血染めのオペレッタ (2)
「次に目が覚めたとき、私は泥にまみれて倒れていました。どうやら毒の効き目が弱く、生き埋めにされた後、土中から這い出たようです。そのあたりの記憶は、自分でもよくわかりません。しばらく自分が何者なのかもわからないまま放浪し、記憶を取り戻すとすぐにエンジェリクを出ました。生きていると分かれば、今度こそ殺される。それが怖かったんです」
そこまで話しきると、大道具係は沈黙し、目頭をきつくこすって鼻をすすった。
封印してきた十四年前の記憶を掘り起こした彼を、マリアもドレイク卿も静かに待った。
そう簡単に話せる内容ではない。込み上げてきた思いを落ち着かせる時間ぐらいは必要だ。
「エンジェリクに帰ってくるつもりはありませんでした。旅の一座に潜り込んで、外国に隠れ住み……。でも年を取ると、やはり故郷が恋しくなって。オルディスには戻れずとも、せめて近くにいたかった」
「当然ね」
故郷を恋い慕う気持ちは、いまのマリアには痛いほどよくわかる。ましてや、捨てたくて去ったわけではないのだから。
「おじい様を突き飛ばしたのは誰か、はっきりとわかる?」
「いいえ。あのときは皆パニックを起こしていて、私たちもぶつかったり、突き飛ばされたりしました。突き飛ばした本人も、自分がやったとは気づいていないのではないでしょうか」
「出火の原因は?」
ドレイク卿が尋ねると、また大道具係は首を振る。
「私たちも調査はしたのですが、あまりにもひどい火事だったので全てが燃え尽きてしまって……。酒に煙草に、灯りとして使っていたろうそくも、納屋にしまいっぱなしの古い物だったようで。原因があり過ぎて、わからない状態です」
「その場に居合わせた者たちの素性はわかるだろうか」
「それならば。ローズマリー様の、昔からのご友人です。私の人生と故郷をめちゃくちゃにした奴らを、忘れるはずがありません。私を殺そうとしたのはライナスですが、彼をそのような狂気に走らせたのも、もとをたどればあいつらのせいだ」
大道具係の返答に、ドレイク卿は満足したようだ。
マリアに視線をやり、小さく頷く。
「ダニエル。私は、伯母様を破滅させたいと思っているわ。あなたの証言があれば、それができる。おじい様が相続人からも外そうとしていたのなら、私も容赦はしないわ。オルディス家は私のものよ。あの人に当主面させておくのは、これ以上我慢ならないわ」
「貴殿の身の安全は、私が保証しよう。証言に協力してほしい」
マリアたちの頼みに対して、大道具係ははっきりと返事はしなかった。それでも、ドレイク卿の部下が声をかければ、彼のあとについていく。
その後ろ姿を見送り、オフェリアのいるプリマドンナの控室に戻る道すがら、マリアはドレイク卿に尋ねた。
「伯母様の友人とやらは、何らかの罰を受けるのでしょうか」
「無理だな。出火の原因もはっきりせず、責任の所在が不明である以上、それを理由にいまさら裁くことは不可能だ」
「腹立だしいこと。オルディスを荒らし、民の暮らしを脅かした人間だというのに。誰に咎められることもなく、これからものうのうと生きていくだなんて」
不満をにじませてマリアが言えば、ドレイク卿は冷たく笑う。
「そうとも言い切れないかもしれない。大人しく十四年前に裁きを受けていれば、若さゆえの未熟さ、愚かさとして情状酌量され、大した罪に問われずに済んだかもしれないものを。生涯に渡って、連中やその一族は私に弱味を握られるのだ。いっそ、火事の際に共に死んでいればよかったと言われることだろう」
控室に戻ると、マリアたちが入って来た物音にオフェリアが振り返った。
「お姉様、どこ行ってたの?」
「舞台裏を見学させてもらっていたのよ。ごめんなさい。とてもお話が弾んでいるみたいだから、声をかけちゃいけないかと思って」
私も見たかった、とオフェリアが唇を尖らせる。
「片付けで忙しくて、私もよく見ることはできなかったわ。また機会があれば、一緒に見に行きましょうね」
「うん。あ、そうだ。お姉様、あのね、ジェラルド様のお母様もプリマドンナだったんですって」
オフェリアは、女優から教えられたらしいドレイク卿の家族の話を始めた。
