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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第三部01 格上との対峙
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華と棘 (2)


オフェリア主導で花束作りをしていたマリアは、ノックをする音に振り返る。

忘れられた存在であるヒューバート王子の部屋を、誰かが訪ねて来るなんてことは初めてだ。それが誰なのかは、確認しなくても分かるような気がした。


「失礼いたします。オルディス公爵、宰相閣下がお呼びです」


入ってきた男には見覚えがあった。以前、宰相の部下と名乗ってマリアを呼び出した貴族だ。


マリアはヒューバート王子に目配せした。王子は何も聞かず、オフェリアと一緒に花束を作る。ベルダと王子にオフェリアを任せ、マリアはナタリアと共に宰相の部下についていった。




宰相の部下がマリアを連れていく先は、当然ながら宰相の執務室。

今日も宰相のデスクには、亡くなった妻と少年時代の息子が描かれた小さな肖像画が飾られている。そのデスクの前に立つ男が一人――宰相と年の近い軍人で、身につけた勲章から、彼が近衛騎士隊の隊長であることがわかった。


「オルディス公、こちらはマクシミリアン・ガードナー伯爵だ。近衛騎士隊の隊長を務めておられる」


宰相がマリアに紹介した。

ガードナーという名前、非常に聞き覚えがある。ドレイク警視総監とウォルトン副団長の会話に登場したし、恐らく彼の身内らしき青年に、ついさっき会ったばかりだ。


「愚息が大変失礼なことを致した。お恥ずかしながら、わしも昨日、あやつが貴女に無礼を働いたことを知ったのだ。謝罪が遅くなってしまい、申し訳ない」

「そのような勿体ないお言葉を頂けるとは、思っておりませんでした」


ちょっと目を見開き、マリアが言った。

近衛騎士のガードナーと言えば、ジュリエット王女の側に控えているあの青年だ。主人の愚行を諌めもせず、騎士でありながら女に暴行を働いたあの器の小さい――まさかその父親が、こんなにもまともな人間だったなんて。意外だ。


「息子はどうも、己が本分を理解していないところがある。わしがなぜ、あえて王妃派と呼ばれる立場を取っているのか分かっておらん」

「大嫌いな私への当て付けだろう」


宰相の皮肉に、それもある、と当たり前のような顔で隊長は答えた。


「陛下に次ぐ権力を持っている貴様なんぞを、好きになってたまるか。宰相と軍人などというものは、睨み合っているのが正しい在り方だ」


二人の会話から察するに、ガードナー隊長は公人の一人として、宰相の独裁を防ぐために王妃派となって対立しているのだろう。

そのような立派な志を持つ者が、子息を王族に近づけるのならば目的はひとつ。主人にも王族としての自覚や誇りを促すため。


しかし息子のほうのガードナーは、自覚を促すどころか、自覚のなさを増長させてしまっている。あれでは父親も嘆きたくなるもの。

だいたい、あの青年のせいで揉め事が大きくなった気が……。


「……ずっと、引っ掛かっていたことがあります」


ジュリエット王女と揉めた時のことを思い出していたマリアが、ぽつりと呟いた。


「なぜマクファーレン判事が、グレアム伯爵と一時でも手を組んだのかということです。マクファーレン判事は中立派、グレアム伯爵は王妃派……にもなれず、その周囲をうろうろする小物。接点がなさ過ぎます」


王子という旗印をはっきりと掲げている以上、権力争いにおいて王妃派は優勢などではない――確実なる勝ち馬だ。


それをあえてはねのけて中立派、ましてや宰相派を主張するのならば、王妃や王子相手であってもそう簡単には潰されない力が当人たちに必要だ。大貴族であるとか、重要な肩書きを持っているとか。


グレアム伯爵のような弱小貴族は、王妃派に媚びへつらうしかない。仕方がない。王妃派は事実上の王太子候補を擁立しているのだから。

つまりグレアム伯爵は、派閥争いに参加すらできない人間。グレアム伯爵とマクファーレン判事が手を組んだ、というのがそもそもの間違いだったのかもしれない。


「手を組みたかったのはグレアム伯爵ではなく、ゴーイング商会――というか、商人かもしれません。グレアム伯爵家は財政が芳しくなく、商会のお飾り会長となって利益だけを得ておりました。ですから、会長だったグレアム伯爵が亡くなっても商会の経営は差し障りなく、いまも続いております」


