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誘引


「ノクトール様、領内を回りませんか?」



私の言葉に動きを止めたノクトールは何も聞かなかったと言うように動作を再開し、カップを持ち上げた。


香りを楽しみ、静かにカップへ口をつける所作は堂に行っているけれど、持ち上げる際の音やカップの持ち方に付いてなど端々に私的すべき点が見られる。


私は彼がカップを置く姿を見てから、静かに自身の前にあるカップへ手を伸ばした。



「ノクトール様。領内を、回りませんか?」


「今日も良い天気だね。」



頑として私と視線を合わせないつもりなのか、彼の視線は最近磨き上げた窓へ向かっている。


景色が見えるほど曇りのない硝子はとても高価で、更に大きさがその家の財力を示すと言われるほど、貴族にとって硝子というのは一種の指針となっているようだ。実家は明かり取りのための窓しか無かったので、これほど大きな窓も教会にあったステンドグラスも、その美しさと射し込む光には暫く見惚れてしまったものだ。


窓の手入れをしてくれたキルシエも、最初は勝手が分からなかったようだったのに、今では三階以外の窓の全てを掃除し終えており、次の段階とばかりにキルスとして外側から窓を抜こうとしていたのは流石の私も全力で止めた。


この屋敷の窓の約半数は嵌め込まれただけの開閉しない仕様なので、掃除をするには壁を伝って外から拭くしか無い。いくらキルスが身軽だからといって、上階の窓を抜こうとして滑り落ちようものなら領内に絶叫が響き渡ることだろう。勿論、私の。



「良いお天気ですね。このような日は屋敷だけでなく領地の広い景色を馬車に乗って眺めるのも良いですよね?」


「……このお茶、香りが良いねえ。」



私の投げかける言葉に適切な返事をするつもりは無いらしい彼は、一度私のカップを持つ手へ目を向けてから同じ手の形で自身もカップを持ち穏やかに笑む。


対して私は深く吸って溜めた息を一気に吐き出してから、彼を見る目を細める。


これでは、一向に話が進まない。



「ノクトール様。試作品は十分に用意できましたので、そろそろ領内の店へ行ってみませんか?」



金策の一つとしてノクトールと共に進めている、レースを職人へ売る商売。


レースの種類は十分に揃い、農家のオジサマの協力を得て職人についての調べもある程度ついている。価格は交渉によって決めることにしたので、あとは領内を回って直接交渉を持ちかけるだけなのだ。


しかし準備が整うにつれて、徐々にノクトールの様子が可怪しくなった。


レースの話になると途端に口数が減り、私と目を合わせなくなり、話しかけても逃げるような返しばかりになる。



「…初めてお会いして、この領地まで馬車に同乗した際にも、ノクトール様は領内を回ることに消極的なご様子でしたね。何か理由がお有りなのでしょう?」



理由無く“出たくない”と言うには、彼は王都へそれなりの回数訪問しているようだし、彼は“領内”に何か嫌な思い出でも有るのだろうか。


豊かな領地は領民の生活も潤し、彼らの人柄は穏やかな生活を映し出すように穏やかな印象を受けた。私が領内を見たのは一度の買い物の際にだけだが、それだけでも良い領民に出会えた。ノクトールにも同じように領民に触れてもらいたいという考えと同時に、王都への外出経験があるノクトールを皮切りとして、ヨルテンや双子にも外へ目を向けてもらいたいという打算もあった。


アンキス侯爵家の子供たちは、世界が狭すぎるように思えるから。



「どうして領内を避けるのか、私にお教え頂けませんか?」



カップを置いて沈黙するノクトールを、私は辛抱強く待った。


眉を寄せるノクトールは、先日手紙について庭で話したロイの不機嫌な表情とどことなく似ている。瞳の色だけではなく、口を引き結んだ時の形だとか静かな雰囲気だとか。ロイとノクトールの二人だけでなく、接する機会の無いイルエントを除く子供たちを眺めていると、血の繋がりであったり共に暮らしていることを思わせる場面が多い。


口を開いては、何事か話そうとして迷い閉じる今の彼もそう。普段は明るい人懐こい印象を振りまくノクトールが、私の前では常に不機嫌なロイと似ている事は不思議な感覚ではあるけれど、実際彼らは似ている。



