愛憎劇 (3)
王から呼び出されてマリアと顔を合わせたチャールズ王子は、相変わらずむすっとした表情だった。頑なにおまえなんか嫌いだぞアピールをしてくるが、ならばしっかりとその意思を貫いてほしいものだ。
マリアはくすりと笑い、謁見の間へと足を踏み入れた。
「チャールズ王子とオルディス公爵の婚約を解消する」
王の言葉に、チャールズ王子は目を見開いて動揺する。
同じように呼び出されて居合わせたヒューバート王子も、表情こそ平静を保っているが、王を見る目には驚きと戸惑いがあった。
「公に宣告するのは後日となる。それに伴い、ヒューバート王子、そなたとオフェリアの婚儀を近々執り行う。オフェリア・デ・セレーナを王家に迎え入れる準備を進めよ」
「……は」
オフェリアと結婚できる。
突然の事態に、ヒューバート王子は喜びを通り越して呆然としていた。マリアもまた、オフェリアの婚姻が早まったことには内心眉をひそめた。
……やはりこうなったか。
「お待ちください、父上。何故、私とマリア――オルディス公の婚約解消が、そのように急に……!」
「そなたは以前、余に婚約解消を申し出ていただろう。あれから余も考えたのだ。もともとオルディス公とセレーナ嬢、どちらかの婚約は解消せねばならぬとは思っていた」
さすがのチャールズ王子も、そんな台詞をすんなりと信じることはできないでいるようだ。マリアと王の関係を知っているからこそ、特に。
「私からマリアを取り上げ、ご自分の愛妾になさるつもりか。父上は、本気で……」
「好きなように考えるがよい。そなたはオルディス公を拒み、余には公爵が必要だった。それだけだ」
淡々と答えるグレゴリー王に対し、チャールズ王子は怒りで顔を赤くする。マリアをキッと睨み、詰め寄って来た。
「お前は……どこまで……!」
怒りのあまり言葉も出ない王子は、マリアの腕をつかむ。
チャールズ、と王が厳しい声で制止する。
敬称を付けず、チャールズ王子を公の場で呼び捨てに……。マリアもチャールズ王子も、王を見た。ヒューバート王子ですら息を呑み、王の激高に目を丸くしている。
「もうオルディス公はそなたの婚約者ではない。気安く彼女に触れるな」
王子を睨む王の目には、紛れもなく男としての嫉妬の色があった。チャールズ王子はそのことに愕然とする。
王の息子――二人の王子すら沈黙してしまうこの場で、王はマリアに向かって手を伸ばす。マリアはその手を取り、王と共に謁見の間を出て行った。
――それが何を意味するか、承知の上で。
「私、ユベルと結婚するの?」
「そうよ。あなたと殿下の結婚を正式に決定したことで、またお城に呼ばれることになるわ。頑張って、謁見を乗り切りましょうね」
ヒューバート王子との結婚が正式に決まった。その事実にオフェリアは笑顔で喜び、それから急に沈み込む。悲しげな顔をする妹に、どうしたの、とマリアは声をかけた。
「結婚するのが怖くなった?」
「ううん……うーん、怖いのはあるかな。ベルダもアレクも一緒に来てくれるけど、知らない人がたくさんのお城で暮らすのは怖い。でもそれだけじゃなくて」
オフェリアは、不安げにマリアを見つめる。
「お姉様はお城に一緒に来れないんだよね。お姉様と一緒にいられなくなるのがとっても寂しい……」
優しくオフェリアを抱きしめ、大丈夫よ、と励ますようにマリアは声をかける――泣き出してしまいそうな自分の顔は見せないように。
分かっていた。
自分とチャールズ王子の婚約を解消すれば、オフェリアはヒューバート王子と結婚してしまう。王の執着を自ら強めたのだ。マリアを確実に自分に繋ぎとめるため、王はヒューバート王子とオフェリアの結婚を急ぐ。
オフェリアを手放す時が、ついに目前まで迫ってきた。
マリアと離れることを寂しいと言いながらも、結婚を辞めるとは言わない。オフェリアはヒューバート王子を選んだのだ。
――お姉様、待ってよぉ……!
