三話
中川愛香は、ここ数週間、常にイラついていた。
原因はわかっている。
小西哲夫だ。
小西哲夫が会う度に、
「この前言っていたデザイン書いてみてよ。愛香が言っている事を俺、形にしたいんだよ。愛香と何か作りたいんだよ。愛香は作りたいはずなんだよ。言っていることを形にしようよ」
と、言って来るからだった。
それを聞く度に、出来たらやってるよ、と愛香は思う。
服飾の学校に通い出して、自分の実力を知った愛香は作ることから逃げるようになっていた。
逃げて、結局自分の容姿を頼っていた。
私はこの持って生まれた容姿で生きていける。
逃げている時の頭に浮かぶ言い訳は決まっていた。
「うざい」
辛辣な言葉で哲夫の毎度の提案を打ち切って立ち去る。
愛香は早歩きで帰路に付くが、頭に上った血が下がり哲夫から出るうるさい言葉が自分の為であることを再認識して心が哲夫の優しい微笑で満たされる。
すると哲夫が欲しくなって、気まずい愛香は連絡もせず哲夫をアパートの階段で何時間も待ち、会ったら狂ったように求めてしまう事を繰り返していた。
愛香はもう分かっていた。
どんなに自分に力が無くても作らなければ何も始まらない事を、愛香は分かっていた。
自分の部屋に帰り、床一杯に広がるくしゃくしゃに丸めたデザイン画を拾い広げ見返して、スケッチブックに向かうと代わり映えの無いデザイン画が出来上がって、また一つ丸まったデザイン画が出来上がる。
愛香は部屋を飛び出して、繁華街に向かう。
愛香は何でもいいから心奪われるものに出会いたかった。
綺麗なもの、美しいもの、かわいいもの、焦る気持ちが収まれば何でもよかった。
「愛香ちゃん?」
声を掛けられた愛香が振り向くと、太く鍛えこまれた肉体に不釣り合いな優しいたれ目の要徹がいた。
「連絡くれないから、寂しかったよ。大丈夫?」
愛香は要を見た瞬間にもう、下半身が反応して熱くなっている。
しかし、愛香の頭の中は作らなければ変わらないよという優しい小西の笑顔に満たされる。
「要さん、いまそんな気分じゃないの」
とだけ絞り出すと、百貨店の集まる区画に早足で歩きだす。
しかし、今まで要からベッドの上でも受けたことのない力で腕を掴まれると、
「手荒なのは嫌いだから我慢していたけど、僕も生きて行かなきゃいけないからごめんね」
小さい声でささやかれた愛香は頭が真っ白になり理解するのに数秒掛るが、我を忘れて自分の事を手籠めにしようとする男と要が同じ顔をしていることに気が付き、声を上げようとする。が、いつの間にかもう一人の男が愛香の反対側の腕を抱え込みながら口を手で抑えられていて声を出せなくなっていた。ならばと愛香は足を振り回し蹴れるところを蹴ってやろうと、足を動かそうとするが体が浮き上がり、また違う男に足を抱え込まれてしまう。
愛香はのたうち回るが為す術もなく、近くに停めてあったワゴン車に連れ込まれて車は急発進する。
繁華街で人通りがあり、事の次第を見ている人もいるが、男たちの躊躇ない行動に誰も対応できない状況だった。
「今のなに?やばくない?」
「おれ、警察に電話してみる」
居合わせた人たちはそれぞれ自分の出来る事をしようと動き始める中で、小西哲夫は混乱する頭を何とか収めようと必死だった。
ここ数週間、小西は自分が愛香を追い詰めていることを自覚していた。
追い詰めた愛香の事が心配で、連日愛香のアパートの近くに行き部屋を監視するようになっていた。お互い路線が違うため、電車で移動すると遠く感じていたが、調べると直線距離では案外近く、自転車を購入した小西は愛香の部屋の電気が消えるまで監視するのが日課になっていた。
そして今日、愛香は部屋を飛び出し繁華街へ向かい、小西も後を追って見守り、偶然を装って甘い期待を込めてどうしたの?と声を掛けるつもりでいた。
そんな少し浮ついた気持ちに冷や水が掛けられる事が目の前で起き、自分の見通しの甘さに悔しさと焦りで体が気持ち悪くうねるのを感じる。
「小西さん!こっちです!」
気持ち悪い体のせいで考える事ができない小西に、道に止まったサイドカーから声が掛けられていた。
小西が見ると、運転席に戸浦守人、サイドに間山和仁が乗っていて小西に来いと手を振っていた。
「小西さん早く!」
和仁に急かされた小西は訳も分からずサイドカーに向かうと、和仁からヘルメットを受け取り被ると守人の後ろに飛び乗り、バイクは走り出す。
さっきまで小西の身体を満たしていた気持ち悪いうねりは、バイクの風が吹き飛ばしたのか感じなくなっていた。
「ね?俺と気持ちよくなってくれればお金もあげるし、今君を抑え込んでいるやつらには何もさせない。これは愛香ちゃんの為でもあるし、俺の為でもあるんだよ。分かってくれるだろ?」
中川愛香は繁華街でさらわれてから数十分車に乗せられた後、知らない街の雑居ビルに連れ込まれていた。普段はライブハウスとして使われているだろう階の、客が思い思いにリズムを刻むはずのフロアーに数十人の男達、カメラ数台とベットが設置され、愛香はベットの上で数人の男に抑え込まれていた。
