三男の反省文
暗い色に白のレースはよく映え、針を持つ手は慣れた作業と手にあるお着せを着る使用人の姿を想像することで早まっていく。
「これで…よし!」
糸の始末をしてから広げたお着せは、作業前にあった解れが上手く修繕出来ている。袖口に長くお着せを使用し、かつ使用者の仕事ぶりが伺える黄ばみがあったので隠すのも合わせて今しがたレースで縁取りのようにしてみたのだ。これがなかなか上品な仕上がりになったので、私は達成感と切れた集中から大きく息を吐いた。
メーラとペーラのドレスを一通り整え終え、自身のドレスを繕い終えると、キルシエのお着せも気になった。ついでにアマレナのお着せも繕う所があればと声をかけたが、首を横に大きく振り固辞されたのでキルシエのお着せに一工夫することで漲ったやる気を昇華したのだ。
外を見れば夕暮れと言うにはまだ早い。開けた窓からは微かに双子のものと思われる明るい声が聞こえている。
「終わったのだもの。少し手伝うのなら何も…」
許可を取り終えることを見越した上で作業をしているだろうと、特に報告に行くこともなかったキルス達の居る庭へ出て畑の作業を見たい。まだ途中ならば手伝いたい。正直に言えば私も畑を耕したい種を蒔きたい!
キルスに叱られないような服はあるだろうか、と積んだ衣類を整えて立ち上がったところで、私はキルスの言葉の始終を詳細に思い出した。
『終えられたら、先程泣いて出ていかれたご子息をお慰めに。』
「…行く、べき?」
自問する独り言に返ってくる答えなど無い。褒められない行いをしたのでノクトールに怒ったわけだが、その結果彼からは反省を聞くことが出来た。それで終わりで良いのではと思う反面、その後に逃げるように去った彼を見たキルスが“慰めろ”と言うのだから、少なからずノクトールは私の言動に心揺らしたわけで。
私が畑を作ろうと許可を取るために屋敷を歩いていた間、自分や双子のドレスを繕っている間、彼は私の言葉を受け反省を口にした後どう過ごしているのだろうか。
「少し、声をかけようかしら。」
部屋に閉じ籠もっているのなら、扉を叩いて反応が無ければそれまで。ノクトールの姿を見ることができれば、泣いていないことを確認してキルスに報告すればいいだろう、と私は滞在することを許された部屋からほど近いノクトールの部屋へ足を進めた。
扉の前に立って、一つ深呼吸をする。その際、先触れというイルエント相手にはきちんと踏んだ手順を思い出したが、ノクトールには着いている使用人もいないし、私も今はキルスが居ないし、とマナーや礼儀を頭の隅に追いやって三度扉を叩いた。
「ノクトール様、ハーラニエールです。居られますでしょうか。」
声を掛けた直後、扉の向こうの気配が止まった気がした。
何やら軽いものが落ちる音がしたので、室内にノクトールが居るのは確かだろう。暫く待っても扉が開かれることがなければ中から声がするわけでもないので、どうやら居留守を使うつもりのようだ。しかし私は、室内に彼が居ることを確信してしまっている。
反応が無ければそれまでと思っていたが、こう明らかに避けられるという行為を前にすると、何も言わずにはいられなくて。
「ノクトール様、今お庭に畑を作ろうとしております。メーラ様とペーラ様も私の使用人と共に庭に出ておりますので、もし宜しければご一緒に如何ですか?」
しん、と何も音がしないのは変わらなかった。
私はそのまま言葉を続ける。
「植えるお野菜は何が良いですか?水が多少無くとも育てやすい芋などがいいでしょうけれど、ノクトール様はお好きなお野菜はありませんか?」
問いかけても、言葉は返ってこない。
ノクトールがどんな様子なのかは勿論気になるが、私は自分の質問から、このままではノクトールの好みに合わない野菜であっても植えてしまうかもしれないが良いだろうか、という別の懸念が湧いてきた。
もう一度言葉を重ねよう、と扉を叩こうと腕を上げた時。扉の隙間から白い何かが出てきた。上下に動く奇妙な光景はノクトールの仕業で間違いはないだろうか、それ以上扉の隙間からそれが出てくることはなく、その形状と材質から手紙か何かだとは思う。しかし、どうやら扉の隙間から出すことが出来ないほど厚みがあるようだ。
「チッ」
あら、舌打ち。と思った矢先、扉が開いて中からポトリと長方形のよく見る手紙がこちら側に落ちた。それを拾い上げれば、表に“ハーラニエール夫人”と書かれ丁寧に封蝋までしてある。何が書かれているのだろう、とペーパーナイフが無いので指の背で封蝋を剥がして中身を取り出すと、持った厚さに違わぬ枚数の紙が折り畳まれて入っていた。
【ハルちゃんへ
ハルちゃんに掴まれた腕が少し痛いよ。女の子があんなに力があるとは思わなくて驚いたし、あんなにハッキリと言われることもなかったから。なんというか、俺が取り返しのつかないことをしてしまったってことはよくわかった。これからどうしたら良いのかわからないから、少し考える時間がほしいんだ。メーラやペーラもそうだけど、オーレライともう一人の弟のヨルテンも宜しくお願い出来ないかな。どうすればカネを戻せるのか、考えるから。それに…】
これからのことの間に反省が混ざり、その反省が私の思った以上に深刻なもので。
更には妹たちを頼む文章の後も長々と文が綴られており、内容を理解するより前に手紙の最後を確認してみると【少し時間を頂戴】と締めくくられていたので、変わり映えのない内容が四枚に渡って綴られているのだろう。
私は一通り読んでから、扉に向き直った。
「ノクトール様。このお手紙が貴方のお気持ちだということはよく分かりました。綴りが少々間違っておりますけれど、追々直していきましょうね。」
「…それ、言う必要ある!?」
扉の向こうから、思わずといったように叫びが聞こえた。反省文を添削されたのだから当然だろう。私はその元気な声に口角を上げ、扉に手を添えた。
少しでも近いほうが、言葉が正しく伝わるような気がして。
「ノクトール様は、知らないことが多すぎるということです。」
お金についても、この手紙の文字や文章についても、知っていればこんなことにはならなかったことばかり。知らなかったのはノクトール自身のせいではなく、知識を与えられる者が居なかったから。
では、私が彼にすべきことは?
「これからは私が、出来る限りお教えいたします。」
マナーや礼儀はとりあえず後回し。
彼が生きていく上で困らないように、“知らない”ことで悔やむことがこれから少しでも減るように、私は私が知り得ることをノクトールに、この屋敷の子供達に教えよう。
授業だなんて堅苦しいものでなくてもいい。生活していく中で、少しずつ彼らに染みるように、言葉にしていければ良い。
と、いうことで。
「文章は相手に伝わらねければ意味がありません。例えばノクトール様の手紙にある【どうすればカネを戻せるのか】という部分ですが、まず“お金”の綴が違いますよ。これでは叩いて鳴らす“鐘”ですね。それに…」
少し声を大きくしてノクトールに教えているので、もしかすると三階にまで届いているかもしれない。三階にはノクトールの兄たちが居るだろうし、同じ階に居るアマレナも、聞こえているかもしれない。
イルエントたちが弟たちに同接しているのかはまだ測りかねるが、アマレナはノクトールたちの失敗を笑うようなことはないだろう。けれど彼女はノクトールを子や兄弟のように慈しんでいるようなので、この間違いを耳にすればきっと温かい視線を向けて優しい言葉を掛けるはず。
それにノクトールが堪えられるか否かは、音を立てて開かれた扉から出てきたノクトールの表情が歪んでいることで知れた。




