オフェリアの選択
サンタロッサ尼僧院には、ヒューバート王子だけでなく、ロランド王もマリアたちの父母の墓に立ち寄ってくれることになっていた。
本来は男子禁制だが、キシリアの前宰相に会うために特例で許してほしいとマリアが頼みこみ、許可してもらった。
尼僧の院長はマリアやオフェリアもよく知った顔で、院長もマリアたちのことを幼い頃から知っている。
マリア、オフェリアの姿を見ただけで、院長は喜びに涙を流した。
「こんな年寄りばかり生き残って……と思っていたのだけれど。スカーレット様とクリスティアン様の忘れ形見が、こんなにも立派に育って。お二人の成長を見届けることこそが、私が神より与えられた使命だったのかもしれませんね」
サンタロッサ尼僧院では最近副院長が病で亡くなっており、新任の副院長と交替していた。
新しいサンタロッサの副院長は、すでに尼僧となったガードナー夫人だ。
「マリア様。お久しぶりでございます。アルフォンソ様は細やかに気遣ってくださって、エンジェリクでのことなども、私たちに知らせてくださりました。マリア様は、夫や息子たちを丁寧に弔ってくださったとお聞きしております。何から何まで……本当にお世話になって」
そう話すガードナー夫人は、服の裾でそっと自分の目尻を拭う。愛する人たちのことを思い出し、少しだけ悲しみを見せた。
「末娘のエイミーも良き縁談に恵まれ、次女のベスは無事に娘が生まれました。ベスは、生まれたばかりのキシリア王女の乳母を任ぜられておりまして。長女のジョゼフィーンは、エメリコ様の養女となりました」
エメリコという名前には聞き覚えがある。
マリアが思い出そうと首を傾げていたら、ロランド王がシルビオの家令だと教えてくれた。そうだ、シルビオがベラルダ家にいた頃から彼に仕えていた、家令の名前だ。
「エメリコ様は孫たちを大変可愛がってくださり、父親にも負けぬ立派な騎士に育てると私にお約束してくださったのです。兄のほうは、もう少し大きくなったら騎士見習いとして、シルビオ様のもとへ奉公に参るそうですわ」
無邪気な弟と、そんな弟にもしっかり言い聞かせた兄――そうか。あの二人も、父親と、祖父の志を継いで、騎士を目指しているのか……。
「おかげさまで全ての憂いが消え、私はこうして尼僧となり、夫や息子たちのために静かに祈ることができます。キシリアへ渡ることを決めた時には想像もできなかったほど、私も穏やかに日々を過ごしております……」
副院長と話をしてると、若い尼僧がやって来た。
マリアと十歳ほどしか年が離れていない……明るく朗らかで、ちょっとそそっかしいところもあった父の愛妾は、すっかり落ち着いた尼僧となっていた。
「マリア様、オフェリア様」
二人を見て微笑むエマに、マリアは複雑な思いで微笑み返す。オフェリアは、自分の家庭教師も努めてくれた年上の友人に抱きついた。
「エマ!あのね、お姉様から聞いたの。ルカのこと」
三歳という幼さで命を落としたマリアたちの異母弟。オフェリアも可愛がっていたし、弟の死は隠せるものではなく、正しくその死を教えている。
ルカの名前を聞き、わずかにエマは表情を曇らせたが、それでも落ち着いた様子に変化はなかった。
「エマに会えるって分かってから、私、これをずっと作ってたの。ミゲラの町の人たちも手伝ってくれてね……図面は、メレディスに描いてもらったんだよ」
そう言って、オフェリアは持って来たタペストリーを広げてエマに見せる。
大きくはないが丁寧に織られたタペストリーには、母子像が描かれていた。
「小さな男の子を抱く聖母は……あなたがモデルね」
タペストリーに描かれた母子を見て、副院長は微笑んで言った。
エマの微笑が崩れ、涙があふれてくる。嗚咽を抑えきれなくなり泣き出したエマの背中を、副院長が優しく撫でた。
「エマ、もらってくれる?」
「……はい。はい、もちろんです。ありがとうございます、オフェリア様」
エマはマリアを見た。また笑ってはいたが、今度はマリアが知っている笑顔のエマだった。
「アルフォンソ様から、お聞きしました」
何が、とは明言しなかったが、それがルカを死に追いやった男ガスパルのことだというのはすぐにわかった。
エンジェリクにまで逃げ込んでいたのを捕え、キシリアに送り返した。そしてキシリア王の恐ろしい怒りの末に、すべては終わった……。
「復讐を望んだわけではありませんでしたが……それでも、少しは心の整理がついたような気がいたします。ロランド王にもご心配をおかけして……」
「気にすることはない。美しい女性を見舞う口実ができて、私も得をした」
ロランド王が笑いながら言った。
さすがにこれはエマを慰めるための方便だ。疑わしいところはあるが、見逃しておこう。
「マリア様を見ていると、クリスティアン様と過ごした日々を鮮明に思い出します。クリスティアン様のお心はスカーレット様と共にあり、何よりも愛していたのはマリア様とオフェリア様でしたが、そんなお姿を近くで見ることができて……それだけで私は幸せでした」
「お父様は、あなたの想いにとても助けられていたと思うわ。たしかに父の生涯の妻は私の母一人だったけれど、エマもルカも、父にとってかけがえのない存在であったのも事実よ」
父が母と一緒にいられた時間は短い。
オフェリアがまだ赤子だった頃に病で亡くなってしまった母スカーレット。スカーレットの死に父がどれほど打ちのめされたか、マリアも覚えている。
そんな父が、子をもうけるまでの愛情をエマに抱くことができたのだ。きっと、エマと過ごした時間は、父にとっても大切なものであったに違いない。