泣きながらマリアの後ろを必死で追いかけてきた少女は、もういない……。
「……何を考えておる?」
王の腕の中で、マリアは我に返った。
ぼんやりと物思いに耽っていたマリアに、誰かを思い浮かべていたのか、と王が嫉妬心をにじませる。
「妹の結婚のことです。たった一人の家族ですから。あの子が嫁いで行ってしまうのが寂しくて」
寂しい本音を隠すことなく話せば、そうか、と王は相槌を打ち、マリアを気遣うように優しく髪を撫でた。
「そなたの部屋も城に用意させよう。好きな時に妹に会いに来ればよい」
「嬉しいです」
マリアは笑顔で言い、甘えるようにグレゴリー王の胸にすり寄る。
……苦い内心は表に出さず。
オフェリアに会いに来て、そのまま城に泊まる。それはただの親切心からではなく、マリアを城に置き留めるための口実でもある。
王はマリアを囲い込もうとしている。いまはまだ自由に振る舞うことを許してくれているが、いつその執着が強まるか分かったものではない。
マリアが王の愛妾として力を持ち過ぎると、今度は王子妃となったオフェリアと対立することになってしまう。オフェリアの地位を危うくする存在に、他ならぬ自分が……。
しかし、王はもうマリアを手放そうとしないだろう。引き返すことはできない。
ララが心配していたのがまさにこれだ――薄氷の上を歩くような道だと、覚悟を決めて足を踏み入れた。
「グレゴリー様……今宵はもう、これでお許しくださいませ。結婚までは妹のことを優先させてくれるお約束ですよ」
再び自分を抱き寄せようとする王に、マリアは抗議する。
オフェリアを寝かしつけてから城にある王の寝室を訪ね、ずいぶんと時間が経った。
妹が起きる時間までには屋敷に帰してくれるはずだったのに、王はまだマリアを離してくれない。
「これで終わりにする」
「その台詞、すでに聞き飽きました。王たるもの、軽々しく約束を破るのはいただけません」
「許せ」
「許してほしいのならば、まずはお約束を……もう、グレゴリー様ったら」
ちゃんと帰してくれるのか一瞬冷やりとしたが、王はマリアとの約束を守ってくれた――一応は。
明け方近く、マリアはようやく王の寝室から出ることができた。
脱がしやすく、着やすい衣装で王のもとを訪ねていたが、それを着直す時間も惜しい。
王の前で着替えなどしたらまたベッドに引きずり込まれそうだし、他の部屋に移って着替えるのも面倒だ。
肌着の上から上着を羽織っただけの姿で、マリアは城の廊下を急いでいた。
王の寝所に近づける人間は限られている――だから今日、マリアの供をしているのはナタリアだった。男のララを連れて行くのは抵抗があったし、王の嫉妬を煽りそうなので止めておいた。
だがやはり護衛がいないと、どうにもマリアには隙ができてしまう。
廊下に立つチャールズ王子には、さすがに足を止めるしかなかった。
「ご機嫌よう、殿下。今日はずいぶんと早起きで――」
適当な挨拶でかわそうとするマリアの腕をつかみ、チャールズ王子は何も言わず強引に空き部屋に連れ込む。
ナタリアが慌てて追いかけようとしたが、チャールズ王子の親衛隊に阻まれていた。
放り投げるようにしてマリアを床に押し倒し、チャールズ王子が覆いかぶさってくる。
上着をはぎ取った王子は、その下に残る王との生々しい情事の跡に目の色を変え、マリアの首筋に噛みついた。
「チャールズ殿下。私はもう、グレゴリー様のものなのです。殿下に肌を許すわけには……」
「うるさい、黙れ!」
王子は怒鳴り、マリアの肌着を引き裂く。
興奮と怒りで、完全に見境を失って頭に血が昇っている――なかなかどうして。マリアの思惑に完璧にはまってくれる。
「これからのお相手は、誰か別の者を探してくださいな。殿下に望まれれば、抱いてくださいと自ら身を投げ出す女もいるでしょう」
マリアはほくそ笑み、忍ばせておいた香水の瓶を王子に吹きかける。
目まいを起こしたように王子はくらりと身体を揺らし、焦点の合わない目でマリアを睨んだ。
「大丈夫ですよ、ちょっとした痺れ薬ですから。数分もあれば元通り……ふふ。私が逃げ出すには、それで十分な時間ですけど」
四つん這いのまま耐えるのに必死な王子から上着を奪い返し、マリアは起き上がって部屋を出た。
あまりにも早いマリアの退出に王子の親衛隊は困惑していたが、構わずナタリアを連れ、すぐにその場を離れる。薬が切れた王子が追いかけて来るよりも先に、マリアは城の外に出て馬車に乗り込んだ。
オフェリアとヒューバート王子の結婚と、マリアとチャールズ王子の婚約解消が公に発表される日が来た。
