理由があるのですか?“肌に合わない”気候や食事、文化、人であるとか。」
遠回しに“田舎嫌いなのですか?”と質問してみる。問いかけの真意が見えたのか、テイタルは「前から感じていましたが、夫人は正直な方ですね。」と言って笑い視線を下方へ落とした。
「旦那様は夫人もご存知の通り、お持ちの財や権威を余すことなくお使いになる方です。言ってしまいますと、それらを行使できない場を避けるられるようでして…。更には幼少の頃を過ごした場所だからか、ご自身にとって不要なものや煩わしいものを領地へ置きがちなのてす。」
「“不要なものや煩わしいもの”…ですか。」
なにそれ、じゃ何か。侯爵にとって領地はゴミ捨て場かなにかで、目を向けたくない、考えたくない、行きたくない場所ってことか。
元々低かった侯爵への好意が、地を削るかのように下がっていく。
“肌に合わない”からと、目を向けずに居ていいものでもないだろうに。理由が明確でない以上、侯爵の事情を全て把握できる訳ではないけれど、私が抱いていた印象よりも侯爵は領地に寄り付かない人だったらしい。
これを私の都合から“良かった”と言うには、領地やその場に居る人々に対して失礼だろう。
「…旦那様の名誉が盛大に損なわれたような気がしてきましたので付け加えますが、アンキス侯爵領はとても潤っていて穏やかな暮らしに向いていますので、住人から不平不満を聞いたことはありませんよ。」
「なるほど、旦那様にとっての“不要なもの”が領民の方々にとっても同じではないのですね。領民の方々とは仲良くなれそうです。」
「はは…本当に正直な方ですね…」
互いに笑いあい、そして互いに目を逸らして息を吐いた。本人不在の場所で侯爵の印象がこんなにも大きく動くとは思わなかったけれど、取り敢えず向かった先で歓迎されないことは無いらしい。
もしも何かあれば、その時はテイタルを盾にさせてもらおう。
そんな他者を巻き込む考えを密かにしつつ、私は馬車の外へ再び目を向けた。