思わぬ邂逅 (1)
「ヒューバート殿下より、そなたの妹オフェリア・デ・セレーナと婚約したいとの申し出があった」
故郷キシリアからエンジェリク王国に帰って数日。
マリア・オルディス公爵はすぐに城に呼び出され、エンジェリク宰相と対面していた。
「歓んでお受けいたします――と、私の返答を陛下とヒューバート殿下にお伝えくださいませ」
キシリアと異教徒の戦い――教皇庁の要請を受け、見事キシリア軍と共に異教徒を打ち破ったヒューバート王子を、エンジェリク王は温かくもてなした。
褒美を取らせる、と話す王に、王子が最愛の少女との婚約を願い出て、ようやくヒューバート王子とマリアの妹オフェリアが結ばれる道が見え始めて来た。
しかし、それもまだ、ようやくスタート地点が見え始めただけのこと。
結婚までには、まだいくつもの壁が立ちふさがっている。
「私も異を唱えるつもりはないが、実際に結婚できるかどうかは難しい」
「そうでしょうね。オルディス家に、あまりにも力が偏り過ぎますもの」
姉のマリアが第三王子チャールズ王子と、妹のオフェリアがヒューバート第二王子王子と、それぞれ結婚。それはあり得ない。
さすがに両方の婚姻を認めてしまえば、権力の集中を恐れて大多数の貴族が反対する。どちらか一方は婚約を解消しなければならない。
つまりヒューバート王子の婚約の申し出は、マリアとチャールズ王子の婚約に異議を申し出たのと同じ意味を持つ。
ヒューバート王子は、真っ向からチャールズ王子と対立する意思を示したことになるのだ。
「まだ殿下の婚約について公にはせぬ予定だ。チャールズ王子や王妃派に余計な反発を持たせぬため……。はっきり言ってしまえば、レミントン侯爵がどのような対応に出るか、私もいささか不安に感じている」
レミントン侯爵――チャールズ王子の甥であり、王妃派の中心人物。
警戒が必要な相手ではあるのだが、なにせ真意がつかみにくく、マリアもまた、彼がチャールズ王子とマリアの婚約をどのように考えているのか理解できていなかった。
チャールズ王子の対抗馬として声を挙げたヒューバート王子に、果たしてレミントン侯爵がどのような処遇を下そうとするか……。
「何より、陛下が難色を示しておる。ヒューバート殿下の望みは最大限叶えてやりたい意向だが、オルディス公爵、貴女を手放すことを危惧しておられる」
「私とチャールズ王子が婚約を解消したとしても、王家との繋がりは消えませんわ。ヒューバート王子は私の妹と結婚するのですから」
「そうなのだがな。王子の妃になるのと、王子妃の外戚になるのとでは、やはり距離が違う」
ずいぶん、マリアもエンジェリク王に気に入られたものだ。
「いっそ、つまらない愛妾に望んでくださったほうが、私としては有難いのですが……」
王の愛妾というのも厄介な立場ではあるが、寵愛を拗らせるぐらいならそっちのほうがましだ。それとも、一晩だけ王に身を委ねれば、あっさりとマリアに飽きてくれるだろうか。
「愛妾か。パトリシア王妃の時とはいささか事情が違っているからな……。愛妾を持つことには拒否なさるだろう。陛下は敬虔なルチル教でもあるのだから」
「浮気をしている時点で、すでに聖母ルチルの教えには背いてるのでは」
「その通りではあるが、愛妾という明確な地位を与えることには一定の線引きがある。それに存外、陛下は愛妾以上のものを貴女に望むかもしれん」
「それは……出来る限りご遠慮願いたいです……」
王子の妃も、王妃も。
オルディス公爵としてのマリアのいまの力を取り上げるものでしかない。オフェリアとヒューバート王子の地位を安定させるため、マリアは二人の後ろ盾として力を持っていなくてはならないというのに。
それに、姉妹でそれぞれ若い王妃と新しい王子妃――新たな問題となる予感しかしない。
「陛下からのご寵愛も、上手く掌で転がしてみせます――と言い切れる自信と実力が欲しいところです」
「数多の男を誑かしてきた女の発言とは思えんな」
「誑かしたつもりはありません。どちらかと言えば、私が誑しこまれたほうです」
宰相に頭を下げ、マリアは宰相の執務室を退出した。
部屋の外でマリアを待っていたララと合流し、帰るか?と尋ねられる。
「いいえ、今日はこのままドレイク卿の執務室にも立ち寄るわ。しばらく不在にしていたからご挨拶もしたいし、お仕事を手伝わないと大変なことにもなっていそうだから」
ジェラルド・ドレイク警視総監は、エンジェリク宰相の嫡男であり、マリアを秘書として雇っている上司でもあった。
マリアがキシリアへ行っている間、エンジェリクで変わったことはなかったか、そういった情報を得るにはうってつけの相手でもある。
「それから、エステル様にも挨拶がてらご機嫌うかがいにも行って――ララを部屋まで連れて行けないのは難点ね。でもレミントン侯爵の監視があるとなると、やっぱりナタリアだけじゃ不安……」
ララと話しながら長い廊下を歩いていたマリアは、向こうからやってくる人物を見て言葉を切った。
なるべく内心の不快感を表に出さないようにしながら、小さな声でララに囁く。
「初っ端からあれと出くわすなんて。私、そんなに日頃の行いが悪いかしら」
あんま良くないのは事実だよな、とララが笑うのをジロリと睨んでいると、チャールズ王子と共にやって来たリチャード・レミントン侯爵が愛想の良い笑顔で声をかけて来た。