財政が厳しいグレアム伯爵なら、商会を設立して稼ぐという儲け話にはあっさり乗ったに違いない。それも、マクファーレン判事という心強い後ろ盾を得て荒稼ぎできるのだ。何も考えず、お飾りの会長として傀儡の立場をむしろ歓迎したのではないだろうか。


ホールデン伯爵から聞かされた情報を説明したマリアは、次にヒューバート王子に調べてもらった情報を思い出し、自分でも頭の中で整理しながら話し続けた。


「ここで、ひとつの仮説が生まれます。マクファーレン判事は、少々珍しい薬を買い求めておりました。それを購入するルートが欲しくて、商会を設立したのかもしれません。東の海でしか捕れない動物や、常習性の高い睡眠薬など……」

「それは、純精阿片のことか?マクファーレンめ、まさか、朱の商人と手を組んだというのか!?」


ガードナー隊長が吠えた。

宰相も顔色を変えており、マリアは、思いもかけない事実を暴露してしまったことに気付いた。


「お心当たりがあるのですか?」

「三十年以上前に、我々が封印したエンジェリクの黒歴史だ」


重苦しく溜め息をつきながら、宰相が言った。


「先王陛下の時代のことだ。東方より、全身を金と朱色の衣でまとめた商人が城を訪ねた。東より持ち込まれた珍しい商品に、当時貴族たちは夢中になった。先王陛下も朱の商人の商品を愛用し、その中に、後に我々が純精阿片と名付けた危険な薬があった。病による苦痛を和らげるその薬――何も知らずに使い続けた先王陛下がどうなったのか、説明は不要であろう」


薬を求めて異常な姿となったネズミを思い出し、マリアは頷く。


「まだ王太子であった陛下と共に、朱の商人が持ち込んだ商品はエンジェリクから一掃した。そして先王陛下の死は病が原因と偽装し、朱の商人にまつわるすべてのことは、歴史の表舞台に出ることのないよう厳重に封印した」

「会話から察しますに、朱の商人は生きているのですね?」

「取り逃がした。あれだけが唯一の失敗であった。エンジェリク貴族側に、やつの逃亡を手助けした者がいたに違いない。そして我々は、それがレミントン家の誰かだと考えている」


内部の情報をあっさりマリアに話す宰相を、近衛隊長は咎めるように見た。


「中途半端な情報は危険を招く。互いにな。そう、朱の商人を逃がしたのはジョージ・マクファーレンではない。いまの王妃の一族だ。ジョージは商品の一掃と追放に従事し、商人の捕縛には関わっていない」

「……だからこそ、抜け道になるのかもしれませんね。逃亡には関わっていないという信頼があり、追放した張本人……ということは、逆に言えば、行く末を把握していることになります」


マリアが言えば、宰相も近衛隊長も黙り込む。心当たりはあるが、信じたくはないと言った面持ちだ。


「……エンジェリクへの忠誠心は、同じだと思っていたかったのだがな」

「自分の中のエンジェリクには忠誠を誓っておるだろう。貴様が力を持つエンジェリクではなくな」

「そういうことかもしれん。朱の商人が絡んでいるとなると、もはやあの男を見逃すわけにはいかなくなった。我が息子への嫌がらせも含め、そろそろ奴には退場していただく時が来たか……」

「マクファーレン判事は、私が始末します」


宰相と近衛隊長の会話に、マリアが口を挟む。

これだけは、マリアも譲れなかった。


「ゴーイング商会について、ガーランド商会の会長であるホールデン伯爵が始末をつけるそうです。私も、ジョージ・マクファーレン判事に消えていただく決意をしておりました。閣下のお力を借りれないかと考えていたので、私と同じ思いを抱いてくださったのは有難いです」