「ルカをここへ埋葬することを許してくださって、ありがとうございました」
「いいのよ。ルカだって、両親のそばにいたいでしょう」
墓地には、母スカーレット、父クリスティアン、異母弟ルカが眠っている。
他の親族は、セレーナ一族が眠る僧院に埋葬されており、そちらはミゲラの近くにある。ロランド王たちが戦地から戻ってくるよりも先に、マリアはオフェリアやナタリアと共に訪れていた。
墓の前で祈り、マリアは父と弟に思いを馳せた。オフェリアも、墓の前に跪いて祈りを捧げる。
「お父様、ルカ、会いに来るのが遅くなってごめんね……」
オフェリアの隣に並び、ヒューバート王子もクリスティアンたちのために祈った。
「また会いに来てあげようね。ブレイクリー提督にお願いすれば、きっとキシリアへの船を出してくれるよ」
ヒューバート王子は優しくそう言ったが、オフェリアは首を横に振る。
「ううん。きっと、もうここに来ることはないと思うの。お父様やお母様に会いに来れるのも、きっとこれが最後」
オフェリアの言葉に、誰もが目を丸くした。
もう来ない。はっきりと言い切ったことに、誰もが驚いた――。
「だって、私はユベルと一緒にいたいから。ユベルはエンジェリクの王子様だから、ユベルと一緒にいるってことは、私はもうキシリアに帰ってこれないってことでしょう?」
オフェリアは、そっと両親の墓を撫でる。両親の墓を見つめるその瞳は悲しみに揺れていたが、オフェリアは泣かなかった。
「もう会いに来れないけれど、私、お父様のこともお母様のこともルカのこともみんな、ずっと愛してるわ」
マリアは、オフェリアを抱きしめたかった。けれどそれはもう、自分の役目ではないのだと悟ってしまって。
伸ばしかけた手を、ぎゅっと握りしめる。
跪いたヒューバート王子が、オフェリアを抱き寄せる。
オフェリアの隣に並んで、オフェリアを抱きしめるその役割は……もうヒューバート王子のものになったのだ。
可愛い妹を手放す時が、目前まで迫っている。分かっていたのに……。
「オフェリアがもうキシリアへ戻らぬのなら、そなたももう、キシリアへは帰ってこぬのだな」
ヒューバート王子と共に歩くオフェリアを見送り、マリアはロランド王に声をかけられた。
墓地には、マリアとロランド王だけが残っている。
オフェリアは、尼僧院を発つ前にもう一度エマや院長に挨拶をしておきたいらしい――もう彼女たちにも会えないから。
「オフェリアを残して、私だけ帰ってくるわけには参りません。あの子がエンジェリクで生きる覚悟なら、私も……」
はっきりと口にすることはできず、言葉を濁す。そんなマリアを、ロランド王が抱き寄せた。
「安心しろ。さすがの私も、この状況で悪さをしようとは思わん」
「……どうでしょう。男の方は、そういうことに関してはいささか節度に欠けるようなので。信頼してもよいのか悩みます」
笑いながら言い、マリアは王の胸に顔を埋めた。
いま、顔を見られたくはない。弱音を吐きたくもないし、泣きたくもない。
でもいまキシリア王に見つめられると、感情を抑えきれなくなりそうで。
「相変わらず強情だな、そなたは。私と初めて顔を合わせたのはスカーレットが亡くなった直後であったが、あの時も絶対に涙を見せようとはしなかった」
「そういった可愛げは、母のお腹に残してきてしまったのです。それらはすべてオフェリアが継いで……本当はちょっとだけ、オフェリアが羨ましく感じる時もあります」
「分かるような気はする。人を疑うことを知らず、夢のようなおとぎ話を素直に信じて自分の心のままに生きる姿は、そなたと似ているようで真逆。正反対となると、かえって憧れの対象になるものだ」
ロランド王の言葉に、マリアは密かに頷いた。
王の言うように、オフェリアはマリアにとっての憧れでもあった。
無邪気に王子様を信じるお姫様でいられたら……オフェリアは、そんなマリアの憧れを体現した、もう一人の自分のような存在で。
妹のようになりたいかと言われれば否。ただ、もし何かが違っていたら、あれはマリアの姿だったかもしれない。
そんな思いが、マリアの心の片隅に密かに存在していた。
だから、何に代えてもマリアはオフェリアを守りたかった。
守り抜いて、マリアを守ってくれた少女。もうすぐ手放さなくてはいけれないけれど、一度自分が決めたことを翻すのはマリアの主義に反する。
マリアはロランド王の胸を押し、王から離れて再び墓と向き合った。
「お父様……きっとお父様なら、私のことを褒めてくれますよね。泣いてなんとかしようだなんて、そんなこと。私が一番嫌っていることだと、お父様はよくご存知ですもの。だから、今度こそこれでお別れです」
思い返せば、さよならも告げずに父と別れた。また会えるかもしれない、その可能性を消してしまいたくはなくて。
でも今度こそ、父にはっきり別れを告げよう。
「お父様、お母様。私はエンジェリクへ参ります。次にキシリアへ戻ってくるのは全てが終わった時。私が、そのお墓に入る時だけです」
間を置き、一瞬黙り込んで、マリアは言った。
「さようなら。遠く離れていても、ずっと愛しているわ」
ロランド王と共に、マリアも両親の墓に背を向けて墓地を出て行く。
決めた道は振り返らない。それが、マリアの生き方なのだから。
第四部本編はここでいったん終了となります。
番外編を挟んで第五部に入りたいところなのですが、
話のストックが完全に切れてしまったので、
しばらくサイドストーリー的な外伝として短めの小話を続けて
その間にストックの書き溜めをさせて頂きます。
第五部が始まるのは一週間から十日ぐらい先になる予定です。




