落ちる (1)
交流会当日は天気も良く、穏やかな気候だった。
伯爵は貴族たちの相手をするのに忙しく、あくまで商会の宣伝のために来ていたマリアは競技が始まるまで裏に下がり、自分の出番を待っていた。
「がんばってねお姉様」
マリアの乗馬服と同じ布で仕立ててもらったドレスを着て、オフェリアは姉を応援する。
濃いめの緑色のドレスは、オフェリアの金髪とも相まって彼女の魅力をよく引き立てていた。
今日は、オフェリアのビジュアルも重要だ。
「ドレスなんか着てなくても、この会場で一番きれいなのはマリア様ですから!絶対、うまくいきますよ!」
「私たちは伯爵が用意してくださった席で見ておりますね。どうぞ怪我にはお気をつけて」
声援を送るベルダと、自分を気遣うナタリアに、マリアは笑顔で頷いた。
競技の時間が近づき、騎手たちの集合が呼びかけられた。
伯爵の思惑通り、女のマリアには自然と注目が集まる。純粋に驚く者、侮蔑の眼差しを向ける者、好色さを一切隠さぬ者……様々な反応を、マリアは完全に無視した。
彼らを相手になどしていられない。
「女か……」
「いやぁ、でもあれほど美しいのならば、なかなか良い見せもので……」
「女のほうもだが、馬も大したものだぞ……」
「女性が乗るというのも悪くはなさそうね……」
マリアが競技をしている間、好奇と感嘆に満ちた話し声は尽きなかった。
出来は悪くない。マリアも手ごたえを感じていた。
やはりリーリエは優秀で、鞭はおろか声かけがなくとも、わずかな手綱の変化を察知してマリアの望むとおりに動いてくれた。
女性の騎手、美しい白い馬、完璧なコンビネーション。その後の話題は、マリアたちが独占した。
「観客の皆様も感心していらっしゃったようですわ」
ナタリアは誇らしげだ。ベルダとオフェリアも笑顔で出迎え、マリアも、自分で思っていた以上の出来栄えに、自然と笑みがこぼれた。
競技が終わり、和やかに交流会が続けられるかたわらで、マリアはまた裏に引っ込んでいた。
伯爵は先ほどよりもずっと忙しそうだ。ひっきりなしに貴族に声をかけられている。
きっと馬の売り込みに精を出しているに違いない。
「マリア」
伯爵に呼ばれ、マリアは意図を察した。
「売り込みを手伝うわよ。オフェリア、今度はあなたが乗りなさい」
マリアに手伝われながら、オフェリアはリーリエに乗る。
ひょいっと気軽に馬に乗って見せる少女の姿に、また周囲が感嘆の声を挙げた。
オフェリアもキシリア貴族だ。マリアほどの腕はないが、馬に乗ることぐらいはできる。
数日の特訓の間、馬の世話はオフェリアにもやらせていた。リーリエも、従順にオフェリアを乗せた。
「騎手を務めたマリアと、その妹オフェリアです。馬の名はリーリエ。美しくも完璧なパフォーマンスを披露した彼女たちを、ぜひ褒めてやってください」
貴族たちは称賛したり、馬について問いかけたりして、マリアたちを取り囲んだ。特に女子供が馬に乗ることについて、かなり興味を抱いたようだ。
オフェリアはにこにこと笑い、口を開かない。幼いオフェリアには余計な話をさせず、可愛らしく笑わせておくのが一番良い。
これは昔からの方針だ。何か聞かれれば代わりにマリアが答えればいいし、今日は伯爵が一緒なのだから彼に任せ切りにしても問題ない。
マリアの考えは正しく、可愛い少女がにこにこと笑っていれば、それだけで貴族たちは満足したようだった。
「お姉様、ちゃんとうまくできてた?」
「完璧よ。私の期待以上だわ」
妹を馬からおろしながら、マリアが言った。
頭を撫でれば、オフェリアは嬉しそうに笑う。ナタリアとベルダも、オフェリアを絶賛した。
伯爵も、その日の夜はいつも以上に機嫌が良かった。
「馬はすべて買い手が決まった。期待した三倍以上の売り上げが見込めそうだ。君たちには、本当に感謝している」
「ヴィクトール様に喜んでいただけたなら、何よりです」
伯爵が新しく贈ってきた寝衣に着替えながら、マリアが言った。
「ですが、これでリーリエとはお別れですね。寂しくなります。オフェリアも可愛がっていましたし、私も彼女には助けられましたから」
「リーリエは売らないぞ」
そう言いながら、伯爵は寝衣を着終えたマリアに手を伸ばす。
「もともと、私が個人的に気に入って仕入れた馬だ。最初から、あの子を売るつもりはなかった。君たちが気に入ったのなら、なおのこと」
伯爵の手を取り、寝台に腰かけた。そのまま抱き寄せられ、首の後ろにある紐を解かれる。
――やっぱり、すぐ脱がせるのに服を買い与えて着せるだなんて、不毛だわ。
