君に最高のバッドエンドを~NTRビデオレターが送られて来たから、折角だし結婚披露宴で上映してみた~
麗らかな春の休日、淡い桜の花弁が舞う田舎の小道を俺達は歩いていた。
俺の隣を歩く少女、小池真桜は俺の幼馴染であり、同時に結婚を約束した最愛の女性でもあった。
俺と真桜の両親同士も仲が良く、小池家とは家族ぐるみの付き合いであった為、親公認のカップルとして俺達二人は何の障害も無く愛を育んできたつもり……だった。
だが、俺は知っている。
その愛は俺からの一方通行に過ぎず、完全に一人善がりでしかなかったという事を。
あるいは彼女も俺に欠片ばかりの愛情は持っているのかもしれない。
……少なくとも今握っている手を振りほどかない程度には。
繋いだ手に少しだけ力を込めてみると、こちらに顔を向けて微笑む真桜に直ぐ握り返された。
「えへへ、幸せだね。みっくん。」
みっくんとは俺、大井光臣の幼少期からの愛称で、未だに真桜は俺をそう呼ぶ。
以前は真桜からそう呼び掛けられるだけで、胸の奥が温かな気持ちで満たされていたが、今となってはもう違和感しか覚えない。
それでもぎこちなく笑みを作り、俺は真桜に微笑み返す。
「そうだな。こんな日がずっと続けばいいな。」
嘘だ。こんな日々など早く終わってしまえ……と、俺は望んでいる。
偽りに満ちた無垢な笑顔を向けてくる真桜と、それに壊れきった笑顔で返す俺。
他人からはちゃんと仲睦まじい恋人同士に見えているだろうか……?
真桜の滑らかで柔らかい手からは彼女の体温を感じる。
俺がこの手の温もりに不快感しか覚えなくなって、もうどれくらいの月日が流れたのだろう。
「みっくんと手を繋いで歩くの久しぶりだね。なんだか照れるね。」
なんと白々しい台詞だろう。
今更、手を繋いだくらいで照れるお前じゃないだろ――と、そう返したいが俺は口を噤んだ。
その代わりに繋いでいない方の手で、真桜の頭を軽く撫でてやると、真桜は気持ちよさそうに目を細めた。
いつまでこの瑣末な茶番を続けなければならないのか。
真桜は今繋いでいるこの手で、今夜もアイツに擦り寄っていくのだろう。
その上品な笑顔の仮面を剥ぎ取って、淫靡に瞳を潤ませて、媚びた声でアイツに愛を囁くのだろう。
そして、最後は今、この時間に演じている恋人ごっこの哀れな道化師である俺を、アイツと一緒に貶めながら悦楽に浸るのだろう。
俺と重ねる時間など、真桜にとってはアイツとの爛れた時間へ加えるスパイスのようなものに過ぎない。
背徳感という名のスパイスに彩られて貪りあう、甘美な時間はさぞ濃厚かつ刺激的な味であろう。
しばらく手を繋いで歩き続けた俺達は、とある公園に辿り着いた。幼い頃、真桜とよく一緒に遊んだ思い出の公園だ。
桜吹雪の隙間から刺す淡い光の中で俺は真桜に向き直る。そして――
「俺と結婚してくれ。真桜。」
不快感から来る吐き気を堪えながら、俺は悪魔の呪文を唱えた。
「嬉しい!みっくん、ありがとう。大好き!」
両手を口に当てて、歓喜の声を漏らす真桜。彼女が喜ぶのは当然だ。
――何故なら、真桜はその体にアイツとの子を宿しているのだから。
事の発端は数週間前に遡る。
高校生の間に付き合い始めた俺と真桜であったが、地元の大学へ進学した真桜に対して、俺は都会の大学へ進学し、大学進学を機に遠距離恋愛となっていた。
それでも、最低2ヵ月に一度は地元に戻り、真桜との時間を作るようにしていたし、ほぼ毎日電話で話していた。
離れ離れになっていても心は通じている……そう信じていた。
お互いに『大学を卒業したら結婚しよう』と約束を交わした仲だ。その想いを疑う事などしなかった。
今から数週間前の大学卒業を控えたその日、俺の元へ一通の郵便物が届いた。
差出人の名前は小池真桜、最愛の彼女にして幼馴染の名前だった。
ただ……宛名の筆跡が明らかに真桜のものでは無い事が気になった。そもそも女性が書いた文字では無さそうに思えた。
その郵便物の中身はDVDだった。
ご丁寧に家庭用DVDプレイヤーで観られるように、DVDビデオ形式に変換してあったそのビデオには――
真桜が知らない男の下で激しく喘ぎ声を上げる、悍ましい光景が映し出されていた。
所謂、ハメ撮りといわれるその動画は数時間にも及ぶ容量で、最近のものでは一週間前、一番古いものは5年も前に撮影されたものもあった。
それはつまり、高校生の時にすでに真桜はそのビデオの撮影者の男と肉体関係を持っていた事を意味する。
何なんだコレは……?
