ラグビーワールドカップで、にわかラグビーファンの私が戸惑っている件
ラグビーすごい。
ラグビー面白い。
ラグビー最高!
日本対ロシアの開幕戦をテレビで見て、ラグビーの面白さを脳にぶち込まれ。
日本対アイルランドのワールドランキング上位に対するジャイアントキリングに興奮し。
日本対サモアの戦略に痺れ、完全にラグビーファンとして覚醒した。
興奮した私は、ラグビー誌を買って読み漁り、過去の動画を見漁った。
覚醒した私は、部屋に筋トレ器具が増え、筋トレ内容もマウスピースを買うくらいにハードになった。ラグビーを見ていて、あの事故かと思うくらいの身体のぶつかり合いに、自分も身体を鍛えなくてはいけないと居ても立っても居られなくなったせいだ。ラグビーのおかげで腕の固さが増してきて良い事ずくめだ。
そんな、にわかファンらしさタップリに中身の伴わない知識を詰め込んでワクワクしながら待ちに待った予選最終戦。開催が危ぶまれていたけれど無事に開催され決勝リーグ進出を掛けてのスコットランド戦をテレビで観戦した。
スコットランドは強敵だ。
2015年ワールドカップで日本は南アフリカを劇的勝利で破ってから、中3日で対戦し45対10で敗れた。
結果だけ見れば大差がついているが、前半は12対7で折り返し十分に健闘し、しっかりと戦えていたと思う。
ワールドカップの動画はフルでyoutubeに上がっていたので私同様これまで見ていなかった、にわかファンには是非見てほしい。2019年も活躍している選手が奮闘している姿がそこにあり、手に汗握る試合が繰り広げられていた。
そして私同様にわかファンは「ん?」と感じる事だろう。
私は『にわかファン』だ。
スポーツ観戦については、とことん『にわか』である。
サッカーワールドカップでもにわかファンになったくらいのにわか率の持ち主であり、胸を張って「そうです。私がにわかです」と言える程に、にわかファンだ。
正直なところ、私はスポーツ観戦に興味が無いタイプの人間である。
だからこそ、にわかファンにしかなれない。そういう人間だと自分自身で理解していた。
この理解に至るまでの理由はちゃんとある。
これまで私はスポーツに触れる機会はそこそこにあったし部活は運動部だった。社会人になってからもフットサルなんかは友人に誘われて時々参加していたし、テニスは見た目よりもハードだが運動にちょうど良い。川下りはエキサイティングなスポーツで、バドミントンはスピード感が超絶楽しい。バレーは連携できて決まった時の連帯感は素晴らしい。
そこそこ色々なスポーツには触れた方だと思うし、スポーツというもの自体は好きな方だ。キャッキャやってるのは滅茶苦茶楽しいし観戦よりも実際にやる方が何倍も楽しい。スポーツは見るではなく、やるものだ。そう強く思っている。
決して野球やサッカーの観戦を乏しめる意図はないので誤解しないでほしいのだが、私はプロ野球やJリーグは友人につられて生の試合も見に行ったことがある。だけれど生で観戦した感想が、まったく楽しめるものではなかったというのが、観戦に対する苦手意識の大きな理由となっている。
なにせ体験した観戦では選手は遠く、点でしか見えない、もう中継で見ていた方が分かりやすいし楽しいレベル。そしてぼったくり気味の価格設定の飲食物たちに帰宅時の混雑ぷりも面倒だった。特にこの帰宅困難っぷりは、もう2度と生のスポーツ観戦は行くまいと決心したくらいに嫌な思い出だ。だから観戦する時はテレビで見る。それくらいにしかスポーツ観戦に興味はない。
こんな私だからこそ、にわかファンにしか向かない性質なのだと思っていた。
実際サッカーワールドカップのにわかファンの時は、内容の面白さというよりも盛り上がりの話題性という点でのみのファンだったと思う。どこに行ってもサッカーの話だから必要な話題だった。そして応援しているフリはどこででもウケたし便利だった。
要は『にぎやかし』要員。でも、この『にぎやかし』という存在も必要な要素だと思っている。競技を盛り上げるし、やっている本人もそこそこ楽しめるから良いと思う。盛り上がってる時に一緒にウェーイ! で、みんな幸せ。
私はにぎやかしモブ。それでいい。
そうスポーツ観戦を諦めていた。
そうだ。今、思えば、私は諦めていたのだ。
私はどうやってもスポーツ観戦を心から楽しめないんだと。
スポーツ観戦するくらいなら美術館で現代アートを眺めていた方がまだ楽しめる。そう自分を括っていたのだ。そしてそれで別に構わないと楽しむ限界を作って諦めていた。
そんな私がオープニングのロシア戦を見て雷に打たれた。
『なんだこれ』
今までスポーツ観戦で握力が発生したことなんてなかった。
『なんだこれ』
今までテレビの前で自分の鼓動が分かった事なんてなかった。
『なんだこれ』
試合終了で泣いたことなんて無かった。
放心に近い状態になりながらテレビを切っても、頭の中に『ラグビー』の存在が居座っていた。
