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七子の泣声


「ハルさん、この子はオーレライ。この屋敷の末っ子だよ。」



ノクトールの紹介に女性はオーレライを抱え直し、こちらへ静かに歩み寄る。


腕で抱えられるほど小さく懸命に自らの生を主張する泣き声は、近付くほど大きくなるのに不思議と煩わしさは感じない。好奇心から私からも距離を詰め、覗き込めば見るからに柔らかそうな頬や額を真っ赤にして、懸命に訴えるように泣いている姿が見えた。


泣き続けるオーレライを宥めようと乳母でらしい女性は腕を揺らしているが、泣き止む気配は感じられず閉じた瞳から次々に涙が溢れていた。私が覗き込んでいては宥めにくいかと顔を離すと、オーレライの泣き声は勢いを弱めていく。



「あら、泣き止みそう。」



目が開いた姿を見られるかと期待して、段々と泣き声が途切れてきたオーレライを再び覗き見ると、オーレライは再び泣き出した。


まさかねと思い少し離れれば、オーレライは女性に募りながらも声を弱める。また私が近づけばオーレライは私を見ている様子でもないのに、泣き声を強めるのだ。



「も、申し訳ありません…」



謝られると、自分が原因であることが否定しきれないものになるからやめてほしい。


私の後ろで吹き出した声が二つほど聞こえた。誰かしら、なんて考えずともこの場で私の子供に嫌われるという自分自身も知らなかった事実に笑うような者は、ノクトールとキルシエしか居ない。


振り向いて目を細めて彼らを見れば、ノクトールもキルシエもこちらを見ようとはせず、けれど未だに肩が揺らしている。



「隠すなら完璧に隠しなさい!!ああっ!そんなに泣かないで!驚いたわね、ごめんなさい…!!」



羞恥を誤魔化すために声を張れば、幼子は当然恐怖に声を大きくする。


どうしたらいいのか分からず、思わず謝罪の言葉をオーレライに並べて数歩離れれば、あっさりと泣き声が嗚咽混じりにも治まるのだから、私のオーレライに対する立ち位置は決したようなものだ。


邪魔者はすることを済ませて立ち去ろうと、私はオーレライから視線を上へ移して、気弱そうだが母性を感じさせる優しげな女性へ目を向ける。



「私はハーラニエール・クロリアント・アンキスと申します。今日から屋敷に滞在することになりましたので、お見知り置きください。…貴女のお名前を伺っても?」


「え、ア…!!名乗ることもせず、申し訳ありません!!乳母を務めさせていただいております、アマレナと申しますっ!!」



アマレナは器用に、オーレライを抱えながらも恭順の姿勢を見せようとしてか腰を落とそうと動く。彼女がそんな行動をするとは思わなかったので、私はそれを慌てて止めた。子供を抱いているのにという驚きもあったけれど、それよりも、このアンキス領に来て初めて貴人としての扱いを受けた気がしたことに対しての気付きが私の頭を占めていた。


そういえば、アマレナの態度が本来受けて然るべき対応だよね、と。



「そう畏まらないでください。私はまだここに来て数刻、イルエント様から滞在の許可は得ておりますが、それだけです。この屋敷での権限は無いに等しいですから。」



“取り敢えず今は”という言葉を心の内に仕舞い込み、私はアマレナへ敵意などはないことを示すために笑顔を向ける。作ったものではない、心からの笑顔だ。


本来なら受けて然るべき対応が無くとも、領地に対する権限が何もなくとも、夫人と思われることがなくとも、全く気にならない。実家でだって、大して変わらなかったのだもの。笑顔が上手く作用したのか、アマレナは表情を僅かに緩めオーレライをあやす腕の動きを大きくした。



「侯爵と婚姻を結んでいるとはいえ、この屋敷で現在権力を有しているのは私よりもイルエント様だとお考えください。夫人として動くようになるのは、まだまだ先のことになるでしょう。」



動きに品があるのは確かだが、爵位を得ている貴族とは違う所作のアマレナ。アンキスと名乗ったからこそ貴人として敬う姿勢を向けてくれたのだろうけれど、もしもイルエントたちと同じ勘違いをしていたらアマレナの様子を見るに恐縮では済まない気がする。私は自分が侯爵と婚姻を結んでこの場にいることをハッキリと口にした。


目を見開き、オーレライを抱く腕に力を入れた彼女。アマレナの茶の瞳が私を一度控えめに観察するように動いたかと思えば、震える唇は吐息の多く混じった呟きを放った。



「つまり…ご子息様方の、義母君となられるということですね?」



言葉にして、真正面からその問いかけを向けられるのはもう少し先だと思っていた。


子供達は私自身が屋敷に留まることすら受け入れられていないというのに、義母という立場へ目を向ける余裕もなかっただろう。それに私自身、ノクトールに会ってからこの屋敷に入った今も義母であることに対する自覚など全く芽生えていない。


イルエントやロイという青年たちの方が私よりも歳上だろうに、義母になどなれるわけがない。


不安げなアマレナの眼差しは、オーレライを、この屋敷に住まう子供達を案じているとよく伝わってきた。私はその瞳を受け止める気持ちで、自身の胸の内を正直に言葉にする。



「義母とかはよく分からないけれど、これからこの屋敷で一緒に住むのだから、家族でありたいとは思います。」



邪険にされていても、近付くだけで泣かれようとも、共に同じ屋敷で生活するのだから。


私が離れたことで安堵したように眠りについているオーレライの姿に吸い寄せられるように、私は彼の頬へ恐る恐る指先を持っていく。


オーレライは気配に敏感なようだったのでまたすぐに泣かれてしまうかと思ったが、私の指が彼の頬に触れ、その言い表せない柔らかく危うい触り心地を体感しようとも、不思議と泣き声が上がることはなく、湿った寝息が聞こえるだけだった。



「…かわいい。」



幼子の頬をつつくという実家では出来なかった体験に、ゆっくりと繰り返しオーレライの頬に指を触れさせていれば。擽ったさか気配を察知したか彼が身じろぎし、その反動で私の指はオーレライの頬にプニと沈む。


あ、と思ったときにはもう遅い。


火がついたように泣き出したオーレライに私は慌てて謝罪を繰り返し、ノクトールとキルシエが肩を揺らすどころか声を上げて笑い始め、メーラとペーラはオーレライの側に駆け寄って彼を宥めようとするアマレナを手伝って。再び騒がしくなった室内で、私はすっかり折れた心を癒そうと息を吐く。


ふと合ったアマレナの視線は、緊張や警戒が解けたように見える代わりに、慈愛の色が込められている気がした。



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