「良い家のお嬢様だったんだけど、歌手を夢見て家を飛び出して、この舞台でも歌っていたのよ。本当に美しくて、才能溢れる方で――ジェラルドの美しい銀髪は、お母様譲りよ。かくいう私も、彼女に憧れて劇団に入ったの」
プリマドンナが言った。
「ジェラルドのお父様は、そんなお母様の幼い頃からの許嫁だったのよ。彼女が家を飛び出した時に婚約は解消されていたのだけれど、それでも彼女と結婚したいと追いかけ続けて、彼女の夢も応援し続けて。ついに根負けした彼女は、人気絶頂時に引退して、彼と結婚したわ。この劇場では、ちょっとした伝説のような恋話なのよ」
「素敵よね!」
オフェリアは頬を紅潮させ、目を輝かせる。たしかに、ロマンチックな話だ。オフェリアが好みそうなストーリーでもある。
「母は、二十年前に亡くなった」
ドレイク卿が話を引き継げば、オフェリアは、ごめんなさい、と慌てた。
「気にしなくていい。月日も経ち、私もとうに心の整理はついている。父は、二十年経っても再婚しなかった」
「いまでもお母様一筋なのね。私のお父様と一緒だわ。私のお父様もね、お母様が亡くなってからも再婚しなかったわ。ね、お姉様」
マリアは頷きながらも、内心苦笑した。
再婚はしなかったが、父にも愛人はいた。
もっとも、それは母が亡くなって何年も経ってからのことではあるし、彼女たちと結婚はしなかったという点では、やはり母にある種の貞操を捧げていたのは間違いない。
「最後は少し悲しいところが、伝説になる所以よね」
プリマドンナは微笑み、静かに言った。
プリマドンナに挨拶し、マリアたちは控室を出て劇場をあとにする。
ドレイク卿が用意してくれた馬車に乗って帰る間、オフェリアは興奮したまま初めてのオペラ観劇の感想をあれやこれやと喋り続けた。しかし屋敷に着き就寝となった途端、両親の話をして悲しい気持ちを思い出したのか、枕を抱えてマリアの部屋にやって来た。
「お姉様、一緒に寝てもいい?」
妹をベッドに招き入れ、その日はマリアも早めに横になった。
マリアも、少しだけ気分が沈んでいた。両親の思い出は、やはりマリアの心に痛みを生み出す。
まだドレイク卿のように、心の整理がついたとは言い切れない。いとこや伯母を踏みつけにしてオルディス家を手に入れようとする自分を見たら、彼らは――母は、どう感じただろう。
伯母の処刑は、それから二日後には執行された。
ドレイク卿から刑執行を聞かされ、マリアは立ち合いを希望した。
処刑方法は毒。彼女の高貴な身分を考慮しての選択だ。
伯母は両腕を役人に捕えられ、半ば引きずられるようにして、処刑のための部屋に入って来た。
「放しなさい!私を誰だと思っているの!?こんなこと許されないのよ!あんな男のために、この私が――!この私が!」
「伯母様」
マリアが静かに声をかける。伯母は肩で荒く息をしながら、マリアを睨みつけた。
「卑しくも私と同じ血を引く女ならば、見苦しい真似はやめてくださいませ。踊れなくなった役者は、潔く舞台を降りるものですよ」
怒りに鼻白ませる伯母は、その美貌も台無しだった。
醜い、という言葉がぴったりだ。それは単なる容姿の話ではなく、大貴族の姫として育ったはずの女にしては、あまりにもみっともない振る舞いのことも指していて。
「お前も所詮、同じ穴のムジナよ」
それでも伯母は、毒づくことをやめない。目を血走らせ、髪を振り乱し、伯母は呪いの言葉を吐き続けた。
「自分で選んだ男を侍らせて、何が悪いの。家のためにと勝手に押し付けられたものに、我慢させられるのは御免だわ。私は私の好きに生きただけよ!お前も、同じ――私のようにすべてから見捨てられて地獄に落ちるのよ!」
「だから見届けに来たのです。いまのあなたの姿は、遠くない未来の私の姿かもしれないから」
マリアはにっこりと微笑む。
「私、止まるつもりも引き返すつもりもありません。自分が進む道の先にあるものから、目を逸らしませんわ」
一瞬、伯母が怯んだ。
そして次の言葉を口に出すよりも先に、役人の一人が伯母を押さえつけ、もう一人が毒の入った酒を無理やり口の中に押し込む。伯母が飲み干すのを確認した役人がわずかに力を緩めると、伯母は口を押さえていた役人に噛みついた。
毒が回った伯母が口を離すまで噛みつかれていた役人の手には、くっきりと歯型が残り血がにじんでいた。