「やあ、オルディス公爵。キシリアから無事に戻ってきてくれて嬉しいよ。キシリアの王にヒューバート王子を取り成す役目、ご苦労様」
マリアの婚約者であるはずのチャールズ王子は不快そうに顔をしかめ、露骨にマリアから目を逸らして不貞腐れている。上辺だけでも取り繕うつもりはないらしい。
こんな態度を取られても、マリアは笑顔で応じるしかないのだから理不尽だ。
「ありがとうございます。エンジェリクとキシリア、二つの国の懸け橋となることが私の使命であり夢ですから、今回のことで双方の友情が深まったのなら、これ以上の喜びはございません」
「公爵の心掛けは立派だが……私としては、少しばかり不快に感じるところもある。あなたはチャールズの婚約者だと言うのに、陛下はヒューバート殿下に付き添わせた」
たしかに、チャールズ王子やその側近の人間にとっては愉快な話ではない。マリアに取り成しをさせるのであれば、婚約しているチャールズ王子のほうであるべきだ。
……だからこそ、絶対にその決定を覆せない人間にヒューバート王子を指名してもらった。
「教皇庁からの通達では、陛下に選択肢などございませんもの。こればかりは致し方のないことです」
「……たしかに。陛下は教皇庁との関係改善を目指しておられるから、異を唱えられるはずがない」
侯爵が苦笑すれば、チャールズ王子がフン、と嘲笑う。
「父上の聖職者に対するへっぴり腰もたいがいだ。聖職者たちの傲慢さは、王家に対する諸侯たちの侮りより酷い」
「聖職者にうんざりという意味では、私も殿下に同意します。意見が合うのは初めてですわね」
マリアはにっこりと笑って王子に同意し、王子はマリアに賛同されたことをこの上ない屈辱と感じて顔を赤くした。
共通点が見つかって何よりだ、とレミントン侯爵もにこやかに頷く。
「政略結婚とは言え、やはり仲良くできたらそれに越したことはないだろう。オルディス公爵、今度行われる王妃の茶会に貴女を招待しよう。チャールズ、きちんと公爵をもてなしなさい」
「はあっ!?」
チャールズ王子が目を見開いて伯父を見る。マリアも目を丸くしたくなるのをグッと堪え、涼しい表情を崩すことなくレミントン侯爵を見つめた。
「なぜ僕が、こんな女と!」
「何度も苦言を呈してきただろう。チャールズ、公爵を軽んじるのは良くない傾向だ。陛下からの信頼も厚く、人脈の広いオルディス公爵――レミントン侯爵家は、貴族社会の中ではまだまだ成り上がりの格の低い家柄だ。本当は私も、オルディス公爵と気軽に口を聞いてもよいような身分ではないのだよ」
「伯父上がこの女より格下など、そんなこと!」
チャールズ王子は、意外と伯父である侯爵のことを好いているらしい。
以前、リチャード・レミントンの母親は娼婦だと、侯爵本人が話していたことがある。つまり出自としてはあまりよろしくない人間だが、選民意識の強い王子にしては素直に慕っている……。
いや、いっそ平民の出だからこそ慕っているのだろうか。チャールズ王子が可愛がっている男爵令嬢も平民出身だし。
チャールズ王子が敬愛するエンジェリクの先王は、貴族よりも平民を好んでいた。
好んでいたというより、貴族諸侯を軽んじて、平民たちに目をかけていた。その方針は当然貴族たちの反発を招いたのだが、王を称える平民たちに支えられ、その治世をまっとうした。
先王の人気は、平民によって支えられていたと言っても過言ではない。
いまのエンジェリク王より先代国王を尊敬するチャールズ王子としては、彼にならって貴族より平民を重要視しているのかもしれない。
……そのやり方が、あまりにも極端で、稚拙が過ぎてはいるが。
「チャールズ、僕を評価してくれるのは嬉しいんだけど、そうやって他人を貶して相手を持ち上げるような褒め方はやめなさい。それは褒めてるとは言わない。僕に対しての侮辱もであるのだから」
レミントン侯爵の言葉に、納得はできていないようだがチャールズ王子は黙り込んだ。
本当に、王子は伯父に対してかなり好意的なようだ。
父親である王にはいちいち反抗的ですぐ突っかかり、周囲の人間も自分の意に沿わなければ平気で切り捨てる癖に、侯爵の言葉には割と素直に従っている。
「……こんな感じで。ちゃんと私も付き添って、チャールズのことをフォローするから。この機会に親睦を深めようじゃないか」
にこにこと愛想よく笑うレミントン侯爵に、チャールズ王子は閉ざしたままの口をもごもごと動かしていた。たぶん、反論の言葉が出かかっているのを必死で抑えているのだろう。
それはマリアも共感できた。
敵しかいない場所に乗り込むとか、まったくもって気が乗らない。しかし、この場はレミントン侯爵の顔を立てるしかない。
「とても嬉しいお言葉ですわ。是非、参加させて頂きます」
にっこりと微笑み返しながらも、そう答える口調は棒読みだ。
――我ながら、とんだ大根役者を演じてしまった。
「それじゃあ、後日招待状を送ろう。楽しみにしているよ」
最後までにこやかに手を振るレミントン侯爵と、マリアを睨んだまま友好的な様子を微塵も見せなかった王子を見送り、マリアは自分の後ろで控えていたララに向かって言った。
「その顔やめてよ。私だって、どうしてこうなったのか頭を抱えたい気分なんだから」
チャールズ王子と親睦を深めるだなんて御免だ。
マリアはチャールズ王子の長所や魅力を知りたいとも思わない。知りたくもない。
だって、いずれはどちらかが滅びるしかない敵同士なのだから。