俺は一体、何を見せられているんだ?
俺の混乱を他所に動画は無慈悲に再生されていく。
そして、乱暴に真桜を抱く撮影者とそれに獣の様な嬌声で応える真桜の二人は、興が乗ったのか、何かを話し始めた。
『どうだ?彼氏のと比べて?』
『分からないです!彼氏とはまだキスしかした事なくて!』
『なら、今度ヤってみたらどうだ?比較対象があってこそ、俺のコレ無しでは生きていけないって自覚出来るはずだぞ。』
『今度のクリスマスに、デートするんです……そこで。』
『いいねー!彼氏と一度ヤっとけば、こっちも避妊無しでやりまくれるってものさ。』
『ゴム無しって事…ですか……?』
『ああ、出来てしまっても、どうせ彼氏が責任取ってくれるのだろう?それに……生は格別だぞ?』
『……これ以上に…?すごく、楽しみです。』
涙が溢れて止まらない。
悔しくて…情けなくて……どうしてこうなってしまったのか……。
幼い頃の真桜との大切な想い出が蘇っては、泡沫のように消えていく。
『私、小さい頃から、ずっとみっくんが好きだったの。私と付き合って下さい!』
頬を染めて、俺に想いを告げた僅か数日後に彼女は他の男に抱かれていた。
『嬉しいな。大学卒業と同時に私達、夫婦になるんだね!お父さんとお母さんに報告しなきゃ!」
まだあどけなさの残る笑顔で、涙ながらに約束を喜んでくれた彼女はもう既に他の男の所有物だった。
余りにも精神的負荷が大き過ぎた為であろうか……俺はいつの間にか気を失っていた。
気が付いたのは、それから丸一日近くも経った後だ。
再生を終えて沈黙したままのDVDは先ほどの悪夢が現実であることを暗に告げていた。
何もしたくない……何処かに消えてしまいたい。
だけど……本当に、真桜が俺を裏切る事なんて、ありえるのか?
昨年のクリスマスに初めて真桜と体を重ねた時、彼女が流した涙は本当に偽りだったのか……?
それからの俺の行動は早かった。
体を動かしていないと頭がおかしくなりそうだった。
真夜中にも関わらず、俺は通学用の原付バイクに跨り、荒々しくエンジンを始動させる。
俺の所有している原付バイクでは高速道路を利用できない……だが、そんな事は構わない。
200km離れた地元へ向かって、俺は真夜中の一般道を走り続けた。
およそ5時間ほど走り続けたであろうか。
全開走行を続け、オーバーヒート寸前のバイクからは、何かが焼けたような異臭が漂っていた。
それに反して、ヘルメットの中がやけに冷たく湿っているのは、汗なのか涙なのか……もう分からなかった。
俺は今、真桜の家の前にいる。
早朝とはいえ、もうしばらくしたら、彼女も大学へ行く為に家の外に出て来るであろう。
その時、彼女は喜んでくれるだろうか。ただ驚くだけだろうか。
それとも――
玄関の扉が開いた。
そこから出てきたのは真桜と……アイツだった。
真桜と一緒に出てきたそいつは俺と真桜が通っていた高校の新任教師で、当時、女生徒達の間ではイケメンだと持て囃されていた男だった。
何故アイツが……?
