心ない令嬢と黒公爵
人生は決まっているものだと、ずっと思って生きてきた。
大国の伯爵、その娘として生まれてきた私の生い立ちを聞けば、誰もが恵まれた、富裕の人間であると言うことは分かっている。
それなのに、一つも自らの義務を理解せずに、いつも自分の部屋から遠く空を泳ぐ白雲を眺めているのは愚かであるとも言うだろう。
確かに経済的に、私は恵まれている。
父母も優しく、伯爵家を継ぐことになる弟も私のことを決して粗雑に扱うこともなく。
私はただただ静かに、穏やかに生きてきた。
けれど……。
人が果たして満たされるかどうかは、金銭的に恵まれているかどうかではきまらないということを、私はこの十六年の人生の中で、学んだ。
また、家族が優しいから、私のことを思ってくれているから。
そのことも悲しいかな。
私の心を少しも動かさないことも知ってしまった。
誰も、人が嫌いなのではないはずだ。
豊かな生活を憎んでいるわけでもない。
人の不平等について不当だと怒りを持っているわけでもなく、然りとて平民のように誰とでも分け隔てなく接することのできる立場が欲しいわけでもない。
では一体私は、何を求めているのか。
何が足りなくて、これほどまでに飢えがこの魂を乾かすのか。
それを私に教えてくれたのは、意外にも、私のようなどうしようもない娘を欲してくれた、北の黒公爵。
悪魔の如くだと言われる、クリストハルト・レギン公爵だった。
*****
「……クレール・アドラ伯爵令嬢。私は今日この時をもって、お前との婚約の破棄を宣言する。その虚無を湛えた瞳を見る度、私は恐ろしいのだ。だから……」
ステル王立学院のエントランスで、私の婚約者であるはずの人がそう叫ぶ。
十年も昔に決められた婚約。
王族と伯爵家の間での取り決めで、それは伯爵家に連綿と伝わる特殊魔導を王家へと流すための、ただの契約であるはずだった。
だからこそ、私の婚約者……アダム・ラン・ステル第一王子殿下は、決してその婚約を破棄すべきではなかった。
それなのに……。
また、怯えながら口にすることでも、ないだろう。
それほどまでに私と婚約していることが嫌だったのなら、面と向かって、はっきりとそう言えばいいのに、先ほどからずっと私と目が合うことはない。
「王子殿下……その言葉の意味を、本当に分かっておいでなのですか?」
私と彼との婚約は、ただの口約束ではない。
いわば、国家によって認められた、破ることの出来ない契約。
果たしてその意味を正確に理解しているのかと、そう思っての質問に、アダム殿下は、
「分かっているとも。私に全ての責があることも、これによって私の王位継承権が危ういものになることも……それどころか、私そのものが、この国から追放される可能性があることすら!」
「そこまで理解していて……なぜ? もしや、最近噂になっている、平民の女性とのことが原因でしょうか? でしたら、ご心配なさらずとも、いくらでも囲えばいいのです。たとえそうしたところで、私は貴方様の恋愛事情に決して口は出しません。私自身のことにしても、国王になられたときには、どれだけ虐待していただいても構わないのですよ。なんでしたら……適当な時期を選び、殺害すらされても構わないですのに」
それは、紛うことなき私の本音だった。
王家に嫁ぐ、というのはつまりはそういうことだからだ。
どんな平穏をすら、諦めなければならない。
ある日突然、夫の気分で殺されることがあったとしても、微笑んで受け入れる必要がある。
私にはそれくらいのことは出来る。
いや、それくらいのことしか、出来ない。
何をしようとも楽しくない。
どんなことがあっても心が凪いでいる私に与えられた唯一の役目なのだ。
殿下が望むように生き、望むように死ぬことくらい、簡単に出来る。
しかし、そんな気持ちを表面に出した私の目をやっと見た殿下の表情は、まるで化け物を見たかのように歪んでいて……。
「それだ……それだよ、クレール。あぁ、なぜお前は……そうまで何の感情もなく、全てを捨てられるのか。私はどれだけ心根の汚れた悪女であっても、妻にすることに何ら文句はない。しかし、私は人間ではないものと番になることは出来ないのだ。私は、人間だから。クレール……分かってくれるな?」