「ホールデン伯爵か。ゴーイング商会については、彼に一任したほうがいいかもしれんな」


宰相が言えば、隊長が頷く。


「蛇の道は蛇だ。下手に我々が動けば、封印した歴史を暴露することになるかもしれん」

「しかしジョージ・マクファーレンのこと、どうするつもりだ」


宰相に尋ねられたマリアは、自分が考えていた計画を説明した――。




その夜のマリアは、ホールデン伯爵に全身をコーディネートしてもらった。

今回は男の欲望を煽る必要がある。女のマリアよりも、男の伯爵の視点のほうが重要だ。


「やれやれ。何が悲しくて、他の男を誘惑するための助言をしなくてはならないのやら」


夜会へ向かう馬車の中、伯爵が愚痴を漏らす。


「伯爵の寛大さには感謝しております」


大きく胸元が開いた襟ぐりは、結い上げられた髪と共に白いうなじを露わにしている。脱がせにくいコルセットではなく、ハイウェストでマリアのスタイルが反映されやすい直線的でシンプルなドレスだ。


馬車を降りる時、胸元に注目が集まりやすいよう、伯爵がマリアの首にネックレスをつける。後ろから抱きしめるように伯爵は手を伸ばし、マリアの左手を取った。人差し指に、細かい装飾が施された指輪をはめる。


「取り扱いには注意するように」


そのまま、伯爵はマリアの耳に口付けた。


伯爵は馬車に残り、マリアは城のパーティーホールに赴いた。

今夜のパートナーは、フォレスター宰相だ。


「完璧な戦闘態勢だ」


マリアの手を取って口付け、宰相が褒める――褒め言葉、だろう。たぶん彼にとっては。


「おや、ニコラス殿。今宵はパートナーをお連れですか。お美しいそちらの方は、噂のオルディス公爵ですな」


客たちが目ざとくマリアの存在を見つけ、宰相に声をかけて来る。宰相は上機嫌を装い、愛想よく振る舞っていた――ポーカーフェイスのくせに、愛想よく感じさせられる術も身に着けているとは。これが年の功というやつか。


「ジョージ、さすがのお前も、今夜は来ていたか」


マクファーレン判事に宰相が声をかけると、判事は苦虫を噛み潰したような顔でわずかに会釈する。

早々にその場を去ろうとする判事を、宰相が引き止めた。


「そう邪険にするな。今夜は、お前と友好的に過ごしたいと思っているのだ。お前の息子の評判を聞いたぞ」


判事の顔色が変わった。

判事の周囲にいる取り巻きの貴族も、緊張した面持ちだ。判事の息子がどちらを指しているのか。明らかに危険な雰囲気だ。


「懇意にした絵描きが亡くなってな。妻からの紹介だったもので、生憎と私はそちらの方面に疎い。お前のほうから、ぜひ私に紹介してもらえないか。名前は確か、メレディス――」

「わしに、絵描きの息子なぞおらん!」


判事の怒声に、ホール中の客が注目する。

周囲がさりげなく距離を取ろうとするのも構わず、宰相は馴れ馴れしく判事の肩を叩いた。


「そう独り占めしようとするな。相変わらず秘密主義な男だな、お前は。抜け駆けは許さんぞ。絵描きだけではない。もうひとつ、良い情報を隠し持っているそうではないか」


少し声を落とす宰相に、距離を取りながらも周囲が聞き耳を立てている。

関わり合いたくはないが、この後がどんな展開を迎えるのか――野次馬精神だけは抑えきれないようだ。


「年を取ると苦労するな、お互いに。私は妻に先立たれた寂しい男やめもだから諦めもつくが、年の離れた若い妻を持つお前は、そうはいかんだろう」


宰相の言葉に判事が顔をしかめる。

ずいぶんと下品な会話だ。マクファーレン判事を挑発してほしいと頼みはしたが、宰相がここまで低俗な振る舞いをしてくれるとは思わなかった。


「今夜は私も女性連れだ。若い彼女の前で、恥を掻きたくはない」

「……何が言いたい」

「お前が使っているものを、教えてもらおうと思ってな。ずいぶんと、効き目が良いらしい」


意味ありげに宰相が視線をやれば、マクファーレン判事が驚愕に目を見開いた。ギリ、と口を噛みしめるその様は、思わず吐き出しそうになる罵詈雑言を堪えているかのようだった。きつく握りしめた拳がブルブルと震え、判事は宰相を殴ってしまうのではないかとマリアは思った。


