野菜の出来方
「俺は忙しいの!!もう良いでしょ!!」
とうとう振り払われた手をそのまま体の横に下ろした私に背を向け、ノクトールは自室に引っ込んでしまった。
力任せに閉めたからか、少々扉から不穏な軋む音が聞こえたけれど、手入れの行き届いていない屋敷では様々な場所で大小の不具合が起きるのは仕方がないだろう。しかしすぐに修繕に取り掛かるには様々な物事が不足しているし、当面の間は掃除しか出来ないのではないだろうか。
やはり自由に使える金銭が潤沢であればあるほど、生活が潤うことは間違い無い。
ノクトールの部屋の前で一つ頷いて思考を纏めてから、私はキルス達の居るであろう屋敷の外へ足を向ける。
畑に出来そうな場所は見つかっただろうか。キルスのことだ、メーラやペーラと順調に準備をしているかもしれない。
「あ!ハルちゃん!!」
「あらメーラ様、ペーラ様…あらあらあら。」
一階へ下り、正面の両開きの扉とは別の使用人が出入りするために使用するであろう簡素な扉を開いて庭へ出れば、私が見つけるよりも先に少女たちが私に気が付き駆ける。
キルスの両脇からそれぞれ繋いでいた手を離してこちらへ来る姿は、それは愛らしいものではあるけれど、駆け寄る彼女たちの若葉色“だった”ドレスは、見事なまでに茶色く汚れていた。
「畑の場所見つけたよ!林檎植えよう!」
「草をいっぱい抜いたから、梨も植えよう?」
よほど楽しかったのだろう、興奮気味に私へ話しかける少女たちのドレスの土をハンカチで取ろうと試みるけれど、乾いたものではないようで落ちそうにない。
他にも洗いたいドレスはあったし、まとめて明日にでも洗濯をしようかと思っていると、ゆったりとした足取りで少女たちの後ろからやってきたキルスが肩を竦めて手を挙げる。
「申し訳ありませんお嬢様、メーラ様とペーラ様を止められませんでした。」
「止める気があったのかも疑問ねえ?…まあ良いわ、明日お二人のドレスとカーテンと他のドレスを幾つか洗うわよ。」
キルスに洗濯を任せるでもなく、私が洗うことを言葉に含めても彼は「承知いたしました。」と穏やかに返すだけ。
私はキルスを構っても躱されるだけだと判断し、メーラとペーラのドレスも汚れを落とすことを諦め、二人へ視線を合わせるために膝を折った。
「キルスのお手伝いをしてくださって、ありがとうございます。」
「…えへへ!」
「楽しかった」
頬を赤らめて本当に楽しそうに話す二人だけれど、私は彼女たちが頻りに訴えている希望について詳しく聞かなければならない。
畑の筈の場所に、彼女たちはどうして果物を…しかも果樹を植えようとしているのだろうか。
「林檎も梨も、サクランボも木に実る果物です。先程お二人が草を抜いてくださった場所には、お芋や葉野菜を植えませんか?」
「だめなの?」
「私がキルスにお願いした畑は、私達がこれから食べる野菜を少しでも作ろうと考えてのものなのです。勿論、林檎や梨も美味しくて好きですけれど、お食事に使うには木に実るものは…」
適さないというのも理由の一つだけれど、主食にもなる芋は食用に用意したものを種としても植えられる手軽さがある。どんな野菜でも食すまでは時間がかかるけれど、葉野菜はある程度収穫までの期間が早い。そういった理由で考えていたので、実がなるまでには時間を要し、更には植える苗木が値のはる果樹は避けておきたいところだ。
納得してくれないかと少女たちの様子を窺っていると、二人は互いに視線を合わせてから私を見て、片方に頭を傾けた。
「林檎は、木にできるの?」
「梨も、木にできるの?」
二人の言葉に、何故“畑”と聞いても果樹を願ったのか腑に落ちた。ただ彼女たちは食べたい物を願っただけで、それが畑に適しているか否かは関係が無かったのだ。そもそも彼女たちは、林檎や梨が木に実ることを知らないのだ。
何か彼女たちに見せられるものは無いかと、私は荒れた庭を見渡し、そこにある一つの木を見つけて指さした。木には花が落ち、何やら実ができているものが丁度良くあった。
少々枝が伸びすぎており、不格好ではあるが。
「メーラ様、ペーラ様。あそこに実を付けた木がありますでしょう?林檎や梨はあのように木に出来、それを取って食べるのです。」
「そうなの?」
「そうなんだ!」
大きな瞳を煌めかせ、二人は私の話をすんなりと受け入れた。
そこで私は一つ指を立てて、二人に問いかける。
「それでは質問です。私が畑に植えようと考えていたお芋は、どのようにして出来るでしょう?」
林檎や梨は木にできる。今まで畑というものがこの屋敷にはなかった。ゴーランの食事によって食材の姿形は知っている彼女たちだけれど、私の予想の通り、二人は腕を上げて元気よく答えた。
「木になる!!」
「あんなふうに!!」
キルスが彼女たちの後ろで項垂れるように顔を手で覆った。
芋に限らず、彼女たちのように野菜がどのようにして出来るのかを知らない者は多いだろう。見ることがなければ、カブや人参は植物の根を食していると知る者も少ないことは、実家に訪れていた商人たちが教えてくれた。
随分と貴族をバカにしたような語り口ではあったけれど、知る者は知らぬ者をあのように笑うこともあるのだという、良い見本だった。
「ねえ、合ってる?」
「ペーラ達、正解?」
「答え合わせは、畑にお芋を植えて育てて確かめましょう。」
「「ええー!教えてよハルちゃん!!」」
汚れたドレスで私の周りをくるくると回り、正解を尋ねる二人に私は頑として答えを教えることはなかった。
彼女たちの目で正解を知ってほしいという願いはゴーランに快く受け入れられ、彼女たちが草を抜き、キルスが整えた畑には芋の他にも豆を植えることになった。
「種が無えんで、他はすぐには植えられそうにねえな。」
「種を買いに行きましょう!」
「お、なら玉ねぎと人参がありゃ嬉しいですね」
キルスに汚れてしまった双子を任せ、調理場でゴーランと話していると、彼から使いやすい野菜の希望が上がった。
そこで長子の側仕えの言葉を思い出し、私は首を横に振る。
「人参は、あまり使わなくてもいいじゃない?その分お芋を多く植えましょう。」
私の言葉に暫し私を眺めたゴーランは、わかり易くニヤリと口角を上げた。
「夫人、好き嫌いはいけませんぜえ?」
「違うわ!私は人参食べれるもの!!」
「はいはい、誤魔化さなくても畑を作ることの言い出しっぺは夫人ですからね。言う通りにしますよ。」
「私じゃないもの!!」
あらぬ誤解を受けたまま、それでも微笑ましげながら居心地の悪い笑みを私へ向けるゴーランの配慮によって、食卓から子どもたちの知らぬ間に人参が減るだろうことは、良いような悪いような複雑な気分だ。
いつか必ず、誤解を解かなければならないわ。