何かに怯えるように、明らかに向こう側に全ての決定権があるというのに、アダム殿下の額からは汗が流れ、息も苦しそうだった。
それこそ……まるで、とんでもない化け物に懇願しているかのように。
私は人間だというのに……。
けれど、彼がそう言うのなら。
そんな風に思っているのなら。
私に彼を説得できる言葉はないだろう。
そもそも、私はどうでもいいのだ。
私自身の行く末も、彼の心の内も、何もかも。
なぜって、何も面白くはないから。
全てが詰まらないから。
だから、私は彼に言った。
「承知いたしました、殿下。殿下との婚約の破棄、受諾いたします。今後のことについては、陛下と我が父との間でなされることでしょうから、これ以上私から申すことはございません。では……」
そう言って踵を返そうとすると、がくり、と膝を地面についた殿下のもとに、可愛らしい少女が一人、駆け寄る。
今までは端の方で口出しもせず、見ていたらしい。
彼女こそ、最近殿下との恋仲が噂されているという平民の少女で間違い無いだろう。
ちらりと見る限り、彼と少女の間には確かな絆が見え、なるほど、と思うところはあった。
ただし、それは論理的な納得であって、嫉妬とか、そういうものでは全くなく、私はまた、自分に失望する。
婚約者が誰かに奪われれば、もしかしたらこの冷たい氷のようにすら思える心も、何か溶けるものがあるかもしれないと、僅かながらに期待していた。
しかし実際には溶けるところか、さらに凍りついたような気すらしたのだ。
私は何も感じてない。
心が動かない。
私の心を動かすものは、この世界にあるのだろうか……。
この時の私には、そんなものなど存在するとはまるで思えなかったのだった。
*****
「……婚約? また?」
私が紅茶を飲みながら尋ねると、父であるアドラ伯爵、ライル・アドラが深く頷いてから言う。
「ああ。殿下との婚約は残念だったが……クレール。君のことを欲しい、と言ってくれる方が現れてね。もちろん、君が望まないのなら断るが、一度……会ってみないか?」
そう言って釣書と似顔絵の書いてある冊子を私にずい、と差し出してきた。
私の結婚事情については我が家において、あの日以来割と深刻であり、殿下に断られた以上、余程問題がある人間であると広まって、誰も私に婚約の申し込みをしない、という事態に陥っていた。
曲がりなりにも伯爵令嬢なのだから、伯爵家とパイプを繋ぎたい貴族は多数に登り、したがって私がどれだけ問題のある人間であっても、通常はそのようなことは起こらないはずだった。
それなのに……あの日の婚約破棄を、誰かがよく見ていたらしい。
殿下の怯えよう、そして語りようをしっかりと広めてくれ、私という存在について、とてもでは無いが並の覚悟では娶ることを考えるべきでは無い化け物だという話が行き渡ってしまったのだ。
だからこそ、今回の申し出は極めて珍しく、父としては私に是が非でもこの機会を逃して欲しく無いのだろう。
正直、私としては実にどうでもよく、受けても受けなくても構わない。
だからぱらり、と釣書を見て、ドキドキと緊張しながら私の答えを待っている父に、私は言った。
「……お受けしますわ」
「えっ!? いいのかい!?」
「ええ。こんな私に申し込むのです。どこぞの小身貴族でしょうけれど、私に否やはございませんわ」
「……ん? 何だって? 小身貴族?」
「……違いましたかしら?」
「クレール。いくら興味無いからと言って、少しくらい内容を読んでくれよ。ほら」
そう言って釣書を再度広げて見せたので、私はそれを読む。
「……? あら、これは……クリストハルト・レギン公爵……? 北の黒公爵でしたかしら?」
「……クレール。その呼び方は本人には絶対にしてはいけないからね」
「そうですわね。でも……どうしてこのような方が私などに……」
奇妙な話だと思った。
公爵ほどの地位であれば、それこそ嫁など選び放題だというのに。
その疑問は父も同様のようで、首を傾げて、
