<第六話>二人の軌跡・Ⅲ
でも、私が社会人になってからは、私も今まで以上に忙しくなってきてしまったので、時間の融通をする事が難しくなっていった。
毎日、まだ慣れない仕事に追われ、疲れている体。そして何よりも、明に会えない寂しさで、心が折れてしまいそうになっていた。
平日に明の仕事が早く終わる日があると、彼は突然だったが、『今晩一緒にご飯を食べよう』と誘ってくれた。
でも、お店のラストオーダーギリギリ?というような時間まで残業している日常が、そのせっかくの誘いを断らなければいけない事が多かったのだ。
そのお詫びをしなきゃと、私から誘う予定もちゃんとあった。
「予定として、この日は早く上がりたいって事前に話しておけば、先輩や上司もそれに合わせてくれるらしいんだ。」
先輩から聞いた早く帰る方法を、明にそう言って、会う予定を事前に決めておいた事が何回かあったのだ。
でも、その日が来ると、
「残業が入って、やっぱり抜けられない。」という連絡が入り、結局明と会えなくなってしまう日の方が多かった。
こんな状況が続いて、たまにお互いの予定が合った週末には、どうすれば、もっと会いたい時に会えるようになるのかと彼と一緒に相談をするようになっていったのだ。
そして、お互い自宅から通勤していた私達が、気兼ねなく会えるようになるいい方法は、どちらかが一人暮らしをすることじゃないかと彼が言ってきた。
― 自宅を出る ―
この明の考えを聞いた時、お互いに生まれた時からずっと同じ場所に住んでいて、引っ越し未経験な私達にとって、この難問の壁を乗り越えることが、出来るのだろうか?と私は思っていた。
そして、やはりどちらの方からも『自分が家を出る』と言い出せないまま、なんとなく時間が経っていった。
やがて、『自宅から会社までの通勤時間って、静の方がかかっているんだよね。』と明が言ってきた。
さらに、『僕は一人っ子だけれど、静は妹がいるよね。だからもしも静が自宅を出ても、君の両親は、そんなに寂しくないんじゃないかな?』とも聞いてきた。
そんな明の意見から、次第に一人暮らしをするのは「私」という方向に話が流れていったのだった。
「残業が多いから、通勤時間を少しでも短くしたい。」
付き合い始めた頃に、彼氏が出来た事をお母さんにはちゃんと話していた。だから、明の存在も知っていた両親が、素直にその理由を信じてくれたのかは分からなかったが、一人暮らしを始めたい理由については、そう説明した。
(そういえば、明の卒業旅行の時に、一緒に行く人を正直にちゃんと親に話そうとした時にも言われたんだったな…
『まだきちんと君の両親にご挨拶もしていないのに、僕たちがそういう関係であると思われるのは良くないよね。だから、僕の名前は出さずに、サークルの女性友達の名前を話すように。』って。
今回の引っ越しの本当の理由…、『明と会える時間を作りたいから』
という正直な気持ちを親に話すことを明に反対された時、なぜかふっと卒業旅行の時にも反対された事を思い出してしまっていた。)
こうして、私の一人暮らしが始まった。
合鍵を持っていた彼は、平日でも、自分が会いたい時には、仕事が終わると私の部屋で待っているようになった。
私が残業を終えて帰ってくると、『おかえり』と明が玄関で出迎えてくれた。そして、彼の終電ギリギリまで一緒に過ごせるようになった。
「静と前より会いやすくなって、嬉しいな。」
明からそう言われて、私も嬉しかった。
こんな風に、社会人になってからの二人の新しい恋人生活が始まった。私達は、これからもこうしてずっと続いていくんだなと思っていた。
そんな新生活の中、仕事中にある「事件」が起きたのだった。