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許諾の朗笑


「畑…でございますか?」


「ええ。テイタルからイルエント様に話を通してくださらないかと思いまして。」



使用人が寝泊まりするために設けられた一階の隅の部屋の前で、テイタルは私の言葉に瞳を瞬かせる。


背後の部屋はテイタルが使っている部屋のようで、少し見えた室内は特に荷物が開けられた様子もなく閑散としていた。それはテイタルがこの屋敷に長く滞在するつもりがないことを表しているようで、慌てたように後手で扉を閉めたテイタル本人も私に眉を垂らしている。



「いくら勝手に動いていいと言われているとはいえ、流石に話は通しておくべきでしょうから。」


「ええ、それは賢明な判断かと思われますが…」



彷徨う視線は私の願いを受け入れたくはないようだ。それもそうだろう、私の付き添いとして屋敷に留まっているに過ぎないテイタルは本来、イルエントが“あいつ”と呼ぶほど毛嫌いしている侯爵の側に仕えている。昨日の内にイルエントへ挨拶は済ませているだろうし、その挨拶が和やかに済んだとも思えない。


だって、屋敷の門前で私を追い返そうとした彼なのだから。


テイタルは暫し私に眉を垂らした表情のまま何かを訴え掛けるような目を向けていたけれど、何も言葉を発しない私から視線を外してから口角を上げた。



「お取次ぎいたしますので、是非ともご自身で夫人のお考えを話されてはいかがでしょうか?」


「そんなに嫌なの…?」


「そのようなことは…けして、ええ。けして思っておりません!」



嫌なのね。


首を左右に振って必至に否定しているけれど、目の端に雫が溜まっているのではと錯覚するくらいにはテイタルの姿は弱々しくなって。最後には身を縮めて「…どうか…お願い致します…」と彼から小さな懇願が聞こえてきた。


これほど拒絶を見せるテイタルを見ると、私も行きたくなくなるが、最低限の身の振る舞いは心得ておかねば後で締まるのは自分の首だ。



「…わかりました。イルエント様のもとへ案内を、お願いします。」


「はい、直ぐに。」



テイタルに言伝を頼むことを諦め、過分な息とともにテイタルへ取次を願えば深々と頭を下げたテイタルは私を階段の方向へ案内した。


ノクトールの案内にはなかった三階。


静かでどこか空気の重いそこは、植物が伸びていないのにも関わらず窓が開けられた形跡はない。この階だけ時が止まっているような、そんな印象を受けた。


長い廊下を進み、閉められている多くの扉たちの前を通って行き着いた最奥で、テイタルは足を止めた。何も言われずともその扉の向こうが、屋敷の主が居るべき場所であることはわかった。本来ならば侯爵が、今現在は侯爵の子息の中でも一番歳が上のイルエントが、扉の先にいるのだろう。


扉に手の甲を構えたテイタルは、一度私へ目を向けて覚悟を問う。それにしっかりと頷いて見せれば、私よりも緊張した様子で彼は三度、扉を叩いた。



「何方でしょうか。」


「テイタルです。夫人をお連れしました。」



昨日聞いた青年たちのどれでもない声が扉の向こう側から聞こえた。それに対して声を張ったテイタルは、その後何かを察して私と共に少し扉から離れる。


すると薄く開かれた扉から、金の髪の青年が顔を覗かせた。片眼鏡を掛けたその青年はこちらへ目を向けると驚きを顕にして、一度扉を閉める。その動きは本来相手に失礼に当たるものだけれど、今ばかりは突然の訪問な上に部屋に居るであろう彼の主が私に良い印象を持っていないので、私やテイタルは大人しく待つことしかできない。


それほど間を置かず戻ってきた金髪の青年は、次は扉から出て来て、後手に扉を閉めるという既視感ある動きを見せた。



「初めまして。侯爵夫人におかれましては、ご挨拶が遅れましたことお詫び申し上げます。」



胸に手を当てる仕草も、片足を後ろに下げて礼する動きも、眉を下げた言葉の通り申し訳無さそうな表情も、私へ向けられたものだと認識するのに時間がかかり、彼へ礼を返すのに少し間が空いてしまった。



「お気になさらないでください。貴方の立場と今の私の立場を考えれば、致し方ないことだと理解しております。」



険悪になってもおかしくない関係性を理解しているからこそ、目の前の青年の丁寧な対応に驚いてしまった。軽く膝を折った私に柔らかな笑みを見せた青年は、一度テイタルへ視線を向けてから再び口を開く。



「クエンストと申します。イルエント様の身の回りのお世話をしております。」


「…ハーラニエール・クロリアント・アンキスと申します。以後お見知り置きくださいませ。」



私がアンキスまで全てを名乗っても、彼は笑顔で居るだけだった。


姓を持たない者は当然のこととして、持っていても隠すために敢えて名乗らない者も居る。ノクトールとあった際に名乗らなかったように、名乗ることで不都合が生じることを考えての場合も勿論ある。


しかし敢えて名乗らない場合、相手が名乗れば自らも名乗ることはマナーの一つで、それでも名乗らない場合は姓を持たないからと考えるのが普通。けれどクエンストの所作や言葉遣いは、どう見ても平民とは思えない。



「コホン…礼いたしました。イルエント様にお伺いしたいことがあるのですが。」



暫く見つめていたけれど、クエンストから答えは齎されず、私も彼に注意を引かれている場合ではなかったので、一つ咳払いして話を進めた。



「主に代わり、私が伺っても宜しいでしょうか。」


「ええ。庭に畑を作りたくて。」


「畑…ですか?」


「はい。」



テイタルと全く同じ反応に笑いを堪えつつ、私は畑が金策の一環であること、侯爵への報告はイルエントに任せること、私から侯爵へ金銭面の改善を求めることは現状無いことなど、全てをクエンストに話して聞かせた。


全てを聞き終えたクエンストは一度、部屋の中へ戻って行った。間を置かず戻ってきたところを見るに、私の言葉は簡潔に伝えられたか伝える前に返事が返されたか。とにかくとても戻ってくるのが早かった。



「お好きなようにして良いそうです。」



笑顔のクエンストに、私は思わず問いかける。



「差し支えなければ、イルエント様のお言葉をそのままお聞きしても?」


「『知らん。』…だそうです。」



仏頂面で眉間にしわを寄せたイルエントの姿が、容易に思い浮かんだ。


クエンストにとって、イルエントの突き放すように聞こえる言葉は総じて肯定寄りの無関心であるということも。主の不利になるようなことは言わないだろうと信じて、私はクエンストに頷いた。



「畏まりました。上手くできた際には、食事に使われることもあることをお伝えいただけますか?」


「お伝え致します。…あ、出来れば人参を植えるのは避けてくださいませんか?」



笑顔が少し崩れ、眉を垂らした苦笑いに変わったクエンストに首を傾げて返すと、彼は私と距離を詰めて口元に手を添えて言った。



「イルエント様は、人参がお嫌いなのです。」



クエンストの言葉に、私は唇を強く噛む。


それから何度も彼に頷いて返すと、クエンストは笑顔で部屋に戻っていった。


私は足早に三階から二階、一階、と階段を下り、調理場の前まで来てやっと力を抜く。



「ふふ…人参…可愛らしいっ…」



堪えていた笑いは、テイタルが私に追い付き、ゴーランが何事かと顔を覗かせるまで周囲に響いていた。



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