肩に置かれた宰相の手を乱暴に振り払い、マクファーレン判事は、誰もいない、暗いバルコニーへ出て行った。


「……さすがに、公の場で宰相を殴らない程度の分別はつくか」


判事の背中を見ながら、宰相が呟く。

マリアは、宰相から酒の入った杯を受け取った。


「そうなれば早く片はついたかもしれませんが、私の目的は達成されません。汚れ役を引き受けてくださって感謝します」


ホールデン伯爵の言った通り、精力剤を使っていることを知られるのは、判事の矜持を酷く傷つけたようだ。しかも知られた相手が、よりにもよって大嫌いな男。

激高するマクファーレン判事に、近づこうとする者は誰もいない。


杯を持ったまま、マリアは判事のあとを追った。


広いバルコニーは薄暗い。ホールから灯りが漏れているが、手すりのそばに立つ判事の顔は見えなかった。

しかし、彼が腹立ちまぎれに手すりを何度も殴りつけているのが分かり、宰相の挑発は十二分に効果を発揮しているのをマリアは確認した。


「手を痛めますよ」


静かにマリアが声をかける。振り返った判事は、怒りに顔を歪めていた。


どうぞ、とマリアが差し出した盃が、判事の怒りにさらなる火を点けた。手を振り上げ、判事はマリアが持っている杯を叩き落とす。


「貴様の正体を知らんとでも思っているのか、この魔女め!どこまでわしを侮辱すれば気が済むつもりだ!」


振り払われた杯の中身が、マリアのドレスを濡らす。

白ワインを選んでいたので、濡れる程度で済むのはいいが……酒の臭いと言うのは不愉快だと思う。酒嫌いという点では、マクファーレン判事に同調してもいいかもしれない。


「まあ、残念ですこと。酔われた判事に、悪さをしようと思っておりましたのに。当てが外れました」


マリアがクスリと嗤う。

年下の娘に嘲笑されたことが我慢ならないのか、マクファーレン判事はマリアの髪を鷲掴み、自分のほうに無理やり引き寄せた。


「そうやって男を誑かしてきたというわけか。だがわしが、ニコラスや奴の息子のように籠絡できるなどとは思わんことだ」


そう言いながらも、判事は欲望を剥き出しにした笑みを浮かべ、その視線は濡れてドレスが貼りつくマリアの身体を捕えて離さない。

マリアも挑発的な笑みを崩さず、反論する。


「メレディスは、とても情熱的に私のことを愛してくれていますのよ。それでどうして、あなたのような年寄りを誘惑すると思うのでしょう。ご自分がメレディスに勝てると、まさか本気で考えているわけではありませんよね」


判事の目に、危険な光が宿った。

頬を思い切りはたかれ、マリアの身体が吹っ飛ぶ。覚悟はしていたが、本気の男の力で殴られるのは、やはりきつい。辛うじて受け身を取って倒れ込んだが、目が回って起き上がることはできなかった。


倒れたマリアの上に覆いかぶさり、判事が再び平手で打つ。二発目は、さきほどより力がかかっていなかったような気がした。最初のダメージで麻痺してしまっただけかもしれないが。


「生意気な小娘が!身体に思い知らせてやる!」


怒りで興奮し過ぎているのか、判事は喘ぎ喘ぎ喋る。

布を引き裂く音、自分の身体を這う指の感触――マリアは、自分の思った通りに事が進んでいるのを何とか把握した。


ぶちっと乱暴にネックレスをはぎ取られ、マリアの首筋に判事が顔を埋めて来る。焦点の定まらない視界で、マリアは状況を確認した。

マリアを襲うことに夢中になり、無防備にさらけ出された判事の首筋……痛みに痺れる思考を叱咤し、マリアは手を伸ばして判事の首に触れる。

瞬間、判事が飛びのいた。


「何を……」


首筋を押さえ、判事はヨロヨロと立ち上がる。まだふらついていたが、気力で踏ん張り、マリアも立ち上がった。


口もとが濡れているような気がした。左手で拭うと、涎ではなく血が付着する。平手打ちを食らった時に、口の中を切ってしまったらしい。

そのまま掌を確認する。左手の人差し指にはめた指輪から、針が飛び出していた。針の先にも赤いものが付着している。伯爵に教えられたとおりに、判事の首を刺せたようだ。


ヒューと、掠れた音を出しながら判事は苦しそうに呼吸をする。彼もふらついている。マリアも本調子ではないが、これなら……。


「父上、どうかなさったのですか?」


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