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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第五部01 波乱の婚約劇
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変えられないこと (3)


「ずいぶんとお加減も良くなられたみたいですね。でも念のため、今日もお休みになっていないとだめですよ」


体調が良くなったと聞き、マリアはエステルの離宮を訪ねていた。


顔色も良くなり、マリアの腕にぎゅっとしがみつくだけの元気は取り戻しているようだ。

ちゃんと休もうとしてくれなくて、と困ったように笑うポーラに代わり、マリアはエステルをなだめてベッドに戻す。


またいくつか本を読んであげて寝かしつけ……を、するのは構わないのだが、前回より体力が余っている分、エステルが寝つくまでにかなり時間がかかった。


「ありがとうございました、公爵。私一人では、エステル様もなかなか言うことを聞いてくれませんもので」


ポーラから礼を言われ、マリアは苦笑する。


手のかかる女の子をなだめるのは妹で慣れている。しかし、自分よりずっと年上の女性相手にそんなことをするとは思わなかった。


「お休みになられたようですし、本日はこれで退散させて頂きます。まだ完全に良くなったわけではないのなら、長居するわけにはいきませんし」


マリアが退出の挨拶を告げれば、ポーラは申し訳なさそうに対応する。


「せっかくお越しくださったのに、ろくなおもてなしもできず……。そのお召し物も、エステル様のためにわざわざ選んでくださったものですよね。オルディス公爵のお気遣いには、感謝の念しかございません」


マリアは、エステルを訪ねる際には男装をしていた。

それもガーランド商会やドレイク警視総監のもとに働きに行く時に着るラフなものではなく、それなりにきっちりした衣装だ。着用にはなかなか手間がかかるが、それでもドレスよりもずっと動きやすい。


しかし、ドレイク卿の仕事を手伝うにはこの服は動きにくいのは確かだ。今日はこのまま屋敷へ帰ろう――そう思い、マリアは離宮を出て城の廊下を歩く。

広い城だが、エステルの離宮を訪ねることができるのは限られた人間だけ。自然と、予想された相手と出くわすことになった。


「エステルのところからの帰りかい?」


最初に会ったのは、リチャード・レミントン侯爵。

偶然通りがかっただけのようで、今日は取り巻きのような他の貴族と一緒だ。


「はい。お加減も良くなったようで、安心致しました」

「そう。元気になったなら、私は行かないほうがいいだろうね。私が行くと、男嫌いのあの子を刺激してしまうから、ポーラに睨まれる」


レミントン侯爵はいつもポーラから睨まれているような気が……ということはさすがに黙っておこう。


「今日は貴女とゆっくり話をしている余裕もなくてね。また後日。今度はチャールズにきちんと誘わせよう」


あっさりと侯爵が立ち去ってくれたことに安堵したが、次に出会った人物はもっと手強い相手だった。

――エンジェリクの王グレゴリー陛下である。


「オルディス公か。久しいな」


キシリアから帰ってきたマリアは、王との謁見がまだであった。

本来なら挨拶ぐらいはしておくのが礼儀なのだが、王に謁見を申し込んだものの返事がずっと先延ばしにされていて。


ずっと仲違いしていた教皇庁とようやく和解できたのだ。エンジェリクの王としては、そちらのご機嫌取りを優先するのも当然ではある。


「ご無沙汰しております。キシリアより帰ってきてから、陛下へのご挨拶が遅れてしまって……」

「よい。時間が取れぬと断っていたのは余のほうだ。公爵に非はない」


そう言いながら、王はマリアが来た方向にちらりと視線をやる。エステルを訪ねてきたことが気になるのだろう。


「せっかく会えたのだ。少し話がしたい」


暗についてくるよう指示を出す王に、マリアは静かに従った。


あまり良い予感はしないが、公衆の面前で王の誘いを断るわけにはいかない。

向こうはマリアに誘いかけるだけの体裁をしっかりと整え、それに対してマリアは断るだけの口実を思いつかないのだから。


だんだん見慣れてきた部屋に通され、長椅子に腰かける王に手を引かれる。

マリアは苦笑いして、王の膝の上にそっと座った――途端、強く抱き寄せられ、襟のボタンを一つ外される。


「陛下、お会いするなりこのような……いくらなんでも情緒に欠けますよ」

「許せ。そなたを目の前にすると急に人間らしい感情が抑えきれなくなるのだ」


王の手が、服の上からマリアの身体をなぞる。露になった白い首筋に口付け、王がフッと笑う声が聞こえてきた。


「以前、そなたに聞かれたことがあったな。男装という趣向を余が好んでいるのではないかと。あの時は一蹴したものだが、今になって思えば一理あったやもしれん」


まとめてあったマリアの髪を解き、王が顔を埋めてくる。


「ドレスよりも脱がしやすくて良い。それに、男の衣装というのは存外隙ができやすいものなのだな」


それは何となくマリアも理解できる。

よく服を贈られるのだが、自分好みに着飾らせたいというだけでなく、下手なドレスを着られると脱がしにくいので、脱がしやすい物を選んでいるのではないか――そんな側面もあるような気がしていた。