次の日から、マリアの周囲はにわかに騒がしくなった。
交流会での評判を聞き付けた貴族たちが――特に男性たちが、マリアに会おうと商会に詰め寄せ、リースを泣かせた。
曰く、貴重な人手が客の対応にかり出されてしまうので、仕事にならないと。
そういうわけで午後からは完全に裏に引っ込み、マリアは事務仕事に専念した。
正直ありがたい。愛想を売るのも大事な仕事だろうが、疲れる。
「君たちの人気は大したものだ。オフェリアのほうも人が詰めかけ、ハンナとベルダが追い返しているらしい」
「喜ぶべきことなのかもしれませんが、人気者になるのも考えものです」
マリアが苦笑すれば、伯爵も笑った。
「オルディス公爵家のほうにも、人が押し寄せているらしい」
それはおじから届いた手紙にも書かれていた。
マリアやオフェリアに近付こうと、下心満載の男たちが引っ切りなしで困惑している、と。
そしてマリアやオフェリアばかり絶賛され、無視されているいとこは荒れに荒れまくっているそうだ。
中には、マリアたちのいとこということでマーガレットに興味を持つ者もいたが、実物を見るなりすぐに帰ってしまうそうだ。
「ところで、その公爵領のことなのだが。バレル商会に目をつけられたようだ。馬の人気を嗅ぎ付けた他の商人たちが、我が商会に対抗して馬を売り始めたという話は聞いたかな」
マリアは頷いた。
ガーランド商会での大成功を真似て、よそも馬を売り始めたという話はマリアも聞いている。
その話を聞くや否や、伯爵は馬の販売をやめた。
いま売れば、他との価額競争が始まり収益が落ちてしまう。希少性を残すため、しばらくは中止するらしい。
物流のタイミングというものをよく見抜いている伯爵なら、きっとまた売るべきチャンスをつかんで遅れも取り戻すに違いない。商会の誰も、異論を唱えなかった。
「バレル商会は初めて聞きました。私の勉強不足でしょうか」
「勉強不足だな。確かに我が商会の足下にも及ばぬ粗雑な商会ではあるが、だからこそ、ある種の注視が必要な相手だぞ」
「すみません」
「バレル商会は安さを売りにしている。それは構わんのだが、問題は、安く粗悪な品を貴族相手に売りさばいていることだ。金はなくとも見栄を張りたい貴族というのは、君が考えている以上に多い。その虚栄心につけこんで、本来の価値より数段劣る紛い物を売っている」
伯爵の苦々しい口調から察するに、真面目に対抗するには馬鹿らしい相手だが目障りなのだろう。
マリアは、なるほど、と神妙な態度で相づちを打った。
「話が逸れてしまったな。君たちに注目が集まったことが面白くない令嬢殿は、君たちに対抗すべく馬を所望している。だがそれは、安い買い物ではない。オルディス公爵家の財政は、ゆとりあるものではないのだろう」
「そこで、バレル商会が安価で売りにきたと」
「そういうことだ」
「生き物を軽く扱うのはいただけません。馬とて主人を選ぶ権利はあるでしょうに」
「私もそう思う。外国の諺にもあるように、追い詰められれば鼠とて思わぬ反撃に出るものだ。安易に取り扱っていいものではない。それはオルディス公爵も同意見のようだ」
そうだろうな、とマリアも思った。
身内の情が絡むとぽんこつ化してしまうが、バレル商会の胡散臭さを見抜けないほどおじは甘くはない。例えいとこ相手でも、こればかりは譲らないだろうか。
「おじ様なら、五日後に王都へ来るそうです」
会いに来るという手紙をもらったことを思い出し、マリアは呟いた。それを聞き、伯爵はふっと笑う。
「それは良くない情報だな。そんなことを知れば、連中は隙だらけの公爵令嬢に売りつけに行くに違いない」
バレル商会がどのような行動に出たかは、それから四日後に判明した。
翌日やってくるおじを出迎える準備をしていたマリアたちのところに手紙が届き、それを読んだマリアは、ナタリアに声をかけた。
「黒いドレスがあったわよね。私もオフェリアもそれに着替えるわ」
「黒……ですか?」
ナタリアが戸惑う。オフェリアも、首をかしげてマリアを見た。
「マーガレットが亡くなったそうよ」
「えっ」
オフェリアが目を丸くする。
「死んじゃったの……?」
「ええ。それで、お葬式で忙しくなるから、おじ様は王都に来る予定をキャンセルするそうよ。しばらくは、こちらに来れないって」
「イヤな子だったし、私、あの子のこと嫌いだったけど、死んじゃうのはかわいそう……」
いとこの死にショックを受けるオフェリアを、マリアは優しく抱きしめた。
「オフェリアは優しい子ね。お葬式には出られないけれど、私たちもしばらくは喪に服して、祈りを捧げましょう」