そんな疑問が頭を駆け巡る間に、アイツは真桜へ顔を寄せていき――キスをした。
長い…長い口付けの末、うっとりとした表情でアイツを見上げる真桜の瞳が、先ほど観たビデオの中で淫らにキスをせがんでいた知らない女の瞳と重なった。
全て理解した。俺は…何と愚かであったのか……。
その日、真桜の両親は旅行に行っており、家を空けていたようだ。
つまりアイツは両親の留守をいい事に、真桜の家で一晩中彼女と体を重ね合っていたのだろう。
自分のアパートへ帰る途中、無理をさせ過ぎた原付バイクはエンジンが壊れてしまい、そのまま廃車となった。
思えば、この原付には世話になった。
4年に及んだ大学生活を一緒に過ごした相棒も、俺は失ってしまったという事か。
(ごめん。ありがとう……。)
原付を買ったと同時に購入し、ずっとイグニッションキーに取り付けていたキーストラップに向けて、俺は心の中で謝罪と感謝を送った。
あれから月日は流れ、今日は俺と真桜の結婚式。
どういう理由か、真桜はアイツが俺にビデオレターを送り付けた事を知らないようだった。
その証拠に電話で「私、みっくんの赤ちゃんを妊娠したかもしれない」とか白々しく告げてきた時には正直、殺意を抱いた。
俺が真桜と体を重ねた回数は2回のみ。
最初の1回は俺にとっては初めての性行為で全く余裕が無く、何も分からなかったが、2回目……彼女に思い出の公園でプロポーズしたあの日の数日後に行なった時は、彼女の様子を注意深く観察してみる事にした。
結論から言えば、彼女はとても慣れているように思えた。
言うなれば、上手な人が敢えて不慣れなフリをしている……そんな演技が出来るほどに経験があるという事なのだろう。
ちなみに、何故俺が真桜の妊娠を知りつつも再び彼女と肌を重ねたのか。
その理由は簡単、彼女の偽装工作に付き合う事にしたからだ。
それによって、彼女は安心して俺と結婚……もとい、地獄へと進む事ができるようになる。
あのビデオレターの中での言動が本当ならば、俺がプロポーズした時、既に真桜はアイツの子を妊娠していた事になる。
それを隠す為にはどうすべきか……簡単だ。俺ともう一度交わって、妊娠した子が俺の子だと偽ればいい。
女性経験に乏しい俺ならば、簡単に騙せると踏んだのだろう。
本当に最低最悪の所業だ。
こんな女の為に、俺は青春時代の貴重な時間をどれほど費やしたのだろうか……。
費やした…か……その言い方だと、俺が真桜に何かしらの見返りを求めていたようにも聞こえるが、そうではないつもりだ。
俺は彼女をを心の底から愛していたから。だが――
(今日で終わりだよ、真桜。俺達はこれから最高のエンディングを迎えるんだ。)
俺はヴァージンロードの上、父親に手を引かれながら歩いてくるウエディングドレス姿の真桜に向かって、最高の笑顔で微笑んだ。
俺がこれから行おうとしている事は、おそらく倫理的に許されない事だ。
下手したら刑事罰すら負わされかねない行為だ。
それ以前に、今ここに俺達を祝福する為に集まってくれた人達の好意を踏みにじり、式場のスタッフなど関係の無い人達をも巻き込み迷惑を掛ける最悪な手法だ。
だが……俺はもう止まれない。
結婚式はつつがなく終了し、結婚披露宴の最中。
友人達からのスピーチもすべて終わり、宴もたけなわというところで、俺はふいに切り出した。
「エンディングムービーの前に、俺と真桜が通った高校の恩師から、祝福の動画が届いていまして……ここで、再生させていただきたいと思います」
「え……?」
俺の隣で微笑んでいた真桜の表情が凍った。
その瞳からは予定外の行動を取った俺に対する疑問だけではなく、明らかな不安が見て取れる。
俺はそれに気が付かないフリをして、スタッフにDVDを差し出す。
まるでスローモーション映像を見ているに錯覚するほど、長い…長い時間。
スタッフが操作するDVDプレイヤーの中にそれは吸い込まれていき……。
――時が止まった。
誰一人として動けなかった。
誰一人して言葉を発さずに、ただ茫然と画面を見つめていた。
「いやぁあああああああ!!!」
ふいに真桜が上げた断末魔の叫びによって、時が動き出した。
スタッフ達は慌てて再生を止め、俺に詰め寄ってくる関係者達。
だが、その他のほとんどの人間の視線は、俺の隣で絶叫するドレス姿の幼馴染に注がれている。
『最高です!みっくんみたいな下手くそより、貴方の方が何倍も素敵ですっ!』
動画の中でそう悦び叫んでいた花嫁に。
気が付けば、真桜は失神しており、式場は異常なほどの静けさに包まれていた。
(真桜……これが、俺とお前のエンディングだよ。)
崩れ落ちる真桜の体を抱き止め、俺は真桜に向けて最後にして最低の笑顔を贈った。
次の日、俺の家族である大井家と、真桜達の小池家で家族会議が開かれていた。
議題は当然、先日の結婚披露宴で流された動画についてだ。
「真桜……あの動画を撮ったのは、あなた達の高校の先生で間違いないの?」
すっかりやつれた真桜の母が尋ねる。
それに無言で頷く真桜。
おそらく昨日から眠っていないのだろう。生気を失った顔をした彼女はまるで幽鬼の様だ。
「あの動画の内容、光臣くんは知っていたのかね?」
鋭い目つきでこちらを見つめる真桜の父。
「いいえ、俺も披露宴で初めて見ました。」
しっかりと真桜の父親の瞳を見つめ返し、俺は告げる。
もちろん、俺の答えは完全に嘘なのだが、そうしなければ、俺が訴えられかねない。
あくまでも俺はそのDVDの中身が結婚する俺達へ贈られたアイツからの祝福ビデオレターだと思っていたと事実を偽る事にした。
最悪、後程バレる分には構わないのだが、今は憎悪の対象を俺ではなくアイツへ向ける必要がある。
今度は真桜の方へ向き直った真桜の父が質問を続ける。
「真桜、動画の中にはお前が制服を着ているものもあったな?日付も5年前のものだったし…お前……学生の時からその教師と関係を持っていたのか?」
アイツを庇い立てするのかとも思ったが、この質問にも真桜は肯定で応えた。
その答えに憤慨した真桜の父は、真桜の頬を平手打ちした後、「未成年者略取でその教師を訴えてやる」と席を立った。
そう…あの動画の中には撮影された時点で、真桜が未成年であるものも存在する。
保護者の同意を得ずにそういった行為に及べば、略取・誘拐罪に問われる可能性があるのだ。
これで、アイツの教師人生も終わりだ。
ただ、不可解な事もある。
アイツがわざわざ俺にビデオレターを送ってきた意味が解らない。
自分が真桜を妊娠させて、その責任を俺になすり付けたいのであれば、ネタばらしをしてしまえば本末転倒だ。
アイツにとって、急に方針転換をせねばばらなかった何かがあったのか?