「確かにそれは僕にもわからないのだが……しかしいい機会なのは間違い無いだろう? 公爵夫人ともなれば、きっと幸せになれる。色々と噂の絶えない方であるのは確かだけれど、僕が実際にお会いして感じたのは、それほど悪い方ではなさそうだ、ということだよ。結婚後についても、君の好きなようにしていいとまでおっしゃっているくらいなんだ」
「そんな好条件……怪しいですわ」
「では、断るのかい?」
念押しするように尋ねてきた父。
しかし……。
そもそも、私はどうでもいいのだ。
誰に嫁ごうとも、どうなろうとも。
そう、だから……。
「いいえ。お断りなどしません。どうぞ、お話を進めてくださいな」
そう言ったのだった。
*****
レギン公爵の住まう城は、私が育ってきたアドラの地から遥か北にある山間部に建てられていた。
一見不便そうに思えるが、山の下の平野部に築かれた街とは転移魔法陣で繋がっていて、公爵家のものであれば行き来はさほどの手間では無いらしい。
私はまず、その平野部にあるアルスタの街まで馬車で行き、それからアルスタにあるレギン公爵邸を訪ねた。
そこで使用人たちに出迎えられ、そしてそこから城にまで転移魔法陣で移動した。
「……これは、美しいお城……」
飛んだ先は、城の中でも礼拝堂になっている部分であり、少し視線を上げれば煌びやかかつ荘厳なステンドグラスの姿が見えた。
翼を持った天の使いが、レギンの紋章を持つ剣を把持した青年に跪いているシーンが描かれている。
変わった意匠であるが、天の使いは権威の象徴である。
レギン家に権威を付与した守護天使を表しているのだろう、と思った。
「あぁ、ようこそおいでくださいました、クレール様。こんな寒い土地は、クレール様のような方には堪えるでしょう」
見上げる私にそう声がかかったため振り返ると、転移魔法陣の外側に使用人が既に立っていたらしいことに今更気づく。
その中でも老齢の執事らしき男が今の言葉の主だろうと思い、私は言った。
「貴方は……レギン家の家宰かしら?」
「ええ、私はレギン家の家宰、ジミ、と申します」
「気づかなくてごめんなさい。クレール・アドラよ。今日からよろしくお願いするわね」
「これはご丁寧に……早速ですが、今からお館様のところへご案内しますが、心の準備は大丈夫でしょうか?」
「心の? ええ……問題ないけれど……」
「ではどうぞこちらに」
奇妙な質問だと思った。
こちらとしてはそのつもりで来ているというのに、改めて確認されることでもない。
確かに身支度する時間くらいはあっても良かったと思うが、事前に、レギン公爵はそういったことは気にされない方だど聞いていた。
だからそのやり方に合わせるつもりで、合理性を優先したのだ。
しかし……何か、妙に噛み合っていないような。
不思議な感覚を、私はこの最初の頃から抱いていた気がする。
*****
「……お前がクレール・アドラか」
執務室で立ち上がり、近づいてきたその人こそ、レギン公爵のクリストハルト・レギンで間違いない。
黒目黒髪の美丈夫であり、武人として知られていることがよく分かる体つきをしている。
顔立ちは思っていたよりも優しく、瞳の色にも私に対する疑念はなかった。
私は少しの威圧感に気圧されそうになるも、これから夫となる人に対してそれは失礼だと考え、後ずさることなくカーテシーをして挨拶する。
「はい。クレール・アドラと申します。この度は私などのような者と婚約をしていただき、大変に……」
ありがとうございます、とまで言おうとしたところで手を上げられ、止められた。
私が首を傾げると、レギン公爵は言う。
「確かにお前とは婚約したが、まだ必ず結婚するとまでは決めていない。まずは、この城で暮らせるかどうか。そこからだ」
「ええと……?」
どういうことだろうか。
城で暮らす、その程度のことくらい、私にできないと思っているのだろうか。
これは、使用人をつけない、とか、非常に冷涼なこの土地の気候的なことに文句をつけるようなら問題外だとか、そういう話だろうか。
そんなことを一瞬で考え、レギン公爵に尋ねようと口を開きかけたが、私よりも先に公爵が、
「……今は分からぬかも知れん。だが、いずれ知るだろう。その時に、お前が俺とは結婚できぬと言っても、誰も咎めはせん。そのことを覚えておけ」
