-番外編- 提督玉砕大作戦
キシリア内戦に勝手に関わった一件で謹慎処分を受けた海軍提督オーウェン・ブレイクリーは、王都にある自分の屋敷にてぽけーっと椅子に座ったまま呆けていた。
しばらく船に乗れないというのは提督にとって重篤な問題ではあるのだが、恐らくいまは、別の問題が最強と名高い彼を悩ませていた。
……ずばり、恋患いである。
「マリアお嬢さん、あからさまなぐらい提督の好みだったからなあ」
ベンの言葉に、ジョンも頷く。
彼らはブレイクリー提督の部下の水夫。副官と言っても差し障りのない立ち位置にある。
提督がまだ一士官に過ぎなかった頃からの付き合いで、平民出身の双子だ。提督が船に乗らない間は、ブレイクリー邸に住み込んで使用人代わりに働いていた。
ブレイクリー男爵邸はこぢんまりとした屋敷で、使用人は多くない。父親の代から仕えている人たちばかりなので非常に平均年齢が高く、若いジョンとベンは希少な労働力として歓迎されていた。
「優しくて可愛い系の美少女。身分は高いのに偉ぶったところはなくて気さくで。まさに、提督の好みそのもの」
マリア・オルディス公爵の人となりを知った彼らは、すぐにこう思った。
これは絶対提督が惚れる。
船の上では怖いもの知らずの海軍提督だが、女にはからっきし弱い。
一目見た時から彼女の美しさの虜になって、何かと気にかけていた。厳しい言葉や素っ気ない態度も取っていたが、本心では処刑されるために故郷へ帰らねばならない彼女の境遇にいたく同情し、心配もしていた。
奇跡的にも、オルディス公爵は一見恐ろしげな提督の風貌にも怯える様子はなく、本当は人情に厚い心を持つ提督の素顔を見抜いてくれていた。
気さくな彼女にちょっとアタックしてみたかった水夫もいたのだが、自分たちにはもったいなさ過ぎると自ら身を引いたぐらいである。
帰りの船では提督もいくぶんか公爵に素直になり、再会の約束まで漕ぎつけて港で別れた。そして――。
……そしてこの有り様である。
「提督!俺、お嬢さんのこと調べてみたッス!お嬢さんは清楚系な見た目に反して、結構な男好きみたいッスねー」
ジョンが言えば、オルディス公爵の話題に、呆けていた提督がわずかに正気に戻ったようだ。しかしみるみるうちに青ざめていき、椅子の肘掛けに突っ伏した。
「すでに男が……せやな。せやろうなあ……あんだけ美人で気立てが良かったら、他の男が放っておくわけないわな……」
男好き、なので特定の男がいる女性とはちょっと訳が違うのだが、そこらへんは気にならないらしい。
落ち込む提督に、ジョンもベンも眉を寄せる。
ガタイの良い男がグズグズ落ち込む姿って気持ち悪い。
「発想の逆転ッスよ!むしろ提督にも、ワンチャンあるかもしれねえッス!」
「逆転……」
「そうッス!本当に清楚可憐なれでぃにとって、童貞のいい年した男とか荷が重――ぐはあっ!」
提督の拳骨に、ジョンが吹っ飛ぶ。
オーウェン・ブレイクリー海軍提督は――立派な童貞である。本人もそれを気にしてはいるのだが、理想が高過ぎる彼はいまだに彼女いない歴イコール年齢を順調に更新し続けていた。
その話題を持ち出して殴り飛ばされるのは、今日に始まったことじゃないというのに――と思いつつ、ベンもフォローに入った。
「茶化してるわけじゃないんです!童て……いえ、そのお年で女性経験がないというのは、やはり大きなハンデになってしまうじゃないですか。提督は恋愛初心者どころか、入門者にすらなれていない状態。ならば経験豊富で恋愛上級者なお嬢さんのほうが、かえって寛容に受け入れてくれるかもしれませんよ!」
禁句を言いかけたところで睨まれたが、ベンの言い分には提督も賛同できるものがあったらしい。
鉄拳は免れそうだ。
「……せやな。いままで、何もしてこんかったってのは事実や。グダグダ悩んどるうちに、他の男に全部かっさらわれて」
ブレイクリー提督は、決してモテないわけではない。
女なら誰でもいいというのであれば、彼は童貞などとうの昔に捨て去っていた。硬派で男女の関係を真面目に考える好人物だからこそ、女性経験がないだけなのだ。
なにより、惚れる相手が悪すぎる。
彼が好意を寄せてきた相手は皆、身分は高いがそれを鼻にかけることのない、気立てのよい女性。
その魅力に、他の男が気付かないわけがない。
自分のような男が声をかけていいのか、釣り合いが取れない男から想われても迷惑なだけではないか……。そんなことを悩んでためらっているうちに、行動力のある男がサッと彼女の心を射止めていく。
その繰り返しで、何度チャンスをダメにしてきたことか。だからその年でまだ童貞なのだ。言えば殴られるから口にはしないけれど。
「そうッスよ!一度ぐらいド派手にフラれときましょう!」
提督の拳骨から復活したジョンが言った。
ワシが失恋すんの決定事項か!?と提督が怒鳴ったが、負けじとベンも畳み掛ける。
「いままできちんと失恋してこなかったことも事実です!一度ぐらい、しっかりフラれてくるべきです!グダグダになってなし崩しに諦めるのではなく!」
ベンの力説に提督は怯み、振り上げかけた拳を下ろした。
「おまえらの言う通りや。ワシもいっぺんぐらい、スパッと想いをぶつけて、スパッと砕け散ってみせるべきやな!」
「その意気です提督!」
「全部終わったら飲みに行きましょう!朝まで付き合うッス!」
