十四話・十五話
(十四)
春香のいる部室兼活動部屋に入った三人は、正座して春香の動きに見入っていた。
部室の広さは十畳ほどで、そこに畳が六枚敷かれていて、畳の淵に黒、和仁、戸浦が並んで座り、黒たちに向かって春香が正座して部活動をしている。
春香の所属する部活は、書道部だ。
書道は、ひたすらに字と向かい合い、字を書き、字の美しさを求める道だ。
春香は、白紙の横に置かれた見本の“永”の字を見ながら筆を硯で整え、白紙に視線を移して全体を見渡すと、ためらいなく筆を下ろす。
よどみなく、止まることなく、心地よい速度で筆は紙の上を滑って行く。
最後の右払いを終えて硯に筆を戻した春香は、前傾姿勢から背筋を伸ばすと大きく息をついた。
「待たせて、ごめんね」
と、おっとり笑顔を三人に送った後、春香は片づけを始める。
「全然いいよ。廊下で待ってるね。すみません、お邪魔しました」
と三人を代表して黒が、春香と他の書道部員に声をかけて部室を出る。
しばらくして春香が、「お疲れさまでした~」と部室から出てきて、「お待たせ~」といい三人に合流する。
四人は廊下を下駄箱に向かって歩き出した。
「相川さん、“永”という字を書かれていましたが、なぜですか?“永”の字がお好きとか?」
と、歩き出してすぐ和仁が春香に疑問をぶつけた。
襲撃事件があった翌日、安全の為にみんなでの下校の初日。黒は戸浦が自慢の情報ネタを最初に話し出すと思っていたし、戸浦は黒が春香とガールズトークを始めるものとばかり思っていたのだが、以外にも二人の思惑から外れて和仁が書道の事に興味が湧いたようで春香への質問から会話が始まった。
質問を受けた春香はくすくす笑いながら、
「別に“永”が好きなわけじゃないよ~」
といい、誰が見ても癒されるであろう微笑みをたたえながら、
「“永”っていう字はね~、基本がいっぱい詰まっている大切な字なんだよ~。“永字八法”って言われてて~、なんと八種類の筆の動きが一つの字で練習できちゃうんだよ~。お得でしょ~」
と、春香。
春香の話が終わるとちょうど下駄箱に着いて、四人は靴を履き替えて校門を目指して並木道を歩く。
すると和仁が、
「なるほど、柔術の稽古で言うところの“四方投げ”みたいなものですね」
黒と戸浦は、なんで例えが柔術?と違和感を覚えるが、
「そんな感じ~」
と、和仁が言う柔術の技を知ってか知らずか、春香は和仁の例えに同意して二人はなぜか意気投合する。
「春香、その“シホウナゲ”ってどんなのかわかってるの?」
と、思わず黒が質問をする。
「わからないよ~。でも、話の流れから柔術の基本の技じゃないかな~?」
「そりゃそうだろうけど、そうなの?和仁君?」
「“四方投げ”は柔術の体捌き、崩し、投げ、固め、など細かく言えばもっと増えるのですが、柔術の基礎のほとんどが詰まっている形でして、とてもお得な形です」
「ほら~、お得な形だって~。細かいことは気にしないの~。ね~、和仁くん」
春香のね~に、和人は微笑みながらうなずいてやんわりと同意する。
黒は、ははは、と意気投合する二人に“わかんねえや”と言わんばかりの乾いた笑いを送る。
「なんとも、芸事をやっている者同士の、共通する“なにか”があるみたいだな」
と、少しずれた会話でも話の通じる和仁と春香に、戸浦は感心する。
「あのさ、今、ふと思ったんだけど、部活終わりになんで基本練習の“永”って字を書いていたの?基本練習って練習を始める最初にやるイメージがあるんだけど?」
と、黒。
春香は満面の笑顔で、
「今日は基本しかやらなかったんだ~」
と、校門を通り過ぎながら言う。
今日は六時半を回っているので、ほかの部活帰りの生徒も下校している。
「え?そしたら今日は基礎練習だけだったの?あきたりしない?」
と、驚きながら黒が聞く。
「わたし、基本って大好きなの~。なんか基本の “一”の字とかさっきの“永”の字とかを書いていると、習字やってるな~って感じるの~。それで楽しくなっちゃって、綺麗に書こう、綺麗に書こう、って何枚も書いていると、いつの間にか部活終わっちゃうの~」
春香は、誰の目から見ても幸せそうな笑顔を顔に咲かせながら基本練習の話しをする。まるで、恋人とののろけを友達に話さずにはいられず、楽しかった記憶を垂れ流してしまう恋愛に夢中な女子高生のようだ。
春香の場合は、それが書道の基礎練習について、という違いなだけである。
「なんというか、春香ちゃんは本当に書道が好きなんだね」
と、少しついていけないといったニュアンスを含めながら戸浦が、昨日ジャージ男たちに襲われた佐々木公園の入り口に差し掛かりながら言う。
「え~、戸浦君だって同じだよ~。情報集めに熱中してて、いつの間にか時間が過ぎてたことあるでしょ~?」
基礎練習の面白さに理解を示さない戸浦に、春香が口を尖らせて食い下がる。
「そう言われると、そんなこともあるけど・・・でも春香ちゃんほど楽しくやってる訳じゃないからな~・・・」
「面白くないなら、何で少しの時間を使ってまで情報集めるのよ。ゼッタイ、好きだからよ!それで人の写真も集めだすんでしょ?このド変態!」
黒は食いつく隙を見つけるや否や、強引に昔の事件とつなげて罵る。黒は戸浦の情報集めが好き嫌いなどどうでもよく、精神的ダメージを与えたいだけなようだ。
「そんな風に言うなよ~。自分でもなんで続けているのか分からねえんだから~」
戸浦は自分の癖の事を深く考えたことがなく、うまく説明できないことに困ってしまうのだった
(十五)
佐々木公園を抜けて大通りに出た四人は、路面電車の駅前で解散する。路面電車に乗る女子二人男子一人を、学校まで歩いて登校している和仁が見送る形だ。
三人が乗った路面電車を見送った和仁は、公園の出口から通りを渡ったところにある“青空商店街”を通って帰ることにした。
六時半の時間帯は買出しの時間から少しずれているものの、飲み屋やスナックに行く会社帰りのお父さん方などで人が結構いる。
いつもは物思いにふけりながら下校する和仁は商店街から一本ずらした静かな道を帰るのだが、用心のため今日からは商店街を選んで帰ることにしたのだった。
とはいえ、下校中の物思いは商店街の賑わいぐらいでは治まるわけもなく、八百屋の軒先に並んだ野菜や惣菜屋さんの今日のおかずを横目で見ながら、和仁は四人で下校した時に話した内容を思い返していた。
(相川さんは基本練習をやると、習字をやっている気がするって言っていたな・・・)
和仁は春香の言っていたことが強く頭に残っていた。
自然と和仁は自分の武術経験と照らし合わせていた。
稽古場で柔術の基本の型である“四方投げ”を練習しているとき、和仁は何を思っていたかを思い起こしてみることにした。
しかし、形の練習をしているときの和仁は、型通りの動きをするのに夢中で特に何も思っていないことに気付く。
(そもそも、自分自身、“柔術をやっているな”といままで思ったことがあったのだろうか?)