「……はあ」
「ふ……聞いていたよりも間抜け面だな。まぁ、このくらいの方がいいのかもしれん。ジミ、後は頼んだぞ」
「承知いたしました。では、本日のところはお疲れでしょう。お部屋にご案内しますので、どうぞこちらへ」
*****
それからの日々は、非常に穏やかに過ぎていった。
使用人がつかないとか、そんなことも全くなく、むしろ実家にいた時よりもずっと至れり尽くせりで、使用人の質も恐ろしいほどに高く、これが公爵家の使用人というものなのかと驚いたくらいだ。
それにレギン公爵も私に不思議なほどに優しかった。
「……クレール。不自由はないか? 何かあれば俺に直接言ってくれ」
中庭のテーブルセットに二人でつき、紅茶を飲みながら、レギン公爵は私にそんなことを言った。
私は首を横に振って、
「不自由などひとつも。それどころか、こんなによくしてもらってありがたいくらいです。それに、どうしてなのか……私、ここにきて随分と心が穏やかで……」
「……何?」
公爵の目に怪訝そうな色が宿った。
言ってはいけないことを言ってしまったかも知れない、と慌てた私は慌てて手を振り、
「い、いえ……あの、何でもないんです」
「本当か? 体調不良などないのだな?」
「ええ。むしろとてもいいくらいですけど……」
「そう、か……いや、それならいいのだ」
妙にホッとされる公爵に、私はこの時、奇妙なものを感じた。
ただ、その理由がわかったのはしばらく後のことだった。
******
レギン公爵の執務室において。
「お館さま」
家宰のジミが目の前に座るレギン公爵に話しかける。
部屋の中には二人しかおらず、何か秘密の会話をしているようだった。
ジミに、レギン公爵が言う。
「……クレールについて、どう思う?」
「あの方は……どうやら今までの方とは随分違う様子。おそらくあの様子ですと……」
「やはり、そう思うか。かつて母上に聞いた話と似ているな。極端な無気力、何者にも感情の動かない希薄な魂。しかし……」
「ええ。最近のあの方はかなり活発です。笑顔も増えてきていますし、表情にも瞳にも、光が宿っています」
「では婚約の方は進めても問題ないな」
「もちろんでございます。ただ、最終的な意思確認は必要ではないかと」
「ううむ……しかし、大丈夫だろうか? ここまで残った貴族の姫は、彼女が初めてなのだ。ここで逃げられてしまうと、俺の結婚はまた遠ざかるぞ」
「大丈夫でございましょう。あの方は……きっと分かってくださる。そんな気が、私にはするのです」
「そうか……では、明日の夜、見せるとしよう。こうなってくると少し楽しみだな」
「ええ」
******
「……礼拝堂で、いいのよね?」
自室でジミにそう尋ねると、ジミは頷いて
「ええ。それで問題ありません」
「でも、こんな夜中に来いだなんて……不思議だわ」
「貴族家には、様々な秘儀があるものです。レギン公爵家においても、一つだけ、ある。それだけの話ですので、それほど心配なさらずとも大丈夫です」
「……そう、ね。分かったわ。一人で行けばいいのね?」
「はい。城の警備は万全ですので、身の安全に関しましても問題ありませぬ。では、夜に……」
そう言って下がったジミ。
だけど私は少し不安だった。
そう、不安だ。
思えば不思議だった。
実家にいた時は全く心が動くことがなかったのに、最近はあの日々が夢だったかのように、毎日に新鮮な感情の動きがあった。
世界が光を帯びたかのように。
まるで私の心に何かが吹き込まれたかのようですらあった。
しかし特段、変わったことがあったわけでもないのだ……何故なのだろう。
「考えても仕方がない、か……とりあえず、夜を待とうかしら」
ぽつり、と独り言を言って、夜までの間、少し仮眠をとることにした私だった。
******
「……ここで、いいのよね……」
一人で、小さな明かりが照らす廊下を進み、私は礼拝堂にたどり着いた。
扉は静かに閉まっていて、周囲に誰かがいる様子もない。
仕方なく、私は気合いを入れてそれを叩いた。
すると、扉はゆっくりと音もなく開いた。
向こう側には人の姿は見えない。
魔術で開いたのだろうか?