このように盛り上がり、提督の玉砕大作戦は決行されることになったのだが……。
ブレイクリー提督は、マリア・オルディス公爵の好みの範囲内だったりする。しかし提督の恋路がうまくいくかもしれないということは、微塵も頭にないジョンとベンであった。
思い立ったがなんとやらで、提督たちはすぐにオルディス公爵邸に向かった。
平民のジョンとベンは、公爵の屋敷がある一等区画には立ち入れない。区画手前で提督を見送り、帰りを待っていた。
「……なあ。まさか提督、思い余ってお嬢さんを襲ったりしないよな」
ベンが言った。
ちゃんと想いを伝えられるのか、甚だ不安である。言葉に困り、ついぶちぎれて見境を失い実力行使に出てしまうのではないか――そんなことになったら。
あの体格の男に襲われては公爵も抵抗できず。いくら男慣れしているからと言っても、襲われて傷つかないわけがない。
「考え過ぎだろ」
「いや、だって童貞だし。いざとなったら、そういう理性がちゃんと働くのか心配じゃないか」
「もしぷっつんってなったって、襲う前にぶっ倒れるって。女にまともに触れることもできねーよ。だって童貞だし」
ジョンの言葉に、ベンも黙り込んだ。
たしかにそうだ。例え実力行使に出ようとしたところで、まともに女性と手も握ることのできない提督では、オルディス公爵にいいように手玉に取られて終わるだけだろう――だって童貞だし。
などという、提督が知ったら拳骨が千発は降ってきそうなことを考えていたら、血の気を失った顔でフラフラとブレイクリー提督が戻ってきた。
「提督!ご立派です、よくぞ成し遂げられました!提督の散り際、見事でありましたよ!」
「さあ飲みに行って、あんな女のことなんか忘れましょう!朝まで付き合うッス!」
感動の涙を流しながら提督を迎えるベン、力強く励ますジョンを、提督が問答無用で殴り飛ばした。
「だから、ワシの失恋を前提に話すなぁ!」
「え、まさか……オッケーもらえたんですか!?」
そんなバカな!?
驚愕に目を見開き、殴られた頭を押さえてジョンとベンは提督を見る。
提督は膝から崩れ落ち、がっくりとうなだれた。
「……おらんかったんや。マリア・オルディス公爵は、領地へ行ってて不在やと……。いつ帰ってくるかも分からへん」
「あちゃー……」
まーた落ち込み始めちゃったよ。
やはり筋骨隆々の男が身体を縮込ませてグダグダ落ち込む姿は、めっちゃキモい。
「ええねん……。よう、わかったわ……。ワシのような男があんな別嬪の高嶺の花に告白とか、夢みたいなこと考えるのもおこがましかったんや……。これは潔く諦めいという、神の啓示やろ……」
ジョンとベンは提督を軽んじるような態度と発言を取り続けているが、決して彼のことは嫌いではない。心の底から敬愛している。
提督という地位にあっても一水夫のことまで配慮し、船に乗っている限りは自分の家族だと豪語してくれる彼は、本当に素晴らしい男だ。
長年付き合ってきたジョンとベンは、特にそれを強く感じている。
実際、容赦ない鉄拳を食らわしながらもジョンやベンの軽口を許してくれている。本当は一発ブン殴られて終わり、なんてものでは許されない無礼な行為を受け入れる度量の大きさが、提督にはある。
これほど偉大な男の下で部下をやれる自分たちは幸せ者だ。もちろん、自分たちも提督の幸せを望んでいる。
だから……。
だからスパッと提督を玉砕させてやってくれ、オルディス公爵!
「提督、ここで諦めてどうするんですか!きっとこれは、時間を与えるから作戦を練り直せという神の思し召しです!今回は色々準備不足でしたからね!提督の心の準備も間に合っていません。この状態で玉砕していたら、立ち直るのに時間がかかったかもしれませんよ!」
ベンが力説する。
「そうッス!だから今夜は飲みに行きましょう!そんで改めて作戦会議ッスよ!朝まで付き合うッス!」
ジョンが飲みに行きたいだけの自分の本心を交えながら激励を飛ばし、提督も起き上がった。
「……せや。勝負が始まる前から逃げ出すなんて、ワシらしゅうもない。こんなことで諦めとったら、最強の名が廃るわ!」
「いよっ!それでこそ、エンジェリク最強の海軍提督!」
「提督は俺らの誇りッス!」
「よっしゃ、おまえら今夜は飲みに行くで!戦の前の景気付けじゃあ!覚えとれよ、今度こそ、気持ちよう粉々に砕け散ったる!」
立ち直ったブレイクリー提督は豪快に笑い、ジョン、ベンと共に酒場へと姿を消した。
後にこの話を聞いたマリア・オルディス公爵はこう語る。
――なぜ私に振られることを前提で話を進めるのか、と。
どう足掻いても、ジョンとベンの中にブレイクリー提督の恋が叶う未来は存在しないらしい。そしてブレイクリー提督も、実は彼らが提督の恋をこれっぽちも応援していないという事実には、微妙に気付いていないようだった。
その夜、続・提督玉砕大作戦なるものが立てられたのだが、果たしてオーウェン・ブレイクリーの恋心がどのように散って行ったか――それはもう少し先の話になる。
というか、マリア・オルディス公爵の男性遍歴を見ればブレイクリー提督は明らかに好みの男なのだが、それに気付ける者はやはりいなかった。
第三部・終
「レディ」の部分が「れでぃ」になっている箇所がありますが変換ミスではないです。