ふとした時に『ラグビー』を思い出す。
ただ観戦しただけのスポーツが勝手に頭に思い浮かぶなんていうのは初めてのことだった。
私はラグビーの魅力に取りつかれてしまったのだ。
ラグビーが見たい。
もっと見たい。と。
スポーツ観戦に対して興味を持てなかった私が、ここまでラグビーの魅力にやられたのは、いくつかの理由が思い当たる。
まず大きな要因に『紳士さ』がある。
屈強な男たちの殴り合いをも彷彿とさせるようなぶつかりあい。事故が起きて大けがしてもおかしくない程の鋼のような肉体のぶつかり合い。
だがそのぶつかり合いに『全員がルールを守り真摯に真正面からぶつかり合う』という心が見えた。
ルールを守り、フェアにプレーする。
試合が終わればノーサイド。敵も味方も無い。
この精神性に一番にやられた。
武士道、騎士道を思わせるようなこの心。男と男の戦い。この熱苦しいまでの精神性が私の心をがっちりと掴んで離さない。
さらに選手たちの『ひたむきさ』
15人の選手、そして控えの選手の全員が、チームの為に、勝利の為に、一所懸命という文字の通り、命をかけるように献身する。その真剣な姿は、他のスポーツを見ていた時には感じる事のできない迫力を生み出していた。
耳が千切れそうになりながら、骨が折れそうになりながらも身体を張ってチームの勝利の為に頑張り続ける。いや、骨が折れても頑張り続ける。その気迫の生み出す迫力はテレビ画面からでも嫌というほどに伝わってくるものだった。
そして、そのパフォーマンスを保ち続ける為の『努力』
日本代表の合宿内容を調べてみると、RWC2015の合宿の時には、早朝も早朝から常人が真っ青になるような信じられないメニューをこなしている。
2019年の合宿の期間は240日だ。それだけの期間の全てを戦いの準備に費やしてきた。
その間の日本代表の報酬は1日100ドルだとヘッドコーチのジェイミージョセフ氏は語っている。企業所属の選手も多いだろうが、その苦労や心労の度合は想像に易い。払った犠牲も少なくないはず。そんな中でも、ただひたすら日本代表として日の丸を背負って戦う為に、彼らは努力を積み重ねてきてくれたのだ。
そこに感動し、尊敬しないことなどできようもない。
友情、努力、勝利。
男の憧れる物が全て詰め込まれているラグビー。
それが面白くないはずがなかった。
そんな風に面白さに心酔し、ハマりにハマった状態で待ちに待ったスコットランド戦。
このスコットランド戦。
実は開催前から『ん?』と思うことがちょっとずつあった。
『中3日はスコットランドが不利だ』と文句があったという記事が出たりした。
こういうのはマスコミお得意の『日本は汚い』という印象付けの為のジャパンディスカウントの一環だろうと思いスルーした。
まぁ、前回2015大会で中3日で日本代表も戦ってるんだから、ぶつくさ言うな。とは思ったが。だがまぁスルーだ。
次に台風での中止の可能性について。
今回の台風で日本は多大な被害に見舞われた。
私の知り合いも床上浸水の被害にあっている。
それほどに大きな災害だった。移動の困難さや選手、観客の安全確保を考えれば中止になっても仕方ない。むしろ中止になって当然とも思える。そんな災害が運悪くやってきてしまった。
結果、ニュージーランドとイタリア戦、イングランドとフランス戦、ナミビアとカナダ戦は台風の影響で中止になっている。
どの国の選手も中止は嫌だっただろう。戦いたかっただろう。運営だって中止にしたくなったはずだ。いや、収支なんかを考えれば運営が一番中止を恐れていただろう。だが、それでも中止もやむを得ない事情だったと理解できる。
中止になった中、カナダの選手が、ナミビアの選手が、清掃ボランティア活動を行ってくれたことには、ラグビーの選手の気高さが現れていると心から感動し、そして尊敬した。
なんて素晴らしい人たちなんだろうと。ラグビープレーヤーは心も健やかな人間なんだと。
だが、スコットランドは言った。
「試合中止したら訴える」と。
この最終戦の前、スコットランドはプールAの予選順位3位。上位2位までが決勝リーグに出場する為、試合中止になれば引き分けとなり予選敗退が決定する状態だった。
開催したい気持ちは分かる。
私だって日本とスコットランドの戦いを見たくて仕方なかった。
だが日本は台風の傷跡が大きく残った状態。そんな状態を引き起こす程の災害が通った後だぞ? 人も死んでる災害だ。思っても普通言うか? まして訴えるとかアホか? と、スコットランドにイラっとした。
そして、その言い分は同時に、さも『日本相手なら4つトライを決め、7点差をつけて圧勝できる』自信があると言っているように感じた。
あの強豪であるアイルランドに勝った日本、スコットランドを圧倒したアイルランドに勝った日本の姿は、彼らには見えていなかったように思えた。