「そんなに見ないでよ…」



見られることに慣れていない様子も、返しは違うがそっくりだった。



「そうだなあ…なんて言えば良いんだろう。」



カップを指先で撫でながら、ノクトールはゆっくりと言葉を紡いだ。



「領地にはね、俺が会ってはいけない人が居るんだ。」


「会ってはいけない…?」


「そう。会ってしまったら、きっと困らせてしまうから。だから、領内は行かない方が良いんだ。」



儚げな笑みで肩を竦めるノクトールは、領内に行きたいのに聞くことが出来ない様子で。


私はカップの中身を全て飲み、彼を真っ直ぐ見た。



「その会ってはいけない方の身元は御存知ですか?」


「身元…?」


「ええ。どこの誰なのか、領内のどの辺りにお住まいとか。」


「う、うん…?一応、一応はね…」



視線を彷徨わせるノクトールに、私は口角を上げた。



「でしたらご安心ください。アンキス領はとても広大ですので、その方がお住まいの地域に近づかなければ領内を見て回ることは可能です!」


「え…えええええぇっとぉおおお…?」



戸惑った様子でノクトールは空になったカップを上げたり置いたりして、先程から控えているキルシエが然りげ無くお茶を注ごうとするのを断っては、また空のカップを上げたりと落ち着かない。



「いや、偶然会ってしまったら、ね!?俺としては嫌だなあってね!?」


「その方の容姿を教えてくだされば、会わないよう警戒します。キルスかキルシエが。」


「ハルさんじゃないんだ?いや、それでもね!?」



やけに慌て出した彼を私はジッと観察する。


視線は先程から天に地に忙しなく動いており、カップを動かす手は何だか震え始めた。会ってはならないお方のことを考えているのかと思いはしたけれど、それにしてはどうもこの場を切り抜けようという様子しか見えない。



「駄目だよ!無理だよ!今まで一度も出たこと無いんだもん!」


「王都には行っておられるではないですか。馬車で通る際には特にカーテンを引く様子も無かったですよね?出れば会うかもしれないと仰るのに。」


「よく覚えてるね!!じゃ、なくてぇ…!」



見た目に気を遣っているノクトールが、髪を掻き混ぜる姿はとても貴重なものだ。テーブルに伏せて唸る彼を予見していたかのように、カップや菓子などは彼が髪を混ぜ始めた時点でキルシエが片付けてくれている。



「詮索しないでよ…領内は無理なんだって…」


「納得の行くように“本当の”事情を説明してくだされば、私も代理として動くことができますが?」


「だから、会っちゃいけない人“たち”が…」



複数人に増えているが、会ってはいけない人がいるのは本当なようだ。


私は彼を落ち着かせるように、混ぜて乱れてしまった髪に指を通す。その際ノクトールは肩を震わせたけれど逃げる様子がなかったので、私はそのまま彼の髪を直しながら話した。



「領地がお嫌いではないのでしょう?」


「…」


「会ってはいけない方々は、恐ろしい方々なのですか?困らせると仰ったのは、その方々のことなのでしょう?」


「…」


「その方々は、ノクトール様と会ったらお怒りになってしまうのでしょうか。もしもそうなら確かに会わないよう外出は控えるほうが良いかもしれませんが…」



最後の問いかけには、頭が横に動いた。それを見て、この屋敷の子たちは優しい子ばかりだと、思わず笑みが溢れた。


誰かを気遣って、自分の世界を狭めて。一見自由に振る舞っているように見えるのに、その行動一つ一つに大切な者たちへの気遣いが見える姿は、微笑ましい反面胸を締め付けられるような痛ましさを感じてしまう。



「どのような方々かは存じませんが、“会いたくない”訳では無いのなら、私と一緒に屋敷を出てみませんか?会いそうになったら逃げれば良いのです。」



乱れた髪をある程度直すことができたので指を離すと、それに従うようにノクトールは顔を上げた。体や顎はテーブルに乗せたままなので、自然と見上げるような姿になる。その姿はまるで子犬のようだった。



「その人たちと俺がどんな間柄なのか知っても…怒らない?」


「怒りませんよ。私が来る前の出来事に私がなにか言う権利はありませんから。」



怒られるような関係なのかと不安はあるけれど、怒りは彼に向けないと心に誓った。


…いや、教育として口を挟むことはあるかもしれないけれど。



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