「遺体は、どこか適当な僧院を見つけて葬らせます。後日引き取りに参りますので、それまでそちらで預かっていてください」
オルディス公爵家には、当然先祖代々の墓がある。
だがかつての当主が彼女を相続人から外し、勘当しようとしていたのなら、彼女をその墓に入れる必要もない。これぐらいの仇討ちは構わないだろう。
彼女がしでかした罪を思えば、きちんと埋葬されるだけでも感謝してほしいものだ……。
次に向かったのは、おじが入院している病院。
伯母が処刑され、マリアがオルディス家の当主となるということは、一度オルディス領に戻る必要がある。
状況のよろしくない公爵領を、いつまでも放置はできない。そして公爵領に戻るのなら、意識がないまま眠っているおじをどうするか。マリアは医師と相談しなくては。
病院に着くと、医師が焦ったような顔でマリアを出迎えた。
「公爵様が目を覚ましました」
マリアは目を見張った。
おじの目覚めは予想外だ。おじはいままで目覚める様子もなく、ずっとこののままなのではないかとマリアも考え始めていた頃だった。
「しかし、少々問題が。後頭部を強く殴られたことで、お身体にその影響が出ております」
医師の説明を聞きながらおじのいる病室の前まで移動すると、部屋の中からおじの怒鳴り声が聞こえてくる。
「触るな!こんな……こんな……嘘だ!」
怒っているような、嘆いているようなおじの声。それにその台詞は、どこか呂律が回っていないような印象を受ける。
中を覗けば、床に這いつくばるおじがいた。
おじを助け起こそうと手を伸ばす看護師を、他ならぬおじが拒否している。だがおじは起き上がろうともせず、床の上で無様に倒れこんでいるばかり。
どうやらベッドから転げ落ち、自力で立ち上がることもできないようだった。足に力が入らない以前に、足がまともに動いていない。
「身体に、強い麻痺が出ているようなのです。まだお若いのですから、リハビリをすれば回復する可能性は十分ありますが、完全に元通りになるかは……」
マリアに気付いたおじが、恐怖と不安に満ちた目で見つめる。ずりずりと這いずってマリアに近づき、服の裾を必死でつかんだ。
「マリア、お願いだ。見捨てないでくれ……。何でもする……お願いだ……」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらおじは懇願し、服をつかむ手は震えていた。
帰る家も、財産も、頼れる身内もいないおじは、マリアにすがるしかない。こんな状況でマリアに見捨てられたら、おじは文字どおり生きていくことができなくなるだろう。彼の命は、間違いなくマリアが握っていた。
「……おじ様」
泣きじゃくるおじの頭を撫で、マリアは優しく笑いかける。
「見捨てるだなんて、そんなことしません。寄る辺もなく困っていた私たちに、おじ様は手を差し伸べてくださったではありませんか。今度は、私が助ける番ですよ」
「ああ……ありがとう……。ありがとう……」
壊れたぜんまい人形のようにおじは感謝の言葉を繰り返し、力の入らない手ですがりつく。マリアも背中に手を回し、あやすようにおじを抱きしめた。
「さあ、ベッドに戻って。無茶なことはせず、まず体力をつけないと。リハビリをすればきっと良くなると、お医者様もおっしゃっていましたよ」
――ほらね。やっぱり運命は、私に味方してくれてる。
心の中で、マリアはひっそりとほくそ笑んだ。
この身体なら、おじもマリアに逆らうことはできない。例え元の状態に戻ることができても、それまでに時間がかかる。ならそれまでに、マリアが領主としての実績を積んでしまえばいい。
これでおじの命を奪う必要もなくなった。
心のどこかで、そのことに安心している自分がいることを感じて、マリアは自虐的な気分だった。
悪女を気取ってはいても、自分もまだまだだ……。
それから一週間後。
エンジェリク王国オルディス公爵領に、新たな当主が誕生した。
マリア・オルディス。
外国から来た少女がエンジェリクの歴史ある公爵家を継ぐことに反対する声もあったが、それらは特に議論を起こすこともなく、彼女に賛同する声にかき消されてしまった。
第一部・終