『運よく勝っただけの雑魚だろ』『偶然勝っただけだろ』そういう風に嘲っているように思えた。
もちろんスコットランドとしては、プレーできないことを回避したいだけで、そこにそんな意図はないのだろうが、感じてしまった私は、またスコットランドにイラっとした。
そして、なんとか台風を乗り越えての開催となった日本対スコットランド戦。
私は正座してテレビ観戦した。
ビールはもちろん横に2本置いて観戦した。
スコットランドはティア1と呼ばれる世界の1流と認められたチーム。決して楽な相手じゃない。それでも今の日本代表はやってくれるんじゃないか。そう期待に胸を膨らませて待機していた。
試合が始まり最初にスコットランドにトライを決められ、暗雲が立ち込める中、日本は連続トライを決めてくれた。
『いける!』『スコットランド相手でもやれる』『勝てる』そういう感情で興奮の嵐だったが、前半だけで、日本の選手のこれまでにないペースでの負傷が気になった。
日本選手の負傷は、スコットランドもティア1の意地を感じさせる激しさだったから、その影響だと思っていた。
後半もトライを決めてから、スコットランドの猛攻が始まり迫られてくる展開でハラハラしたが、ここにきて、スコットランドの選手の動きに気づく。
『これ、選手自体をつぶしに来てね?』
思い返してみると前半でも結構危険なプレーがあった。
にわかファンで素人の私が見て危険と思うプレーだ。なんでカード出ないんだと思ったが、日本有利なジャッジをしたとかスコットランドがレフェリー批判をすることを恐れたのかと思っていた。
なにせ開催で訴えるとかいうのだ。負けたらレフェリーを訴えるとか普通に言いだしそうだからだ。
スコットランドはオフサイドじゃね? と思うプレーも沢山あったし、スクラムでもコラプシングが多かったような気がする。なぜか日本の反則になったけど。
他にもTMOで反則であることが明らかなプレーでも反則した本人は「ふざけるな、どこが反則だ」というアピールしている時の顔が凄く印象に残っている。本人が一番反則だと分かっているはずなのにね。
これはまだ海外選手ならありえそうな印象があり納得できるが、だが選手を潰すプレーは違うだろう。そこに正々堂々と戦う紳士の姿は無い。
私は素人だから判断が間違っているのかもしれないが、私が見ていた中で、この試合のスコットランドの選手はラフプレーはとにかく多かった。
ショルダータックルの狙う位置、タックルに来た選手に対する目つぶし、ボール外での不必要なタックル。決定的なのは松島選手に対するジェイミーリッチ選手の押し倒しエルボー。それに田村選手に対する顔面めがけた膝蹴りだろうか。
このプレーの連続には、もう憤りを隠せなくなった。
これがティア1と呼ばれるスコットランドの1流のプレーヤーのやることなのか?
1流は、他の選手や観客から憧れられるプレーをするから1流のプレーヤーなんじゃないのか?
今も尚、このエッセイを記すくらいに悶々としたものが胸から離れず宿りつづけている。
2015年のワールドカップでも、紳士さに欠けるふるまいはあったが、本当にこれが1流のあるべき姿でいいのか?
ノーサイドの精神で試合終了すれば敵味方無し。
その精神に憧れ、にわかファンの私は、その憤りを飲み込んで『どっちもよくやった!』そう思おうと思っているのだが、薄いしこりがまったく消えないのだ。心の中の『なんでだ』という気持ち悪い残渣が残り続けている。『これがラグビーでいいのか?』と。
日本代表は相手の出方に関わらず、どこまで行ってもしっかりとルールを順守する姿勢をみせていたように感じた。モールやラックを作っていた時もそれが分かる。だが対するティア1のスコットランドは『ルールは適当、いい加減にやっていい』と言っているようなプレーだと感じた。
同じティア1のアイルランドは『これぞ力』と言わんばかりのパワーで押してくる姿勢が美しかった。アイルランド魂を感じた。フェアプレーを守りながら力押しする姿、そしてそれを堪えて必死に守る姿がとても見応えがあり感動した。
だが、彼らも予選敗退の可能性が出てきている状況だと、スコットランドのように
負けられない試合だから、相手を壊してでも勝てばいい。
どうせ終わればノーサイドだ好きにやる。
そう感じるような試合をしたのだろうか。
私の好きになったラグビーの最高峰がコレなのか。
俺の惚れたラグビーの現実はコレなのか。
ラグビーファン失格であるが、戸惑いが、どうにも胸から離れない。
とりあえず、ここまで書いたら、気持ちを結構発散できました。
愚痴っぽいエッセイを書いてしまい、すみませんでした。
試合は終わり、日本代表の戦いはまだまだ続く。
さぁ決勝リーグは優勝候補、南アフリカが相手!
ラグビー日本代表の可能性を信じて応援します!
尚、その後の日本代表とスコットランド代表のやり取りを聞き、にわかファンはノーサイドを心がけるように反省した模様。