立場の証明
「ハルさんも、アンキスの人だったんだ…」
声にそちらを見ればノクトールがこちらを警戒と戸惑いを含んだ瞳で見ていて、その両脇にはメーラとペーラが守られるようにして抱き寄せられいた。これまで見てきたノクトールとは違って毛を逆立てる猫のようなその姿に、私は彼らへ向き直る。
「隠していたことは、謝ります。ですが私も、侯爵にお子様がこんなに大勢居られると思っていませんでした。噂にすら上がっておりませんでしたので…」
ノクトールと会って彼が侯爵の子だということだけでも心底驚いたのだ。
咄嗟にあの場で自分が侯爵の妻となったことを明かさなかったのは、ノクトールが突然現れた侯爵家の一員となる私に対してどう反応するかを考えることが怖かったからだ。おまけに侯爵からのノクトールの扱いが酷く思えたことから先ずは様子見をと思い、きちんと名乗ることをしなかった。
その結果、侯爵家を象徴する緑に金の混じった瞳六対にこうして見られることとなったわけだけれど。
「ならばこうしてアイツの血縁がお前だけではないことを知った今、気分はどうだ。」
「気分、ですか…」
驚きとこれからへの不安しかない。
…待って。
“血縁”が“お前だけではない”?
「あの、何か勘違いを…」
「はっ。勘違いなものか。その言葉遣い、お前はアイツの傍でアイツの娘として暮らしていたのだろう。この目だったからここに住むことになったが、アイツの面影のないお前はそれほど気に入った女に似ていたのだろうな。」
しっかりと勘違いして居られるわね!!
まさかと思い周囲を見ても、残る五対の瞳から青年と同様の勘違いをしていることが分かり思わず脱力する。
出てくる言葉の多くが偏った考えと思い込みに呑まれているようだけれど、その上言葉に悪意しかなく、私の話を聞く気がないらしい青年は彼らの代弁者と言っても嘘ではないだろう。
「今までのまま、王都で温々と暮らしていればいいものを。ここでは服を仕立てることは愚か、直すことも出来ないぞ。使用人にあれこれ頼むことだって、そもそも料理人と乳母しか居ないから無理だ。」
勘違いしたままの青年から聞かされたこの屋敷の現状は、私が想像していた以上に酷いものだ。彼の歪んだ笑みは現状を私に聞かせて、どのような返答をするか試していることが容易に解る。
私は上手く伝わらない苛立ちを沈めるため、そして一度頭を整理する為にも深く細く息を吐いた。
この屋敷で一番の権力を有しているのは、ノクトールが視線で示した通りこの青年で間違いないらしい。それは侯爵が自身の子と認めた者たちの中での最年長が青年であるからというのも理由の一つ。しかし屋敷に住まう彼ら自身が、屋敷の住人の最高権力者は青年である認識しているようだ。
であれば、眼の前の青年と良好な関係を築かなくては私の求める穏やかな生活始まらないだろう。そして、屋敷の管理を見直すべきだと進言するか、願わくば私が直接手を掛けられれば話が早いのだけれど、勝手も過ぎれば反感しか招かない。
取り敢えずは私が愛人でも侯爵の子でもなく“正妻”であることをしっかりと知ってもらおう。そして立場を示した上で、彼から滞在と少し身辺を整える許可を…
「黙って居ないで何か言ったらどうだ。」
頭の整理に時間がかかり思考が一周回ったところで、青年は苛立った様子を見せ何も発さない私に言葉を重ねた。
周囲の視線は私に寄せられている。
「私は侯爵と婚姻関係にあります。」
「…嘘を言うな。お前のような子供がアイツと?笑えない冗談だ。」
「嘘でも冗談でもございません。私と侯爵は正式に結ばれたことを、教会での儀に同席することでテイタルが認知しています。」
テイタルへ視線を送れば、私の言葉に偽りなどないことが彼の首肯で示される。少し動きはぎこちないが、侯爵の側仕えとして侯爵の意を子供たちに正しく伝えることはできているはず。後は明確な証拠を出せば良いだろう。