自問自答の答えは、否であった。今まで和仁は“柔術をやっているな”と思ったことがなかった。
和仁は柔術が好きだが、稽古をしている時はなにもかも忘れて型に没頭してしまう。
稽古の時間の間、和仁にあるのは柔術だけで、学校で嫌なことがあっても柔術を稽古している時は全てを忘れることができる、そういうものだった。
ふと、ここにきて和仁は分からなくなる。
なぜ、春香は基本練習をすると習字をやっていると強く思うのか、と。
柔術の稽古を無我夢中でやる和仁には、稽古中に“柔術をやっているな”と思う余裕は今までなかった。しかし、今は柔術の稽古をしないことで逆に柔術について考える時間が増えいる。
和仁は腕組みをしながら、考えを巡らせる。
すると和仁自身、意外なことに思えたのだが、 “柔術の基本練習とは何か?”という質問に、“柔術の基本練習はこういうことだ“という答えを今まで考えた事がない自分に気付く。
(落ち着いて、ひとつひとつ整理していこう・・・)
和仁は5m先の地面に視線を固定して、さらに集中しながら考えを巡らせる。
(竜神流の基本練習とは、竜神流の要点が詰まっている基本の型を稽古する事である)
すごく当り前な文ではあるが、和仁は基本練習についての考えを頭の中で文にしてみた。
すると、四人で下校しているときに春香が言っていた書道や柔術の基本練習は“お得”という話が思い起こされ、確かにお得だなと改めて納得する。
一緒に歩いている時、春香の基本練習がお得という話に、和仁は直感的にその通りだなと思っていた。
もっとも、柔術の練習をしている時の和仁にとって基本の型は、稽古の最初と最後にやる型というぐらいの印象で、春香の話がなければ基本の型について考えることもなかっただろう。
だが、少し考えてみれば分かることだが、基本の型には和仁の習う柔術の要点がほとんど詰まっている。
まさに竜神流の基本が“四方投げ”に詰まっているのだった。
(・・・ “お得”ということは、“あれもこれもある”ってことだよな・・・ほとんど四方投げの型の中に竜神流が入っているって事だよな・・・竜神流がほとんど入っている・・・か・・・ん?・・・・・・っ‼)
ここにきて、和仁は体の中を雷が通り抜けたような衝撃を受ける。
基本の型は、先人が竜神流という柔術で大切だと思う要点を凝縮して作ったものである。
ということは、もし “あなたのやっている柔術はどんなものですか?”と質問を受けた時に、説明するため実演するとしたら、基本の型であり全てが詰まっている型である“四方投げ”を実演するのが一番適しているのではないか、と和仁は体を震わせながら思うのであった。
和仁は今まで、魔法のように相手を抑え込んでしまう型や、手を使わずに相手を投げてしまうような華やかで見栄えのする応用技が竜神流を代表するものとばかり思っていた。だが、それは間違えで、すべての応用技は“四方投げ”を素にして出来上がっている訳で、和仁が考える限り、基本の型が竜神流をもっとも現していることに気付いたからだった。
そうなると、春香の言っていた“基本練習をやると、習字をやっている気がする”という言葉が理解できるようになってくる。
なぜなら、竜神流をもっとも現している四方投げを練習するということは、竜神流そのものを練習することになるからだ。
同じように、書道の要点が詰まっている文字を書くということは、書道を濃密に練習することになるわけで、まさに書道をやっていると強く思う事になるわけである。
(相川さんはすごいな・・・)
自分ではまったく気付くことの出来なかった事に気付いていた春香に対して、和仁の体は尊敬の念で一杯になった。
整理してしまえばどうということはない話ではあるが、和仁は確かな手ごたえを感じていた。
和仁は、当り前な事でも今までのままでは気付けていなかった事に、今気付けたことがうれしかった。
和仁は、春香への尊敬と嬉しい気持ちが織り交ざった不思議な気持ちで周りを見回す。
すると商店街はとっくに終わっていて和仁の住むアパートに行くために曲がらなければいけない角を500mも通りすぎてしまっていた。
和仁は、頭を掻きながら来た道をしばらく眺めていた。