「エステルの様子はいかがであった?」

「ずいぶんとお加減も良くなられて……侍女のポーラも安心しておりました」

「そうか」


マリアの上着を脱がしにかかる手を止めることなく、王が言った。


「余がエステルと顔を合わせると、彼女を興奮させてしまう。見舞うわけにも行かん」

「リチャード様……レミントン侯爵もそのようなことをおっしゃっていました。男嫌いのエステル様に、自分の姿は見せるべきではないと」

「余の存在は並の男以上だ。もはや彼女にとって、天敵にも近い」


肝心なことは隠したまま、王はエステルとの関係を、こんな風に思わせ振りに話すことが多い。

好奇心の強いマリアの関心を引くには、とても効果的だ。


「陛下……ポーラは、レミントン家の血縁者ではありませんか。パトリシア様の……」


口に出しかけて、マリアは息を呑む。

突然長椅子の上に押し倒され、そのまま唇を塞がれた。シャツにまでかかる王の手に、それ以上は言うなと命じられているような気がして。


「誰が聞き耳を立てて入るやも分からんのでな。ハッキリとした言葉にしてしまうのは控えよ」

「……否定はなさらないのですね?」


マリアの言葉に、王はもう一度口付けるだけ。

それが答えだ。


顔を隠す長い前髪と不穏な火傷に目が奪われがちだが……ポーラはリチャード・レミントン、そしてパトリシア王妃に似ている。恐らく王妃の実の姉に違いない。

それなら侯爵や王妃、チャールズ王子への不遜な言動も、それが許される理由も説明がつく。

そしてエステルは……。


「恐ろしいほど聡い女よ」

「人を見る目だけは自信がありますから」


マリアが不敵に微笑めば、その生意気さを罰するように王が首筋に噛みついてくる。


エステルの母親は、パトリシア王妃ではなく侍女のポーラのほうだ。

なぜポーラが侍女扱いされているのかは分からないが、レミントン家もややこしい家族関係のようだ。そこには深入りしないほうが良い気がする……。




王の私室から出てきたマリアは、部屋の外で待っていたナタリアと合流し、溜息をついた。


「どこか控え室で服を整えたいわ。それに、髪も直したい」


エステルの見舞いが目的だったので、今日はナタリアだけを供にしていた。ララだったなら、彼らの気配に気付いたかもしれない。


乱れた服装を適当に直しただけのマリアは、言い逃れができない状況でチャールズ王子にその姿を見られてしまった。

王子と目が合い、マリアもさすがに血の気が引く。


王子は信じられない光景を目撃した衝撃から目を見開き、青ざめていた。そして醜く顔を歪ませ、耐えきれないように笑い出した。


「……なるほどな。道理で。姉上が陛下の愛人でないと断言できるわけだ」


ひとしきり笑い終えると、チャールズ王子はマリアを睨み、頬を引っ叩く。

容赦のない王子の平手打ちにマリアはよろけ、それでも涼しい表情は崩さず王子を見つめ返した。


「淫売が……」


聞いたこともないほど、王子の声には憎悪と敵意が込められている。それから視線を逸らさず、マリアも王子を見据える。


「エンジェリク王を誑かした挙句、王子妃となって王妃の座まで狙う……エンジェリクを乗っ取る貴様の野望など、僕が打ち砕いてやる。覚悟しておけ、この魔女め!」


そう言い捨てて立ち去るチャールズ王子を、マリアは黙って見送った――そんな自分たちを、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべて眺めているジュリエット王女の姿を視界に捉えながら。


……やはりそうか。


「女の勘は厄介ね」


もしかしたら、ジュリエット王女はマリアとエンジェリク王のただならぬ関係に気付いているのではないか。

マリアの予想は的中した。


幼くともジュリエット王女は女。父親に近付く女の陰を見逃さなかった。

父親の愛人が、兄にまで近付いている……黙っていられるはずがない。チャールズ王子に密告し、言い訳のできないタイミングで決定的な場面を目撃させる――今回ばかりは、マリアの脇が甘かった。


「マリア様……あの。陛下とは、まだそういう関係ではないのですよね……?」


マリアの赤くなった頬を気遣いながら、ナタリアがおずおずと尋ねてきた。

ええ、と頷きながら、それが何の言い訳にもならないことをマリアも分かっていた。


いまはまだ、そういう関係になっていないだけだ。

王もギリギリのところを楽しんでいるが、こんなことを続けていればいつか必ず均衡は破られる。

そうなった時に、マリアに王を拒絶する意思はない――拒絶できなくなることは分かった上で、そこまで踏み込んだ。


どう言い繕ったところで、婚約者の父親と不適切な関係でしかない。


「いいのよ。最初から言い訳するつもりはなかったわ。いずれ気付かれるだろうとは思っていたし、これで怒ったチャールズ王子が早まった真似をしてくれるなら、こちらとしては有難いもの」


叩かれた頬を撫でれば、まだ痛んだ。皮肉な笑みを浮かべ、マリアは目を閉じる。


マリアを睨む王子の顔を思い出す――心を開き始めた婚約者は、結局淫蕩な女だった。マリアに裏切られた怒りと悲しみに満ちた表情。どこまでも甘ったれで夢見がちな男だ。


「……妻子持ちの男は、やっぱり厄介ね。エンジェリクの王でなければ二度と御免だわ」


チャールズ王子に近付くべきではなかった。

――自分たちは、結ばれる未来など存在しない関係なのだから。


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