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<第五十七話>敵前逃亡

 「自分で魚を釣って、それをすぐに調理をしてもらえるんですね。それにしてもここは水族館なのに、釣った魚を食べちゃうっていう所が、なんだか面白いですよね。」

 釣りたてのアジをフリッターにしてもらい、それを美味しく食べ終えた東山がしみじみと言った。


 「そうね。普通水族館は、水槽のお魚を見る所ですものね。それを食べてしまうというのは、確かに珍しい事ね。


 でも、これは食育プログラムの一環なんですって。

 だから、自分で釣った分はきちんと残さずに全部食べないといけないのですって。


 面白がって食べられない程の沢山のお魚を釣ってはいけないって、釣る前にもちゃんと言われましたものね。」


 「そうでしたね。いやぁ静さん、今のお話は本当にガイドさんのようにきちんとした説明でしたね。」

 東山が笑顔で答えた。




 食事を終えた二人が、再び水族館の展示を見に行こうと移動しながら話していた、ちょうどその時!


 ふと前方から歩いてくるカップルの男性に静の視線が止まった。

 

 なんという偶然であろう!なんと歩いてくるその男性は、あの別れた明だった。


 

 静は、驚きの余り絶句し、そして不自然に視線をそらすと、急に誰も人のいない海の方を見ながらスタスタと早足で歩き始めた。




 「どうかしましたか、静さん?」

 急にそわそわし始めた静の反応に東山が心配をして話し掛けた時、


 「あれ、静じゃないか?

  

  よぉ、久しぶりだな。」

  すれ違いざま、明はにやけた顔をしながら静に話しかけてきた。



 「えっ…!?


  あ、あの、、、、。


  はい。お、お久しぶりです…。」

  静は、しどろもどろに返事をして、明とは目も合わせず、あたふたとその場を逃げるように早足に遠ざかって行った。


  「今の女性(ひと)だれ?明の知り合いなの?」

  明の隣を歩く女性が不安そうな顔をしながら明に尋ねていた。


  「あ~っ?どうだったかな?覚えてないや。」

  明は笑いながら、女性に真面目に答えることなく歩いて行った。



  その場に残された東山は、今話し掛けて来た男性の後ろ姿を一瞥(いちべつ)した。そして、今までずっと隣で自分と歩調を合わせて楽しそうに歩いてくれていた静が、自分から慌てて遠ざかっていった事に、少し動揺を隠せなかった。



 しかし静の後を小走りで追いかけてきて、彼女の隣に並んだ時には、東山は笑顔を作っていた。


 「水族館にこのまま行きますか?それとも少し休憩しますか?」

 東山が聞いてきた。


 「あっ、ごめんなさい。


  えっと…、そうですね、このまま水族館に行きましょう。」

 静はそう答えると、東山の顔を見て、ぎこちなく笑った。



 だが、水族館に着いてからも、静は今までのように話す事が出来なくなってしまった。



 しかしそんな静の様子について、東山は何も聞かなかった。

 東山は返事が少なくなった静に寄り添うように歩いて、しかし決して笑顔を絶やさないようにしながら、二人は水族館の中を歩いて回っていた。




 水族館の出口近くまで歩いてきた時、

 「昇さん、やっぱり少し休憩をしましょう。」

 と静が思い切ったように言っってきた。


 「そうですね。」

 東山も静かに答えた。


 二人は、水族館の近くのレストランに入って行った。

 

 そして、コーヒーを頼んで待っている間に、静がゆっくりと話し始めた。



 「黙っていてごめんなさい、昇さん。

 さっき水族館に入る前に会った男性(ひと)ね、実は昔付き合っていた人なの。」




 「そうだと思っていましたよ。」

 東山が静かに答えた。


 「そっか、やっぱり気が付いていたわよね。」


 異性と一緒に居たり話したりしただけでも、直ぐに激怒した明とは、全く正反対な東山の穏やかな反応に、静は、少し気持ちが軽くなった。



 「静さんのあの反応を見て、気が付かない人は多分あまりいないと思いますよ。」


 「ごめんなさい。私、どうすればいいのか分からなくって…。話しかけて来た事も、私には驚きだった位なの。」

 静が困惑しながら話した。


 「そうでしたね。向こうは全然平気そうでしたがね。」

 東山は先程の様子を思い出したのか、少し楽しそうに話していた。


 「昇さん、どうして楽しそうにお話をしているの?」

 静が聞いた。


 「あっ、すみませんでした。決して静さんの事を思い出したからでは無いのですよ。


 さっきの男性の方が、ああいう方で良かったと実は少し思ってしまったのです。すみませんでした。


 静さん、僕がもしも以前付き合っていた人に偶然会ったとします。



 そしてまず第一の前提条件として、お互いが一人で歩いていた状況だったなら、もしかしたら挨拶をしたかもしれません。


 でも誰かと一緒に歩いていた時なら、無理に挨拶はしない気がします。



 そうですねぇ、、、

 もしも目がしっかりと合ってしまって、一緒に歩いている人にも(あれ?この人は知り合いなのかしら?と)気が付かれてしまうような雰囲気だったなら、挨拶位するかもしれません。



 ですが、その時に相手の事を呼ぶ機会があっても、僕なら苗字で呼ぶと思います。




 そんな事を、水族館で魚を見ながら考えていたんですよ。


 まぁ、全部妄想で、僕はそんなにモテませんので、そんな偶然はきっと無いと思いますがね。」

 東山が照れ臭そうに言った。


 

 「昇さん…、ありがとう。

 私、最初にあの人に気が付いた時、昇さんにあの人との事を出来れば知られたく無いなって考えてしまって、慌てていたの。


 …でも結局彼が話しかけて来たし、私の態度もあまりに白々しかったから、全部バレちゃったじゃない。


 だからね、私水族館でずっとその事をどうしてあんな風になったのかな?と考えていたのよ。


 なんだかおかしいわね。

 話していなかった間も、二人して同じような事を考えていたのね。



 もっとも、私は昇さんより冷たい人間だから、多分一人で歩いている時でも、もう挨拶しようとは思わないと思うけれどね。」

 静も明と会う前と同じように、また東山と話し始めた。



 「さっきの人、なんだかモテそうな顔立ちでしたから、僕は落ち込んでもいたんですよ。

 だから、静さんこそ、ありがとうございます。


 そんな会っても挨拶をしないだなんて、僕に気を遣わせてしまいましたよね?」

 東山が笑顔で言った。



 「全然、全然。


 気を遣ってなんていないですよ。それが私の本心なんです。

 そうね、彼は、もう友達にも戻りたくないような人なんです。


 あの…、こんな情けない話までしてごめんなさいね。

 実は、付き合っていた時に浮気をされてしまったりして、彼に対する信頼をすっかり失ってしまって、、、。


 それで結局別れてしまったんです。」

 静が少し申し訳なさそうに答えた。





 「…そうだったんですか。


 それは、人として許せないですね。

 

 僕もそういう事についての考え方は、静さんと同じです。


 信頼は、毎日のお互いの積み重ねで出来るものだと思います。

 だから見えない所でも、お互いを尊重する事は、何よりも大切にしないといけないと思うんです。


 そして一度崩れてしまった信頼を取り戻す事は、とても難しい事だとも思います。

 僕は、静さんの信頼をずっとしてもらえるようにしますね!」

 東山が笑顔で、そして強くはっきりと言った。




 「昇さん…ありがとう。




  やっぱり私、、、、



  昇さんが、大好きです。」

  静が嬉しそうに言った。


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