「君の美しさは俺が一番知っている。みんなでやるのは簡単だけど、それじゃあ愛香ちゃんの美しさは半分も伝わらないのが分かっているんだ。これだけ多くのスタッフを動かしてる意味を考えてほしいんだ。俺は本気で愛香ちゃんを人気女優にしたいと思っているんだ」
愛香は要徹の言葉を聞きながら、近頃は要に連絡を取ろうと思わなかった自分の気持ちを理解する。
「要さんには行き場のない気持ちを何度も晴らしてもらって感謝しているけど、今の要さんにははっきり言える。私をさらった時点で、お互い気持ちよくなる事なんてありえない。待てなかった要さんは、今の私にとってはただの精力の強い男ってだけ」
パッという音の後、愛香の耳に聞こえるのはキーンという音だけになり、頬はじんじんと熱くなる。
「流れなんかどうでもいいから、好きにやってくれ」
中川の頬を張った要は、つきものが取れたように近くの椅子に体を投げ出す。
しばらく椅子に体を預けたまま、数人の男達が愛香の服を乱暴に脱がせるのを呆然と見ていた要だが、奥歯を噛み締めると怒りに身を震わせながら椅子から立ち上がる。
「いい女じゃないか。壊すなら撮影が終わってからにしろ」
立ち上がろうとする不安定な瞬間をとらえて、要の肩が抑え込まれる。
要は怒りの形相を抑え込む小柄で白髪交じりの初老男に向けるが、すぐにあきらめ椅子に座りなおす。
「お前のおやじさんから止めるように言われている。悪く思うなよ」
「すみません、もう大丈夫っす」
そう答える要の肩を軽く二回叩くと、初老男は離れずに要の脇に立つ。
要は一つ深呼吸してもう一度体を落ち着けると、隣の初老男を目だけで盗み見る。
「見た目気にしないからなあ。鼻毛でも出ているか?」
「いえ、なんでもないっす」
要が盗み見た視線を隣の初老男も目だけで迎え、機先を抑えてくる。
要の隣の男は以前、小西哲夫を襲った際呼んだ坊主ボクサーの師匠に当たる者で、要は以前何度か会っているがその度に底知れないものを感じさせられていた。
要はベットに視線を戻しながら周りを見回す。
要の熱を感じてかおやじが今回の映像を余程抑えたいのか、撮影に関係ない護衛が十人近く呼ばれている。その中には坊主ボクサーも来ていて、師匠の手前なのか緊張しながら入口を警戒していた。
要は静かに立ち上がると、服を脱ぎ美しい筋肉をパンツだけが隠す出で立ちになりベットへ向かう。今度は初老男に止められなかった。
ベットでは四人の男が嫌がる愛香を誰かが抑え込み誰かが撮影用の見せかけの前戯をしていたが、よく調教された犬のように要がベットへ近づくとそれぞれが四肢を抑え込む。
抑え込まれる愛香の耳に要は口を近づけ、
「撮影が終わったら俺は君の綺麗な顔が変わってしまう程殴ると思う。でもせめて、撮影している間は今までみたいに抱いてあげるよ」
愛香にしか聞こえない声量で告げると、体を離してパンツを下ろし愛香の身体に覆いかぶさろうと進む。
「ちょっと!あんた達、勝手に入って来ちゃダメだよ、あ!」
ライブハウスの入り口が騒がしくなり鈍い音がすると静かになる。
「中川愛香をもらいに来た!」
入口のドアが勢いよく開き、短い棒を半身に構えた小西哲夫が声高に宣言しながら、間山和仁と戸浦守人が左右を守り、ライブハウスに飛び込んでくる。
ヒーロー臭いセリフと陣形の小西達とは対照的に、護衛として来ていたパーカーボクサー軍団が静かに三人を取り囲む。
「小西君逃げて!」
愛香は、多勢に無勢でこれから最愛の人がリンチを受けるであろう状況を見る事が出来ず顔を背けるが、
「しっかり見なきゃダメだよ?愛香ちゃん」
その顔を要が掴み、強引に集団の方に向き直す。
小西達を取り囲む輪が小さくなる。ベットや周りのスタッフは成り行きを見るが、人数から予想されるのとは逆の展開にくぎ付けになってしまう。
入口に近い壁を背に、それぞれ三方向を相手にする三人はほぼ一撃でパーカーボクサー達を倒していく。間山は敵の死角にこれ以上ないタイミングで入ると体をぶつけるように当身を入れ、小西はたどたどしくも的確な進退で相手を呼び込み手首や肘周りのツボへ棒で打撃を入れ、戸浦は寝転んで相手の膝へ関節をくじく蹴りを入れて行く。
小西が二人目のボクサーの手の親指へ致命打を入れた直後、今までのボクサーとは違う速さで体を入れてきた男に棒を掴まれ、逆の拳で棒を折られる。
「見違えたなあ。それで俺を刺すかい?」
折れた棒を捨てながらクリッとした目の坊主ボクサーが小西にわざと話しかける。
棒を折られたことで自分では敵わない事が分かる小西だが、折れた棒を捨て今まで稽古してきた通りに右半身で腰の前に手を開いて構える。
「小西さん、自分がやります」
「はっはっはあ!嬉しいねえ!俺はあんたとやりたかったんだ!そこで寝転んでる卑怯な奴と比べても一人だけだんちだ」
間山は小西の肩に手を置き下がるように促すと同じ構えを取るが、小西との修行の深度の違いを坊主ボクサーが見て、「違うねえ」と声を漏らした。