喪服に着替えるため、オフェリアはベルダと共に部屋に行った。
マリアもナタリアと共に自室に戻り、服を着替えた。
「マーガレット様は、なぜお亡くなりに?」
マリアの着替えを手伝いながら、ナタリアが尋ねる。
落馬よ、とマリアは答えた。
「まさか、マリア様やオフェリア様に対抗して馬に乗ろうと?なんと無謀で愚かな……。このような言い方はしたくありませんが、あの体型は馬も嫌がるでしょう」
「でしょうね。馬に乗ったこともない人間が無理をして乗れば、命を落とすことだって珍しくないもの」
もっとも、彼女の身を真剣に案じて諌める人間などいないのだから、いとこは危険を知る機会もなかったことだろう。
唯一、おじだけはいとこと向き合おうと努めていたようだったが、それをはね退けたのはいとこ本人。そう育てられた被害者なのかもしれないが、もうただ同情されるだけの可哀想な年頃でもない。
伯母といい、いとこといい、それらに群がる人間といい、自分のことしか考えない人間は単純で操りやすい。
数日の間、マリアたちは喪に服していた。伯爵も自粛し、屋敷を訪れる客もいないため静かな日が続いた。
いとこの死を純粋に悲しんでいるのはオフェリアだけだろう。ナタリアは悲しむ素振りすらしなかったし、ベルダは清々したと言い切っている。
命を狙って罠を仕掛けたマリアの心にも、何の波紋も起きない。手を叩いて喝采するような下卑た気持ちにもならず、粛々と次のことを考えるだけだった。
いま気がかりなのは、おじのことだ。
身内の情を捨てきれないおじが、いとこの死をどう感じているか。マリアにとって、厄介なものになっていなければいいが。
マリアは、短くお悔やみの言葉だけをしたためて手紙を返した。少女の死だ。それ以上のことは、むしろ書かないほうがいい。そう判断して、あとは大人しくしていた。
――だから、おじが王都へ来たときには驚いた。
「こんな夜更けにどなたでしょう。伯爵……ではありませんよね」
部屋の窓から覗きながら、屋敷の前に止まった馬車を見てナタリアが言った。
玄関に降りて客を確かめると、疲れ果てた顔をしたおじが立っていた。
隈が酷く、前に会った時から一月も経っていないのに、以前よりやつれたような印象を受ける。
マリアを見て、力なく笑った。
「こんな時間にすまないね。手紙も出さずに来てしまった」
「それは構いませんが、大丈夫なのですか?顔の色も、良くないように見えますが…」
「ああ……うん。色々あったからね。ちょっと、疲れが出ただけだろう」
おじをマリアの部屋に招き入れ、上着を預かる。
椅子に座り込んだおじは、深く溜め息をついた。
「喪服を着てるんだね」
「お世辞にも仲が良いとは言えない関係でしたが、それでも。数少ない、血の繋がった身内でしたから。年の近い女の子が亡くなったので、オフェリアもショックを受けていますわ」
「そうか。あの子は優しい子だな」
おじがまた溜め息をつく。
急かすことなく、マリアはおじが話し出すのを待った。
少しの間沈黙が部屋を支配し、ようやくおじが口を開いた。
「僕は以前、マーガレットに向かって、死を望むような呪いの言葉を吐いた。いまとなっては、本当に酷い言葉だった。あの子が命を落としたのは、そういった僕の負の感情にも、原因があったのかもしれない」
たしかにおじは、取りようによっては、死ねばいいに類似した台詞をいとこにぶつけている。
マリアは、鼻で笑い飛ばしてやりたくなった。
あの程度の台詞が呪詛となって人の命を奪うのであれば、いとこはマリアと出会ったその日に死んでいたはずだ。マリアの彼女に対する嫌悪感は、おじの拒絶などかわいらしいものだろう。
しかし、善良なおじは罪悪感で潰れてしまいそうなほどに苦しんでいる。
だから、マリアのところへ来てしまった。いとこの喪中にも関わらず、情欲に縋りたくなるほどの罪悪感から逃れるため……。
――善良も、度が過ぎると生きづらくなるわね。
おじの前にひざまずき、自分の膝に置いたおじの手に、マリアはそっと手を重ねた。
顔を上げて自分を見つめてくるおじに向かって、労わるように優しく微笑みかける。
「こうしている間は、私のことだけ考えていてくださいな」
母親に縋りつく幼子のように、おじはマリアを抱きしめた。マリアもそれに応え、あやすように抱き返す。
これで残すは二人。
おじがマリアの手中に転がり落ちてきたことで、伯母を追い詰める手札は揃った。
娘の死、夫の裏切り――必ず、伯母も滅ぼしてみせる。




