裁縫と金銭
アンキス侯爵が認め、屋敷に置いている子供は七人。
使用人はノクトールが紹介してくれた料理人のゴーランと乳母よアマレナ、その他には長男イルエントに従僕がついているのだとか。イルエントの従僕の身分は不明だけれど、ノクトールに聞いたところゴーランとアマレナは特にアンキス侯爵家の縁戚であったり貴族であったりするわけでもない、アンキス領の民らしい。
侯爵家の使用人が平民であることや、使用人が三人だけとなった理由は聞いていないけれど、恐らくは過去に多く居た侯爵家に相応しいとされる使用人たちは、侯爵の目が届くことの無いこの屋敷を見限ったのだろう。
由緒の正しい家柄から集められた使用人が貴族家での職に求めるのは、金銭ではなく雇い主に認められること。子供だけで侯爵の寄り付かないこの屋敷に長く勤め続ける意味を見出だせなかったのではないだろうか。
「ふう。元いた者たちが戻ってくることは難しいにしても、流石に子供たちの世話をする使用人が二人だけというのはやっぱり問題よね…」
「そうかな?」
作業と考え事を同時にしていると、時間を忘れて没頭してしまう。
浅くなっていた呼吸を深いものに意識して変えて、視線を手元から独り言に返された声の方へ上げれば、作業を始めた時には居なかったはずのノクトールが対面に座ってテーブルに肘をついてこちらを見ていた。
「あらノクトール様、何時からいらしたのですか?」
「部屋から出てこないってメーラとペーラが騒ぐから、様子を見に来たんだよ。それで…何してるのさ?」
裁縫道具たちと共にテーブルに置いた懐中時計で時間を見れば、時間は昼を回っている。作業を始めたのが朝食後なので、随分と集中していたようだ。
手にしているドレスを広げれば、傷みや解れはきちんと修復できているので、考え事をしながらでも作業の出来は変わらないようで安心して糸の始末をする。
「見ての通り、メーラ様とペーラ様のドレスを繕っています。」
手の中にあるドレスだけではない。メーラとペーラに頼んで今日着るドレス以外の全てを借りたのだ、私が使うことを許された部屋には愛らしい小さなドレスが数着ある。
…侯爵の令嬢ならばこの部屋を埋めるほどドレスがあってもいいのに、手入れの不十分なドレスを季節関係なく着回していると分かる傷み具合。そんな環境の不遇さを知らずに笑い合って、私にドレスを渡してくれた二人が、不憫でならなかった。
「それは見ればわかるよ。けど、昨日の今日だよ?疲れてないの?」
「宿泊した宿は侯爵家御用達の一流品質、頻繁に取った休憩にノクトール様の同行。これ以上無い快適な旅でしたので、このままドレスを洗いに行けますよ!」
「…それは、令嬢としてどうなの。」
使用人が多くいた頃の記憶からか、ノクトールは私を呆れたような目で見てくる。
確かに刺繍やレースを編むことまでは令嬢の手習いとして普通だと言えるけれど、繕い物や洗濯は使用人の仕事。私の令嬢らしくない部分ではあるのだろうけれど、それを今目の前に座っているノクトールに言われるのは我慢ならない。
「私に令嬢のなんたるかを問うのであれば、それはノクトール様も同じです。異性の部屋に許可なく入ってきているのですもの。」
ここは客室であるため私室とは言えない。しかしノックや声掛けは最低限行うベき礼儀で、それに返されることがなければ入室もすべきではない。
「キルシエが入れてくれたよ?」
「嘘ですね。キルシエは私が淑女らしくない行動をしているときは、私が使用している部屋に誰かを入れることはありませんもの。」
私に仕えている使用人が促した、というノクトールの言を即座に否定する。
確かに通常ならば応答しない部屋の主に代わり使用人が動くことが正しい姿なのだが、長く男爵家で私の使用人として過ごしてきたキルシエは、私の行動について淑女らしくないという一般常識は備えていても、それを咎めることはしない。
その代わり他者に私の淑女らしくない姿を見せることを避けるため、あれこれ理由をつけて入室を許可しない方向の技術を身に着けている。
「それに、キルシエが私とノクトール様を二人きりにすることもありませんわ。応答のない部屋に勝手に入るなんて、ノクトール様こそ、少々お行儀が悪うございますよ?」
「…さっき言ったじゃん、妹達が騒ぐから様子を見に来たって。」
自分のことを棚に上げて、窘めるように言えばノクトールは口をとがらせて反論する。その子供らしい姿に頬が緩むのを感じつつ、私は次に繕おうとしていたドレスを手に取った。
破れてからは流石に着る気になれず長く仕舞っていたと話す双子を思い出し、私は転んだか何かに引っ掛けたかして裂けてしまったらしいドレスの裾の部分に針を刺し、縫っていく。
「それはそうと、メーラ様とペーラ様には新しいドレスが必要かと思われます。金銭の管理は何方がなさっておられるのですか?」
「ああ、俺たちに渡されてるお金?イルやロイ以外のは、オーレライとアマレナが居た部屋の金庫にあるよ。」
「そうですか、アマレナが管理しておられるのですね。」
「そうなるのかな。盗みに入られたら大変だからって、ゴーランがアマレナに頼んだみたい。」
子供たちのお金が大人の管理下にあるのなら、安心できる。昨日挨拶を交わした程度の仲だけれど、ノクトールや双子、オーレライへの対応を見るにゴーランとアマレナは子供たちのことをとても大切にしているようだったから。
イルエントたちと自分達と分けて話すということは、生活に必要なお金は子供たちのそれぞれに支給される形なのだと予想がつく。
後でメーラやペーラ、アマレナとも相談してドレスを買い替えられないか検討したいところだ。
「ノクトール様は王都へお越しになる際にそのお金をアマレナに頼んで出してもらったのですか?」
オーレライの世話があることを考えて、管理体制について気になった私はノクトールへ問いかける。すると彼は首を傾げて何と無しに言った。
「オーレライが泣いてて忙しそうだったから、普通に金庫から取ったけど?」
「まあ、ノクトール様は帳簿を付けることができるのですか?」
「帳簿?なにそれ。」
真っ直ぐな瞳を向けられ、私は背筋が冷えた。
知らぬことは、けしておかしな事ではない。しかし無知からの行動は、後に多大な影響を与えることだってあるのだ。それは我が身にのみならず、今で言えばメーラやペーラ、オーレライの生活までもを脅かしているかもしれない。
私は刺し始めたばかりの針から糸を抜き、針山に戻して立ち上がる。
突然立ち上がった私にノクトールはテーブルに頬杖をついたまま見上げ「どうしたの?」と問いかける。
「ノクトール様。少し、アマレナのところへ行きましょう。」
「え、俺も?」
「ええ。」
当事者なくして、確認を取ることは難しいだろう。
ノクトールを伴い部屋を出ると、丁度入ろうとしたらしい執事の服を着た彼が腕を上げてノックするような体制でその場にいた。
「キルス、少しアマレナのところに行くわ。」
「畏まりました。」
「え、キルシエ…?いや、誰…?」
「キルスについては、後で紹介いたします。」
ノクトールが知った名を口にしつつ、けれど着ている服から首を傾げて混乱している。私は彼の疑問を後回しにするように彼の腕を引きオーレライとアマレナが居るであろう部屋へ向かった。