「口頭での証明が不服でしたら、キルシエあれを」
「馬鹿にするのも大概にしろ!!!」
何度目だろうか。
私の言葉をまたしても遮った青年から返ってきたのは、全てを拒絶するような怒声。
「今までアイツの恋人だと名乗る者たちが多くここを訪ねてきた!アイツの治める領地を見たいと言って!!お前もそうだろう!!」
「違いま…せんけれど!!私は」
「黙れ!!」
目にした時からずっと険しい彼の表情は言葉を交わすごとに益々険しくなっていく。遮られることに少々私も苛立って青年を見る目を細めれば、彼は大きな歩幅で距離を詰め、掴みかかるかと思えるほど間近に迫ってきた。
途中、キルシエが私を護るために間へ立とうと動いたけれど、私はそれを腕を少し上げることで止めさせる。
「違わないのなら、態々アイツと結婚したなどと嘘を並べなくとも勝手に領地を見て帰れば良い!!今までの奴らと変わらず『穏やかに過ごせ』と言い残して去れば良いだろう!!」
激昂のままに叫んだ青年は、息を切らしながらも私を睨む瞳を緩めることはなかった。
その瞳を真っ直ぐに見て私は、こんな状況でも怒りに染まっていても緑に金の混じったその瞳が美しく感じられた。
その場違いな感情に、私は思わず笑みが溢れる。
「何が、可笑しい。」
笑みを浮かべる私から、青年は怒りを通り越して気味悪さを感じたのか数歩距離を取った。それはある意味正しい判断だと、上から目線の感想を思い浮かべながら私は距離が空いたことでしっかりと見えるようになった彼の訝しむ表情を真っ直ぐに見る。
私欲に塗れた打算の隅で、私の話を聞いてくれない彼に対する苛立ちや、この屋敷をどうにかしたいという気持ちがどうしてこんなにも強くあるのかを、彼の侯爵と似て非なるその瞳の色を見て気が付いたのだ。
「これだけ言われれば、私も貴方に言いたいことを言えるなあと、思いまして。」
裏に本当に思った言葉を隠して本音を告げてから、私はキルシエを呼んだ。青年を気にした様子はありつつも、一度荷物の元へ向かったキルシエは私の望みの通りのものを手にして戻ってくる。
私は自身と歳の近い“義娘義息子”たちを見回して、キルシエの手にあるそれを示した。
「何処かの誰かが私の言葉を聞かずにまくし立てるものですから?出すのが遅れてしまいましたけれど。こちらは侯爵と私が所有する対となる指輪です。今証拠としてお見せできるのはこれしかありません。」
「そんな指輪で」
「今は、これしかありませんが。必要であれば婚姻の証明は後日、テイタルに頼んで写しを教会から得ることも可能でしょう。」
意趣返しに彼の言葉を遮って話を続ければ、青年は歯噛みするように口を閉じて私を睨む。
彼は私よりも歳上に見えるが、この時ばかりは幼い弟を相手するような気持ちで彼へ笑みを向け、キルシエに指輪を渡させた。
指輪の入った箱を前に、青年はそれをキルシエから受け取ろうとせず片目で見下ろした。しかし暫くするとゆっくりとそれを手に取り、その内側を眺めてから、私へ驚愕の表情を向ける。
「アイツはとうとう、こんな子供を妻にするところまで女好きの範囲が…」
「イル、待った。メーラとペーラの前だからね。」
私が侯爵と婚姻を結んだことは無事、青年の認めるところとなったようだった。ノクトールが幼いレディ二人を想って言葉を遮ったけれど、好奇心旺盛な二人は両脇から兄を見て教えてほしそうに首を傾げている。
確かに敢えて子供の前で話すことでもないかもしれない。青年も流石にそう思ったのか、行儀悪く舌打ちしてから視線は指輪に戻った。
「私が侯爵とどのような関係なのか、証明出来たようで良かったです。」
青年から確かに“妻”という言葉が出たことを持ち出すと、彼は眉間にシワを寄せて指輪をキルシエの持つ箱に戻した。
「…勝手にしろ。」