それとも、俺のようなお人好しであれば、何も言わずに泣き寝入りすると踏んだのか?
解らない…解らないが、お陰でアイツにも無事に最高のビデオを贈ってくれたそのお礼を届けられるだろう。
「それで……二人はこれからどうするつもりなんだ?」
それまで黙ったまま、厳しい顔をしていた俺の父が呟いた。
「式は挙げたが幸い、籍はまだ入れていない。……別れよう、真桜。」
俺がそう答えた瞬間、それまで黙ったまま俯いていた真桜が顔を上げた。
彼女の両目は大きく見開かれており、絶望を宿した瞳が揺れていた。
「嫌……嫌だ…嫌だよ!みっくん、お願い!許して下さい…お願いします……!」
突然、土下座を始めたかと思えば、今更のような懇願。
「それは…俺に、アイツの子を育てろって意味か?」
「「「え……?」」」
真桜とその母、俺の母の三人の声が重なった。
俺の父だけは何となく予想が出来ていたらしく、一度深呼吸して話を切り出した。
「真桜ちゃん、私達が見た動画の中で君は避妊をしていないように見えたのだが……どうなのかな。」
「そ…それは……。」
真桜の蒼白だった顔色がさらに青みをます。
「真…真桜……。あなたまさか……!!」
真桜の母親もこれには正気でいられなかったようで、真桜に詰め寄った。
「…光臣は真桜ちゃんが妊娠している事を知っていたの?」
一方、俺の母は一瞬取り乱したものの、比較的冷静に俺へ質問をしてきた。
「ああ、先日真桜から俺の子を身籠ったかもしれないという旨の電話があったからな。だが、あんな動画を見せられた後では、その子が俺の子供かどうかは甚だ疑問だが……。」
「「真桜ちゃん……。」」
俺の両親が真桜を見つめる。
幼い頃から真桜の事を実の娘のように思っていた二人からすれば、今はどのような心境なのだろうか。
少なくとも、今の二人が真桜に向ける視線は親愛のそれではない。
憐憫…諦観……そして、拒絶。
もう、俺の家族と真桜が楽し気に食卓を囲むことは未来永劫無いであろう。
「真桜…どうして……?」
それは真桜の母にしてもそうで、彼女が真桜に向ける瞳は実の娘に向けたものだとは思えなかった。
相変わらず、言葉を発しない真桜だったが、その口は何かを告げようと開いては閉じを繰り返し……その内に過呼吸にでもなったかのように苦し気に胸を押さえながら涙していた。
真桜の瞳を真っすぐに見つめると、絶望を湛えたその瞳に微かに希望が宿る。
甘っちょろい俺ならば……と、勘違いでもしたのだろうか。
だが、これが最後の手向けだ。
俺は大きく息を吸い……小さく、それでもはっきりとした声でそれを告げた。
「さよなら……真桜。」
泣き崩れる真桜の姿に、俺に告白してくれたあの時の真桜の影が重なる。
大切に思っていた幼馴染を…一生かけて幸せにしようと思っていた女性を……俺は最悪な方法で突き放したのだ。
真桜の上げる慟哭が耳を突き刺し、胸が張り裂けそうになる。
復讐にしても、俺がやった事は明らかに許される域を超えている。
真桜やアイツのみならず、家族や友人、支えてくれた大勢の人達までもを不幸へと誘う悪魔の手法を使ったのだ。
もはや、俺に真桜を責める事など出来はしない。
もし死後の世界があるのならば、俺は地獄へ落ちることになるのかもしれない。
だが、願わくば――
――これが君に捧げる最高のバッドエンドでありますように。