しかしそれにしては……。
ただ、中に入るべきだ、というのは理解していた。
何かが、私をこの中に招いている。
そう思って進んでいくと、扉から離れたところで、ギィ、バタン、と音を立てて扉が閉まった。
慌てて振り返るも、やはり誰かが閉めた様子はない。
誰も人がいない。
私は何か騙されたのだろうか?
ジミに?
そんな気持ちが一瞬湧き出すも、彼がそんなことをする意味などどこにもないことを知っていた。
だから大丈夫なはずだ、そう心を奮い立たせて、礼拝堂の真ん中まで進んだ。
すると、
「……来てくれたか、クレール」
そんな声が聞こえた。
聞き覚えがあるもので、それは……。
「レギン公爵。脅かさないでくださいませ……私、何か担がれたのかと思ってしまったではありませんか……」
そう言って声の方向に振り返る。
そして私の息は止まった。
「……ひっ……!?」
そこにいたのは、レギン公爵……ではなかった。
それと似た表情をしている……何か恐ろしいものだった。
身体中にフカフカとした白銀の毛が生えていて、背中からは蝙蝠のような翼が生えている。
どう見ても、それは悪魔と言われるものそのもので……。
でも不思議だったのは、私の心の方だった。
「あ、れ……? 怖く、ない……」
それは恐るべきもののはずだった。
全ての破壊と堕落の象徴であり、関わるべきではないと言われる存在であるはずだった。
少なくとも教会はそう教えている。
それなのに……。
なんだか、深い親近感すら感じる。
私がそんな風に自らの心の動きに疑問を感じていると、その悪魔はにやり、と笑ってから、
「よし、問題なさそうだな。お前たちも出てきていいぞ」
と周囲に声をかける。
すると、いつの間にいたのか。
礼拝堂の壁際に天窓から月明かりが差し込み、全てを照らす。
すると、そこには、目の前の大きな悪魔ほどではないものの、いずれも蝙蝠のような羽を持った、様々な形の悪魔が立っていたのだ。
彼らが徐々に、私のところへ距離を詰めてくる。
一体これは何だ。
何が起こっている。
混乱する私。
でも、悪い感情はなく、どうしたらいいのかと目を泳がせていると、目の前の悪魔が、
「……すまないな、驚かせて。心配はない。私が誰だか、分かるか?」
と優しげに尋ねてきた。
分からない、と言おうと思ったが、心のどこかで私は分かってしまっていた。
「……レギン、公爵……ですか?」
「おぉ、しっかり分かっているではないか。その通りだ」
「では、周りの悪魔の方々は……?」
「この城の使用人たちだよ。あれがジミ、あれがサイラス、あっちがマリア……」
そんな風に、私の顔見知りたちを紹介していった。
全員を紹介してもらった頃には、流石に私も落ち着いていて、
「これって、どういうことなのか……教えていただけますか?」
そう尋ねていた。
公爵は頷き、答える。
「簡単なことだ。俺たちは悪魔の一族……聞いたことがあるだろう? 北の黒公爵は悪魔のごとくだと」
「それは……でも、ただのたとえだと……」
「今俺たちをそう呼ぶ者たちはそう思っているだろうな。ただ、この国の建国時には、それを真実だと分かっていた者が少なくなかった。特に王家は」
「本物の……悪魔でいらっしゃる?」
「ああ。俺たちの一族は、建国王と契約し、北の蛮族から国を守る代わりに、このレギン領を提供してもらっている」
「……人を食べたりとかするために?」
「まさか。まぁ、俺たちの先祖はそういうこともあったらしいが、今の俺たちの食生活は人間と変わらないさ」
「本当に、ですか?」
「本当だよ。お前だって、人間など食べないだろう?」
唐突にそう言われて、私は首を傾げる。
「え?」
「……やっぱり、気付いていなかったか。実はな、お前は悪魔の血を継いでいるのだ。他の土地にいた時、ひどい虚無感を感じてしょうがなかっただろう? あれはな、この土地に縛られた悪魔の血がそうさせるのだ。契約外の場所にあまり長くいると何もする気がなくなってしまう。一年二年なら平気なんだが、流石に五年十年となるとな……」
