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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部03 嵐に襲われた城
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-番外編- クリスティアンの物語(4)


「マリアはまもなく十四だったな。私が戻るまでに、チャコ皇子との婚約など解消しておくのだぞ」


寝言は寝て言え――怒鳴り気味にそう言い返した。

それが、トリスタン王とかわした最後の言葉だった……。




「お父様!」


部屋に飛び込んできた少女たちに、クリスティアンは目を丸くした。

マリア……オフェリア……監視されているはずの自分のもとに、幼い娘が簡単にやって来るだなんて……。

娘の登場で、クリスティアンは自分の予想がほとんど真実であることを悟った。


「マリア、オフェリア、どうしてここへ来たんだ。すぐに国を出ろと言いつけてあったはずだぞ」

「どうしてもお父様にお会いしたかったの。お父様、国王陛下を弑逆なさったなんて嘘ですよね?お父様が国家反逆者だなんて何かの間違いですよね?」


血の気を失った顔で、マリアが尋ねてくる。

必死な表情で、すがるように父を見上げて――最後に見るのが、こんな顔になってしまうだなんて。


自分たちと一緒に逃げてほしいと、マリアの顔にはそう描いてある。

――間違いなく、自分はそうすべきだ。

マリアだって、しっかりしていると言っても、まだ守ってくれる大人が必要な少女だ。

自分にはこの子たちを守る義務があるのに……妻を守れなかったのに、娘まで……。


「……すまない、マリア」


小さな声で、クリスティアンは呟く。


娘たちに聞こえたかどうか――マリアには、聞こえていたかもしれない。父親の決意を……生きる意志がないことを、彼女だけは察してくれていたような気がする。


自分にしがみつくオフェリアを、クリスティアンはそっと引き離す。

きっとオフェリアは、何が起きているのか、これから自分たちがどうなるのか、分かっていないことだろう。ただ、もう二度と、自分たちが会うことはないと……それだけは理解していた。

幼いようで、そういうところは敏感な子だ。


「オフェリア、もう行きなさい。姉様の言うことをよく聞くんだよ」

「いや!いや、いや!お父様も一緒に来て!一緒じゃなきゃいや!」


泣きじゃくる娘が愛しくて、このぬくもりを手放すのは辛くて堪らなかった。

愛する妻に生き写しの娘……この子の涙には、昔から弱い。


「オフェリア、私たちがここにいてもどうにもならないわ。でも生きて逃げのびれば、お父様を助けることができるかもしれないの。だから逃げるのよ」


優しく、マリアが妹に声をかける。マリアに取りなされ、オフェリアはようやくクリスティアンから離れた。姉の手をしっかり握り、まだ泣きじゃくっているけれど。


「お父様。お父様は負けてしまったのかもしれませんが、セレーナ家が負けたわけではありません。私たちは生き延びるのですから」


自分を見据えるマリアは、涙を流していなかった。すべてを悟っているのに、それでも泣かない娘――こうなってしまったのは、きっと自分のせいだ。


母親が亡くなったとき……あのとき、マリアは珍しく涙を流し、泣いて父親にすがりにきたのに……自分は娘を慰めもせず、抱きしめることもせず……泣いているあの子を放ったらかしにした。

