第三話
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その男は先ほどから、
あるビルの前を行ったり来たりしている。
ただ行ったり来たりしているのではない。
そのビルの様子を通りざまに、チラリチラリと確認している。
他に通行人が来ると立ち止まり、
ポケットやらカバンやらをごそごそとやり、
スマホやタバコ等を取り出し、手に持ったりする。
しかし、それは何も、実際に電話を使用したり、
タバコを吸う為ではない。
その場に立ち止まることの「理由」の為だ。
その証拠に通行人をやり過ごすと、
男は再びそれらをポケットやカバンにしまい込み、
また行ったり来たりを始める。
わかりやすい。
なぜ、人のああいう行動はわかりやすいのか。
大抵の場合、
やっている本人はごく自然にしているつもりなのだろうが、
他から見て、絶対にそうは見えない。
演じられている、とでもいうのか。
映画や舞台でのしゃべり方、リアクションなどを、
もし現実の世界でやったならば、
明らかに周囲から浮いて見えるだろう、というのと原理は一緒だ。
その男は、明らかに演じている、のだ。
それもかなりのダイコンだ。
そしてあまりにも実直すぎる。
俺は見ていて少々居た堪れなくなってきた。
普段ならば人間観察のつもりで、もう少し眺めていたりもするのだが…。
俺は一つため息を付くと、身を潜めていた電柱の陰より歩み出た。
その歩み出る俺の姿を、
ちょうど横を通りがかった、またもやおばさんに、
ぎょっとした様子で見られてしまった。
そうか。他者から見れば、俺も演じているんだ。
俺は諧謔じみた様子で頭を2、3回軽く掻いた。
所詮俺も他から見ればあの男のように、
無様に演じているただの一人に過ぎないのかもしれない―。
そんなことを考えながら、俺はその男にゆっくりと近づいた。
俺の気配に気付いた男は、
例のごとくその場に立ち止まり、ポケットをゴソゴソとやり始める。
ポケットからスマホを取り出すと、
何やら画面を指で必死にタップしたりしている。
しかしそれは「空タップ」とでもいうのか、
「タップ」という行為の為だけの、意味のない「タップ」に違いない。
俺は男の斜め後ろまで来て、一旦立ち止まったあと、
「こんにちは」
挨拶をする。
その挨拶に、特に感情は込めない。
変に馴れ馴れしくしたりすると、
かえって相手に警戒心を与えかねないからだ。
出し抜けに背後から聞こえた挨拶に、
男は瞬間的にピクリと反応したが、振り向くことはなかった。
当然だ。
これは何も振り向かす為にした挨拶ではないし、それを期待したものでもない。
これから続ける言葉の、いわば「前置き」のようなものだ。
俺は続ける。
「どうぞ、事務所は2階です。
詳しい内容は、そこでお聞きしましょう」
男は今度も瞬間的にピクリと反応したが、やはり振り向くことはなかった。
しかし今回は、微かだが首を縦に動かすと、
口や喉が渇ききっているのか、搾り出すようにして、
「はい…、お願いします」
と、小さく答えたのであった。