懸念点の解決
「夫人を屋敷で饗すよう仰せつかっていたのに、控室に居られなくて驚きました!!」
唯一侯爵側から参列していた彼には申し訳ないことをした。責めているようにも聞こえるその言葉は、私の疑問を嫌でも分からせてくれる。
せめて書き置きをすべきだった。
「ご迷惑をおかけしました。この通り私達は旦那様との約束の通り侯爵領へ向かっておりますので、貴方様はどうか…」
「すぐに発つことを知っていれば、馬車をご用意致しましたのに!!」
全く私の言葉は聞いていないらしい。私の姿を見て「お体に不調は!?」と聞いてきたり周囲を見回して私達の乗ってきた馬車を見るなり「あのような簡素な馬車でここまで!?」と青褪めてみたり。
大袈裟な反応は周囲の視線を集め、すっかり存在を無いものとされている馭者の怒りも煽っている。
「なんとお労しい…すぐに馬車を手配いたします。明日の昼までに出発できるようにしますので、それまでは宿でお休みいただけますか?」
勝手に領地へ向かおうとしたのは私だというのに、それを責めるどころか労って新たな馬車まで用意すると言う侯爵の側仕え。
このまま彼に任せておけば馭者を雇い続けずに済む、という自分でも呆れるほど小狡い打算が頭に浮かんだ。
けれど当然、そのまま馭者が黙っているわけもなく。
「ちょっと待ってくださいよ!!」
怒りの表情で馭者は頭一つ分高い位置にある側仕えの彼を睨む。私から視線を馭者へ向けた彼は相手が私達の雇った馭者であることを察したらしい。
姿勢を正して体を馭者の正面へ向けた彼に、馭者は私とキルシエを離してはならない客と判断したのか、眼の前で客が別の者に取られそうになったからか、口調こそ目上の者に対するものだったが、荒々しく言葉を吐いた。
「こっちはもうアンキス侯爵領まで送るって話になっていたんですよ!もうお代も貰っているんですから、困りますって!!」
ふむ、と私は前方に居る侯爵の側仕えと、彼と向かい合い私にもチラチラと視線を向ける馭者を見比べた。慌てている馭者に対して侯爵の側仕えは静かにその場で立っている。傍らの馬は落ち着かないのか時折首を振っているけれど、それも鼻を撫でて宥める余裕もあるらしい。
侯爵の側仕えとの面識は侯爵に会う際には必ず居たので、侯爵と同程度。正直に言えば自己紹介は受けたけれど名前が曖昧なくらいには記憶に残っていない。
けれどそれでも、“あの”侯爵の側仕えであることと、主人の妻となった私への配慮、そして侯爵と会う度に繰り広げられていた侯爵と彼のやり取りを思い出して、私は彼に声をかけた。
「この方の言うとおりです。」
馭者は私から肯定的な言葉が出たことに対して表情を明るくした。更に言葉を重ねてなんとか私にすり寄ろうとしているようだったけれど、私はそれを無視して侯爵の側仕えの彼に目を合わせた。
「突然現れた貴方様の素性を知らぬのですから。横から客を奪われては怒りもあるでしょう。」
「しかし、それではあの馬車で領地まで向かわれるのですか?」
私の中に馭者を雇い続けるという選択は既にない。
首を横に振って、私は馭者へ目を向けた。申し訳無いという表情に、きちんとなっているだろうか。
「当初の予定に戻そうと思います。お渡しした一日分だけではご迷惑をおかけした償いには少ないでしょうから…キルシエ。」
呼びかけの意図を察したキルシエは馭者に何かを握らせる。少し間をおいてキルシエが離れたときには馭者の表情に怒りなど微塵もなく、寧ろ冷水をかけられたような蒼白なものに変わっていた。
「…夫人、侍女殿に何をさせたのです?」
「貴方様が来られる前に少しありましたので、そのことについてと、少しの世間話でしょうか。」
彼が先程からずっと持っている手綱の先には、侯爵家の家紋が刻まれた鞍を背に乗せている馬。
明確な名を出さずともこれだけで分かる者は多いだろうけれど、加えて彼が“夫人”と私を呼ぶのだから身分と立場は自ずと知れる。
あとは少量のお金を握らせれば、きっと“快くお別れ”してくれるだろう。貴族、それも上流貴族の夫人を相手に揉め事を起こしたい平民は居ないだろうから。
「捕らえなくていいのですか。」
会話から侯爵の側仕えは私達と馭者との間に何があったのかを察したらしい。まあ、気付いてもらうために馭者が『お代も貰っている』と話た金額が『一日分』であると声にしたのだけれど。もしも馭者が引く様子を見せなかったら、侯爵の優しい側仕えに涙ながらに困りごとを相談するつもりだった。
流石に第三者から金額の相場を指摘されれば、明日の雇用を断ろうとしている私達にこれ以上の手出しをしようとは思わないだろう。
「貴方様が来られなければ、私はあの人から“四日分”を返してもらおうと思っていたんです。」
侯爵の側仕えは首を傾げ、聞こえたらしい馭者はビクリと肩を跳ねさせた。少ししてから侯爵の側仕えがぎこちない笑みを浮かべたので、私はそれに満面の笑みまで返す。
彼が来る前、馭者は『それらを五日分の代金としましょう』と言った。渡した一日分に加えて先程キルシエが馭者へ握らせた分、それらで五日分とする、と。
「…滅茶苦茶です。」
「あら奇遇ですね、馭者から一日分の金額を聞いたとき私もそう思いました!」
言葉での約束は聞いたものがどう捉えるかによって変わる。馭者はその考えを利用したのだから、私だってそれに準じたまでだ。
いつか兄が、私の性格やら行動やらを総じて“逞しい”と表現した。私はそれを否定しないし、これからその逞しさが活きる場合もあるだろうと思っている。
「詐欺だ…あんな幼い令嬢が“夫人”…?」
一人逃げるように馭者が去る間際、そう呟いた。
「幼いなんて失礼です!私はこれでも十六ですよ!!」
思わずしてしまった反論に、馭者だけでなく周りからも視線が集まったのは解せない。
確かに背は低いし、ドレスを作るときにはやたらと可愛らしい布が多い意匠のものを勧められるし、結婚式の化粧は大人っぽくしたいとキルシエに頼んだら『似合いません、きっと。』と強く言われたけれど!!
「私が幼く見えるなら、私を夫人に据えることになった旦那様はどうなるのよ。」
私がそう仕向けたことを棚に上げて呟くと、近くに二人居るはずなのに誰からも返答を得ることはできなかった。
横を見れば目を逸らされ、キルシエを見れば同じく目を逸らされたけれどポツリと言葉が返ってくる。
「三十三の差もあれば、誰もがお二人のご婚姻を政略的なものと見るだけです。通常は。」
なんの旨味もない男爵家の娘を貰い受ける慈悲深き侯爵。身分違いで年の差が大きい私達が結ばれることに対して流れる噂はそんなものだろう。通常は。
けれどその通常では通用しないだろう前提が侯爵にはあるのだ。
「侯爵の趣味が疑われてしまうかしら?」
私の言葉に今度こそは、誰も返すことをしなかった。