「……私が、悪魔……?」
信じられない話に思ったが、しかし心当たりはたくさんあった。
虚無感、倦怠感、何もする気の起きない凪いだ心、全て私を苦しめてきたものだ。
そして、ここに来てからは徐々になくなってきたもの……。
「だから私と婚約を……?」
「噂でお前の様子を聞いていた。だからもしかして、とな。ちなみに悪魔の血を引かないものがこの城に、そして俺たちの近くにいるとだんだん気が滅入っていく。それもなさそうだったことも、決め手になった」
「そう、だったのですか……」
なぜ、私なんかと婚約をしたのかと、不思議だった。
理由がこうまで分かると、すっきりとする。
ただ……そうなると、かえって不安になることもあった。
「……では、特に私のことが気に入って、というわけではなかったのですか……」
この城にいる間、公爵はずっと私によくしてくれた。
その日々が楽しく、ずっとこうしていられればと、この方と結婚できるというのなら、今までの何もなかった日々も報われるのかもしれないと、そんな気持ちすら感じていた。
しかしどうやら、そうしてくれた理由は、特に私が気に入ったわけではなかったようだ。
そしてだとすれば、私と婚約など申し訳ないと思った。
私はこの土地にいれば今のように満たされた心を取り戻せるらしい。
それが分かったのだから、それで十分だ。
公爵には無理な結婚などしないでもらって、ただ私はここに置いてもらえないか頼めればそれでいい。
そうも思った。
しかし、そんな私に、公爵は慌てるように言った。
「いやいや、待った。そうでは無いぞ! 俺はクレール。お前を気に入っている。城の皆と分け隔てなく接してくれるし、その、俺個人としてもだ……お前がずっと隣にいてくれれば、とも思っている。だからな……ジミ! あれを」
公爵の後ろからジミが近づき、公爵に箱を渡した。
そしてそれを公爵が開くと、そこには指輪が一つ入っていた。
「改めて、だ。クレール殿。どうか、俺の懇願を受け入れてほしい。これから先、何があろうとも、俺の隣で、俺のことを助けてはくれまいか。その証に、この指輪を送る。そして俺は貴女のことを永遠に守ると誓おう……どうだ?」
それを聞いた時、まるで私の呪縛が、心にかけられていた鎖が、弾け飛んだかのように強い感情の動きが私を襲った。
そして気づけば、頬に涙が流れているのを理解した。
跪きつつも、心配するように公爵が、
「ク、クレール……!? 大丈夫か?」
と尋ね、そのフカフカした腕で私の涙を拭ってくれる。
その様子に、私は自然と笑顔になり、そして気づけば言っていた。
「レギン公爵……どうぞ、私を貴方の腕の中でお守りください。いついつまでも、私が貴方の心を支えることを、私クレールは、永遠に誓いますわ……!」
その瞬間、周囲にいた悪魔たちがどこから取り出したのか、楽器を奏で始め、そしてレギン公爵が私の指に、不器用そうに指輪を嵌めてくれた。
それは奇妙な光景だった。
周囲を悪魔たちに囲まれ、まるでどこかの暗黒の祭りのようなのに。
今まで私には与えられなかった安らぎと、暖かな気持ちで満ちていたから。
あぁ、私は……取り戻したのだ。
人が人であるのに最も大事なものを。
心を。
けれどそれが、悪魔の手に依ってであることは、歴史書にすら書かれることはないだろう。
残るのは、私クレール・アドラが、クリストハルト・レギン公爵に嫁いだということだけ。
そしてそれでいいのだ……そう思ったのだった。
急に書きたくなって書いた三題噺です。
三題は、「山」「告白」「危険な城」でした。
もし少しでも面白かったな、と思われましたら、
下の方の☆五つを★五つにしていただけるとありがたいです。
どうぞよろしくお願いします。