オフェリアを美しく着飾らせ、マリアは落ち着いた色のシンプルなドレスに――お姉様ももっと華やかなドレスにすればいいのに!とオフェリアから怒られてしまったが、今回は王子との婚約を解消される憐れなヒロイン。喪服を連想させる黒で、地味なぐらいで丁度いい。
「今日もお行儀よく……ユベルと一緒にいたらいいの?」
「今日は陛下のお言葉を聞くだけよ。前みたいに殿下と一緒に挨拶に回るようなことはないわ。私のそばにいて……あ、でも、今日は笑顔は控えめにね」
どうして、と聞きたそうな顔をしながらも、オフェリアは頷いた。
姉が婚約解消されるのに、その妹が無邪気に喜んでいると余計な勘繰りをされてしまう。オフェリアに関心を集めたくはない。
マリアの婚約解消とオフェリアの結婚は、一部の貴族はすでに知っていた。だが大半はその事実を知らず、王から一斉に呼び出されたことを不思議がっている。
マリアたちは大勢の貴族と共に謁見の間が開くのを待った。
最初にグレゴリー王が入室し、ヒューバート王子が――王子は、一瞬だけオフェリアに視線をやり、安心させるように微笑みかける。
宰相や大臣がそれに続く。だが……チャールズ王子の姿がない。今日の主役の一人。呼ばれていないはずがない。
マリアは、誰かが自分の肩をつかむのを感じて振り返った。
「ああ、やっぱり」
レミントン侯爵が、マリアを見て溜息をつく。
なぜ突然そんなことをされなくてはならないのかとマリアは首を傾げたが、侯爵はチャールズ王子を探していたようだ。マリアと一緒にいると思い込んでいたらしい。
「オルディス公がここにいるってことは……参ったな。おちおち療養もしていられないのか、僕は」
「リチャード様、どうかなされたのですか?」
マリアが尋ねれば、レミントン侯爵は皮肉っぽく笑う。
「抜け抜けとよく言う。私が不調でチャールズから離れている間に、ずいぶん色々やってくれたみたいだね。純情な男心を弄ばれて……可哀想なチャールズは、君の思惑にすっかりはまってしまっているよ。たぶん、相手はモニカだな。あの子はチャールズ以上に無防備だ……」
立ち去る侯爵の後ろ姿を見送り、マリアはララに声をかけた。
彼のあとを追って――マリアの指示に従い、ララは侯爵を追いかける。
マリアはまだ準備が終わっていない謁見の間に入り、自分に向けられる非難の視線も無視して王に近付いた。
「公爵、いまは節度を守られよ――」
「チャールズ殿下の居場所が分かりました」
王としての威厳をまとってマリアと距離を置こうとするグレゴリー王に、マリアは言った。
「探しておられるのでしょう?」
王は宰相と目配せし、知っておるのか、と宰相が尋ねる。
「チャールズ殿下なら――女との逢瀬を楽しんでいるようですよ」
王の怒りに、静かに火が点くのをマリアは感じた。
今日、この時に。婚約解消を正式に発表する前に――マリア以外の女と。王を軽んじる行い……グレゴリー王の矜持は、決して低くはない。
「案内せよ」
レミントン侯爵を追いかけていたララは、マリアが王を連れて来るのを見計らって姿を現し、チャールズ王子のいる部屋に案内する。
ララの案内を疑う必要もない。部屋の前にはチャールズ王子の親衛隊がいた。
王を見て、慌てたような顔をしている。なんとか王を止められないかと無駄な抵抗をする彼らを無視して、王は部屋に飛び込んだ。
「……何をしておる」
グレゴリー王の登場に、レミントン侯爵は諦めたように溜息をつき、恭しく一礼する。チャールズ王子は拗ねたような顔でそっぽを向き、王を見ようとしない。
モニカ・アップルトン男爵令嬢は顔を真っ赤にし、慌ててドレスを手繰り寄せ、あられもない姿を隠そうとしていた。
王子の胸にすり寄って乱入者の視線から逃れようとするその姿は、それが合意の上での行為であったことを物語っている。
「ナタリア、彼女の着替えを手伝ってやりなさい」
自分の侍女に命じて、マリアはモニカを着替えさせてやることにした。
チャールズ王子は、マリアの望んだとおりに動いてくれた。
もっと決定的な醜態を大勢の人間に見せつけてもいいのだが……今日はオフェリアの結婚のこともある。見苦しい格好をした二人を晒し者にして、オフェリアの幸せに水を差したくはない。
「余としてはそのまま引きずり出しても構わぬ……が、オルディス公の寛大さに免じて服を着ることを許してやろう。さっさとしろ!」
王は怒鳴り、最悪な機嫌のまま謁見の間に戻って行く。宰相がレミントン侯爵に声をかけた。
「侯爵。あなたはこのまま謁見の間に。殿下たちの着替えが終わるまでの間に、事情を説明して頂く必要がある」
「……御意に」
チャールズ王子側としてはとんだ大失態のはずなのに、レミントン侯爵には余裕すら感じられる。
やっぱりこの男は、これぐらいでは崩せない。
――舞台は、ようやく幕開けの準備を終えただけだ。




