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疑念は隅に


挨拶をしないわけにも行かず、驚きと戸惑いと何やら私には考えも及ばない思考の結果か、徐々に瞳が潤んでいくヨルテンに私は急いで距離を取る。


気弱な印象を受けるヨルテンが読書に耽る姿は容易に想像がつくが、背面から彼の姿が見えなかったことでも分かる通り、まさか寝転んで読んでいるとは予想していなかった。


不可抗力であることを示すために、距離を取ってから笑みを向けてみるけれど。初対面の姿は長男へ啖呵を切っているもので、次に会ったのは偶然とはいえ食事の最中。そして今は私的な空間となると、段々と距離を詰められているような恐怖を感じていても可笑しくない。


…彼から見た私の印象は、なるべく考えないようにしましょう。



「お邪魔を致しまして、申し訳ございません。すぐに退室しますので。」



落ち着いた空間は気に入ったけれど、他者の領域を侵すようなことは出来ない。


体を反転させ、キルスへ別の場所へ移動することを視線で伝えてから出口へ戻ろうと足を踏み出した。



「あ、あの…」



細い、弱い声だったけれど、確かに背後から声がした。


そちらを見れば、まるでソファの背面が盾か何かかのように頭の上半分だけを出したヨルテンがこちらを見ている。



「あ、えっと…その…その…」



視線を忙しなく動かして居心地悪そうにしながらも、何かを伝えようとしているらしいヨルテンの言葉を静かに待った。目を合わせただけで涙を浮かべてしまうほど、私のことが受け入れられないはずなのに、一体何を伝えたいのだろう。


暫くして、ヨルテンは顔を隠しながら小さく呟いた。



「食事、あ、ありがとう、ございました…」



ゆっくりとソファの背面に隠れていく彼に、私は一歩近寄った。


しかし彼はソファから顔を出す気配がなく、これ以上近づけば頑張って謝意を伝えてくれた彼を怯えさせてしまう。



「どういたしまして。こちらこそ、お食事の邪魔をしてしまったようで申し訳ありませんでした。」



一人の空間を邪魔してしまっているのは今も同じだ。私は彼の顔を見たい思いを抑えて、扉から部屋を出た。


出てから漏れるのは安堵の息。



「幼い子達もそうだけれど、ノクトール様もヨルテン様も、優しく素直な子達だと思わない?」


「そうでしょうか。」



屋敷での生活が始まって数日、ここに滞在している私に対しての反発が少ないのは、けして私を受け入れているからではないだろう。いくらでも害する機会はあっただろうに、私はこうして自由に過ごすことが出来ている。


それは彼らが私に無関心だということ以上に、害そうという考えがないということだと私は思う。



「曲がりなりにも貴族の子息ということでしょうか。」


「貴族だから優しいなんてことはないでしょう。貴族だからこそ感情のままに振る舞うことを許される場合もあるんだから。」



貴族の子として産まれたからと言って、無条件に優しく育つことは無い。環境から様々な影響を受けて人格は形成され、多くの教養を受けて物の分別をつける事ができるようになっていく。


ノクトールが金銭を持ち出して王都へ出かけたことを思い出すと、教養が足りないのは明らかで、常識を教わる機会など無かった事がわかる。それでも私の言葉をきちんと聞いて、反省し、謝罪の言葉まで引き出せたのは、彼の中に一般的な善悪が備わっているからだ。その善悪に自身の行動を当てはめて、振り返ることが出来るからだ。



「キルスの言う通り、素地があるのね。けれど貴族としてとか関係なく、彼らはとても賢いということよ。」



教えれば吸収する。それが出来ることを思うと、彼らに十分な教育を受ける機会がなかったことが悔やまれてならない。



「それほど彼らが無知だとは思えませんけどね。」


「あら、どうして?」



キルスは屋敷の子供達がどのような生活をしているのか私と見ていたというのに。


私の問いかけに、キルスは一度背後の先程退室した扉を振り向いた。



「あれだけの書物を読み漁る事ができるお子様が、果たして本当にお嬢様の言うような無知なのか、と。」



先程のヨルテンの姿を思い出す。寛いだ様子でソファに寝転んでいた彼は、私の存在を認識するまでは確かに寝転んで本を読んでいる様子だった。


ふと、生まれた違和感に私はキルスへ言葉を向ける。



「読んでいた本、何だったかしら?」


「『シルヴェ史記』でしたね。」



国の歴史の本として貴族の中では基礎として学ぶ本だが、私には全てを読むことすら苦労するものだ。私の半分ほどの年齢のヨルテンが、それを寝転んで寛いだ様子で読んでいたというのは、確かに私の中にある子供達への印象を改める必要があるかもしれない。



「文字は上の兄弟達から教わったのかしら。そうすると、やはり仲は良好と思って間違いないのよね?」


「他にも考えられる選択肢はありますよ。教わる機会が本当はあったとか、三番目のご子息だけがその機会を逃していたとか。」


「そうよね…けど、そうは思えないのよね…」



改めてノクトールやテイタルに確認を取る必要があるかもしれない。


暮らしていく中で、子供達がどのような経緯でこの屋敷に連れてこられたのかも知る機会があれば良い。



「教養については置いておいて、ヨルテン様が苦手だろう私にもお礼を言える優しい方だということに、変わりはないわよね?」


「そうですね。礼を言うことでお嬢様からの心象を良くする目的があるかもしれませんが。」


「素直に受け止められなくなるから、聞かなかったことにするわ。」



片頬を上げる癪に障る笑みは、彼の言葉が本心や現状を考えての言葉ではなく思いつきの冗談であることを示していた。


その手には乗らない、と首を振ってヨルテンからの謝意について深く考えることを辞めれば、その考えが合っているかのようにキルスから「食事をお持ちした際にも、ご子息から双子のお嬢様のお相手をしていることに対して、礼を預かっておりますしたし。」と私の知らない情報が齎される。



「どうしてそれを早く言わないの。」


「2番目のご子息のことをお伝えすることを最優先と判断しておりましたので。」



確かにロイからの忠告についての報告を受けた後にヨルテンの礼について聞いても、深く印象に残っていなかったかもしれない。


キルスの判断を否定する材料がなく「その通りね。」と返せば、彼は緩く笑みを浮かべて鼻で笑った。



「そうでしょうとも。」


「はいはい。私の考えが至らず申し訳なかったわね。」



キルスの表情が非常に癪に障ったので、彼の顔を見ないように少し前へ出る。私の半歩後ろで追随するキルスの呆れたような溜息が背から聞こえたが、怒りを顕にしたほうが良かったかしら。



「お父様の手紙に、キルスの態度について細かく書くわね。」


「お嬢様の美しい筆跡で綴られる言葉が、男爵の目に優しいものであることを期待しております。」



やんわりと“書くな”と訴えてくるキルスに、私は少し後ろを振り向いて、片口を上げた。キルスのように、相手を苛立たせる笑みになっていると良い。



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