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種子を買いに


テイタルは早朝に出発する予定だと聞いたので当然見送るつもりだったのだけれど、キルスに手紙を渡してもらった際に、彼から先手を打つように見送り不要との旨が伝えられた。


それでも、数日とはいえ慣れない場所でやっていくための手助けをしてくれた彼なので、せめて後ろ姿を見るくらいはと思い早めに起きたけれど、テイタルは私が目覚めて窓を開けた時には本当に屋敷へ背を向けて、今出発しますといった様子だった。


私は声をかけることも叶わず、私が見ていることも気が付かなかっただろうテイタルは侯爵家の紋章が刻まれた馬車に乗り込んだ。


そうして、7日をかけての帰途についたのだ。



「側仕えの方が数日離れていて、侯爵は大丈夫だったのかしら。」



キルシエに身支度を整えてもらいながら、ほんの僅かな懸念を零す。



「許可を得ているとあの方も仰っておられましたし、お気になさらずとも良いのでは?」


「そう。そうよね。」



そもそも、数度会った程度の上嫌われているであろう私が、侯爵を心配する義理もない。


形だけの旦那様、形式だけの妻。それだけの関係しか私達には無いのだから。


改めて考えると、テイタルに渡してもらった手紙の文章が心配になってきた。



「もっと、敬っている風に書けばよかったかしら。感情に訴えすぎていたら、“あれ”を届けてくださらないかも…」


「何を脅し…侯爵にお願いされたのですか?」



何やら失礼な言葉が聞こえた気がするけれど、今キルシエは私の髪をブラシで梳いてくれているので、振り向くこともできない。目の前にある鏡台は立派なものだけれど、長く放置されていたらしくくすんでいて、睨む私を映すには磨きが必要なようで残念。



「脅すだなんて、私を何だと思っているのよ!【お聞きしていない事態が多くありますが、ご心配なさらないで下さい】ってきちんと侯爵の心労を増やさないよう配慮して書いたわ!」


「しっかり侯爵のお嬢様に対する弱点を抉りに行っておられますね。」



キルシエが“それ見たことか”と目を細めているだろうことが、声で分かる。私だって侯爵にただの世間話を綴ったつもりはないけれど、これは正当な“お願い事”であることを覆すつもりはない。



「お願い事が上手く行けば、侯爵から素敵な“贈り物”が届くはずよ。」


「どのような?」



私が何を侯爵へ願ったのか気になるのだろう。キルシエは結った髪を整えながらも、興味を隠せない声色で私に問う。


手紙が上手く行った時のことを想像して、私は思わず笑顔が抑えきれず音を立ててしまう。お金に関するものではないので、望みが叶う可能性のほうが高いのだ。



「侯爵の領地に対する一部の運営の権利を少し、ね。」


「それはまた…大きなお願い事ですね。」


「そうでもない筈よ?」



侯爵の有する権利は、領地の運営に関する一切を既に侯爵領の屋敷に委譲してある状態だ。ここに来る前は居ると思い込んでいた管理人が何故か居ないようだけれど、侯爵が領地の運営を特に行っていないのは、テイタルの話の端々から察している。


そもそも興味がないようなので、領地へ訪れる気のない侯爵にとってこの領地での影響力は無くても困らないもの。それを“下さい”と言っても侯爵は投げて渡すくらいしてくれる筈だ。



「本当は領地に関して私は何もしないつもりなのだったのだけれど、持てるものは持っておいたほうが良いと思って!」


「お嬢様はなんというか、強欲が行き過ぎた無欲ですよね。」



意味の分からない事を言うキルシエに首を傾げれば、「動かないで下さい。」という指示と共に頭が固定される。そのすぐ後に頭は開放され、梳かれ香油で艶の入った髪が肩から零れ落ちてきた。


支度は終わったと言わんばかりに道具の詰め込まれた小さい鞄をキルシエが閉めたので、私は椅子から立ってくるりと半回転する。


軽く落ち着いた色のドレスは体に馴染み、飾りの何も乗っていない頭は軽い。ただ気になるのは、ドレスの簡素さに似合わない質の香りが私から香っていることだろうか。



「香油は付けなくても良かったのではない?」


「奥様や男爵家の女性たちから厳命されております。“これだけは”という執念のようなものは、皆様が香油を手作りされるほどですので、勿体ないと仰るならそのままで。」



なんだか随分と饒舌なキルシエはどこを見ているとも言えない遠い目をしていた。


男爵家の女性たちは、母を始めとして皆が強い。男性たちの不足部分を補うに余りある勢いは周囲を萎縮させることもあったけれど、彼女たちが居なければ男爵家は私がこうして嫁ぐまで持たなかっただろうことは目に見えている。


私が“勿体ない”と言って色々な物事を省いている事を見越して手作りをキルシエに持たせるあたり、本当に抜け目がない。



「男爵家は安泰ね。」



深く、ゆっくりと、キルシエから実感の篭もった頷きが返された。


領地の経営こそ父がしていたけれど、その心身を支えていたのは紛れもなく母で、兄がこれから導いていく先を支えるのは義姉だ。


ふと、私はどうなのだろうという思いが頭を掠めたけれど、表面的には揺らぎもしない侯爵の現状を支える必要など無いので、首を振って思考から追い出した。



「さあ!準備も終えたし、出発しましょう!」



気を取り直して意気込む私に、キルシエが布の鞄を片手に頷く。


体裁を取り繕うために施していた化粧もドレスも、今は最低限のものに留めている。誰が見ても私は“良いところのお嬢さん”の範疇に収まっている筈だ。


普段はこのような格好で出歩く前に、キルシエによって『男爵家のご令嬢ともあろうお方が…』と小言混じりに整えられるけれど、今日はそのキルシエ自ら簡素な化粧と装いに留めてくれたのだ。


それも全て、悪目立ちしないため。



「本当に私と二人で良いのですか?」


「だって、仕方がないでしょう。子供達はまだ寝ているだろうし、アマレナもゴーランも忙しいんだから。本当は私一人で行っても言いけれど…」



チラリとキルシエを見れば、私と似たような簡素な装いで。普段の使用人のそれとはまた違う姿は美しく、けれどその顔は歪められており首を横に振っている。



「なりません。お嬢様は大人しく、買い物に徹して下さい。寄り道は禁止です。」


「そう言うから、二人でいいのよ!」



畑を耕し、撒く種を決めた。


テイタルが屋敷を発ったのは少し想定外ではあったけれど、元々彼だって領地に対して土地勘もなにもないだろうから、いても居なくても…ええ、これ以上は言わないでおきましょう。



「ほら、行くわよ!」



種を買いに、外へ。



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