……あれで、マリアは学んでしまったのだと思う。泣いても無駄なのだ――泣いても、誰かが慰めてくれることを期待しても、意味がないことなのだと。


もともと、強がりな自分に似て泣かない子だったけれど、あれ以来、一切泣かなくなった。だから、こんな時でも娘が涙を流すことはない……。


マリアの頭を撫でる――誰かが……自分に代わって、上手に娘を甘やかしてくれる誰かが見つかることを祈るばかり……。




去っていく娘たちを見送った後、シルビオ・デ・ベラルダが静かに姿を現す。

――監視していると思った。


「……行かないのか」


頑固なクリスティアンが、娘たちに絆されて逃げ出すことを期待していたのだろう。だから、あの子たちの侵入も易々と見逃した。


「一緒に行くべきなんだろうな。父親のくせに……最後まで、何もしてやれない親だった」


山のような後悔はある。理解ある家族に甘え、放ったらかしにしてきた――トリスタン王のことを、家庭に向かない冷淡な男だと評したが、自分も大概だ。


「だが、きっと……マリアなら、分かってくれる」


自分は、キシリア王の忠臣でありたい。最後まで。

そして……二人目の王を持つつもりはなかった。キシリア宰相としてクリスティアンが仕える相手は、トリスタン王のみ。

ロランド王太子は、命を賭けて守る――けれど、新たなキシリア王を戴く気はない。

……そんな気にはなれない。


「私は、宰相職なんか望んだことはなかった。ただ、友にくっついて一緒に……彼の夢を叶えるために必死で……気が付いたら、こんな場所まで来てしまった」


後悔はない。

身勝手で強引な友だったが、そばにいて退屈はしなかった。どこまでも彼と命運を共にすると、あの時誓った。


――お断りします。私はすでに、トリスタン様に忠誠を誓っておりますゆえ。私は、主人を二人持つつもりはございません。


あの時の言葉を、いま果たそう。

自分が口にした決意を違えることは、性に合わない――そんな人間だ。


トリスタンの訃報を聞いた時、クリスティアンは自分の結末をとっくに悟っていた。

……まさか、フェルナンドに敗北する羽目になるとは思わなかったけれど。




「なぜだ。なぜ、私ではなくトリスタンなのだ!?私とヤツと――何が違うと言うのだ!?母親が王妃というだけで――!」


その昔、まだフェルナンド・デ・ベラルダが城にいた頃。

トリスタン王子からお気に入りを取り上げたかったフェルナンドは、何度かクリスティアンと衝突していた。自分に寝返らせようと誘いかけてくることもあり……頑として拒否するクリスティアンに、フェルナンドは激怒してそう叫んだ。


「……フェルナンド様。トリスタン様が王になられたのは、彼が王子だったから――それは間違いないでしょう。ですが」


自分がトリスタン王に忠誠を誓ったのは……彼が王子だったからではなくて。


「私は、友人だからトリスタン様にお仕えしているのです。友情は、命じられて芽生えるものではありません。あなたに仕えることはあり得ない。絶対に」


トリスタン王子と共に過ごし、彼の姿を見つめ続けてきた。そうして芽生えた、彼への想い。

自分につけ、と高圧的に命じることしかできないフェルナンドでは、絶対に築くことのできない関係だ。


クリスティアンの説教も、フェルナンドには届かない。彼の中で強固に築かれた価値観がいまさら変わるはずもなく、ただ侮辱されたと感じて憤慨しながら立ち去るばかり。

苦笑いでそれを見送ると、トリスタン王子が姿を現した。


「……なかなか、熱烈な告白だったな」

「何言ってるんですか。気色の悪い表現しないでください」


迷惑な好意を向けてくる主人ではあったが、トリスタンはクリスティアンにとってただの主君ではなく、唯一無二の親友だった。

親友だから、自分の運命を彼に託したのだ……。




「お前を喪うのは、大きな損失だろうな」


シルビオが言う。

偉大な父王が亡くなり、家臣が裏切り、政敵は国に舞い戻り……これから王となるロランド王太子の目の前には、山のような困難が。

若い王には、過酷過ぎる試練だ。


「私の評価がいささか高過ぎるような気がするが……だが、そうだな。ロランド様には、味方が足りない」


ロランドをお願いね――亡き王妃の言葉を、蔑ろにするわけにはいかない。


だからクリスティアンは、おめおめといまも生き残っているのだ。

自分には、最後に成すべき仕事が残っているから……目の前の青年を、どうしても説得したい。

有能で、実父との関係は決して良好ではない。彼の実力が正当に評価されるためにも、フェルナンドから引き離してしまいたい。


「もう行ってしまうのか。もう少し、話がしたかったんだが……」


クリスティアンが笑顔で言えば、シルビオは苦虫を噛み潰したような表情で。でも、彼もまた、後ろ髪を引かれるものがあるようだ。

きっと、説得できる。


ロランドと、シルビオ……彼らなら、良いコンビになれる。

トリスタン王……ブランカ王妃……あの二人の血を引く王子。その成長を見届けられないのは残念だ。


フェルナンド・デ・ベラルダに、ロランド王子が負けるはずがない。

自分は敗けてしまったが――フェルナンドが、ロランド王に勝てるはずがないのだから。


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