表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜神流柔術稽古禄  作者: あいき 文・書き物店
短編「生きている実感」
63/66

二話

 「要さん、今回も素敵でした。またお願いします」

 今回の撮影は珍しく普通のAV出演の仕事で、普通の絡みをするだけの撮影は要にとっては軽い運動程度のものだ。

 普通のAVは、崖っぷちの要にとってはきらびやかな業界で、憧れて入って来る娘も多く純粋で天真爛漫な娘が多い。

 欲求不満な事を顔には出さず、

 「君も素敵だったよ」

 と、笑顔で返す要だが、これでは埒が明かない、と内心思っていた。

 おやじが肩代わりしている借金を返し自由になる為には、売れる映像を取るしかないと要は常々思っていて、要自身が持つ精力をすべて開放した時の交わりが映像にできれば今までにはないものが出来る、と絶対の自信を持っていた。

 しかし、要が性を開放して、見られる映像になる女はそうそういなかった。たいていの女は気を失ってしまい要は置いてけぼりだ。

 数少ない要の性を受け止められる女を鑑みた時、真っ先に浮かぶのは爬虫類女だが、事務所に所属していて映像となると制約が面倒なのと、要の解放を受けると気が触れてしまったようになるので映像には向いていなかった。

 人生で数えられないほどの女と体を重ねてきた要が、数えるほどしか経験していない性の解放を映像に納めるという夢物語をあきらめようとしていた二十代最後の年に、中川愛香は現れた。

 どんな経験を中川がしてきたか要は聞かなかったが、体を重ねている時の受け方は相当の経験を積んでいるものだった。

 要がすべてを振り絞る時に我を忘れて腰を振る中川は、行為によって鍛え抜かれた体をすべて使って要を受け止めるとそのまま気を失ってしまうのだが、白目を剥いたり爬虫類女のように奇声を上げながら首を振るような、はたから見て引かれてしまうような行動をしなかった。

 中川は美しかった。

 中川は要の激しい攻めを受けても狂ったようにならない、要が考える映像を撮る相手として理想的な女だった。

 だが、要は中川に出演を断られてしまっていた。

 女の身体は正直で、望まない性交では要が求める快感は生まれない事を、要は今までの経験で知っていた。

 強引なそれが好きな客も居るが、要は自分しか引き出せない心から性を貪る女の美しさを映像にしたかったのだった。

 「お疲れ様でした」

 要は撮影所が入っている雑居ビルの階段を一段一段降りながら、噛み締めた自分の歯がキリっと鳴るのを聞く。

 中川とどうしたら撮影できるかを考えていると決まって中川が言っていた男を思い出す。

 会ったこともない男が要を苛立たせた。

 「まさか~!そんなはずないじゃん!考えすぎだよ、アハハハ、お腹痛い」

 駅に向かっていると聞きなれた声が要の耳に飛び込んでくる。

 細い路地を歩く要は反射的に壁へ体を寄せ人通りの多い道を見ると、中川愛香とひょろっと背の高いメガネ男が連れ立って要に気が付かないまま前を通り過ぎて行った。

 中川が腕を絡めて歩く男は、ダボっとしたベージュのズボンに指し色になる紺のセーター、変わった形の緩いグレーのコートを羽織って、目深にスウェードのチューリップハットを被っていた。

 見るからに中川が通う服飾の学校の人間だと要は思った。

 人込みの中を付かず離れず中川と男の後を追いながら様子を伺う要は、性に飢えた夜の中川ではない専門学生としての中川の満面の笑顔に驚き、普通の世界に馴染んでいるのを見て焦りを感じる。

駅前の手芸店に入って行った二人を見ながら、

 「どんな事しても、引きずり込んでやる」

 と小さくつぶやき、男の住んでいる場所や日頃の行動を調べつくそうと要は決心した。



 小西哲夫は大型文房具店でパタンナーの作業で使えそうな定規やコンパスが無いか、棚を物色していた。

 使えそうな道具を探していると時間はいつの間にか過ぎてしまうので、小西は時計をこまめに見るように心がける。少し時間があるからと、夕方から入店して閉店まで居てしまう事を専門学校に入ってから何回か経験していた。

 今日はそこそこで切り上げて、課題で使う布を小西は見に行かなければならなかった。

 そこそこでと思っていたが、文具店を出てみると辺りは暗くなり始めていて街灯が点いている。

 共通の授業が終われば中川との関係は終わってしまうだろうと予想していた小西だが、週二回ぐらいはご飯を食べたりお茶をしたり、中川が泊まりに来たりする付き合いが続いていた。

 手芸屋に向かう歩道で、小西は中川の事が好きになっているのを感じる。

 最近のそれは、お互いが学ぶデザインとパタンナーの専門科目の情報交換で、ただただ話していて楽しいというのが大きかった。

 レポートの報酬としての肉体関係が中川との始まりで、それがいいものであるのは変わりないがそれよりも中川という人間に興味が出て来ていた。

 彼女は人をたぶらかすのが上手でわがままで独善的だ、と小西は思うが、とてもか弱く何をしていいか分からずいつも焦っている、とも感じていた。

 そして、小西は中川の決定的な短所として、すべての事から逃げてしまう癖が良くないと思っていた。

 小西が、中川の小さい頃の話や中学高校の思い出話を聞いていて気が付いたのは、中川が欲を抱いたとき、それを中川の容姿が叶えてしまっているという事だった。普通の人がする様々な形での努力を中川は今までしてきていない。

 自分の容姿を武器に生きてきた中川の言動に、小西は度々憤りを感じていた。

 小西が聞き役に回ると、中川は滝つぼが生み出す泡のように次々と服のアイデアを語る。

 中川へ絵に起こしてみないかと言っても、時間があれば、と不機嫌に去っていくことが何度かあった。

 小西にとって中川が語る服のデザインは眩い物ばかりだが、話の終わり中川はいつも冷めたように、このくらいみんな考えている、という言葉で必ず締めくくる。

 それを聞く度、形にもしないであきらめている中川に小西は憤りを感じてしまう。

 やりたいことが湧き出る中川がうらやましいのだ、と小西は少し熱くなっている気持ちを顧みる。

 小西は、中川が考えるデザインに価値があると伝えたかった。

 比べる必要なんかないと、伝えたかった。

 中川の事を想うと熱くなってしまう自分に照れ臭くなる小西だが、今まで生きて来てこんなに熱くなったことが無い小西は、なんて中川は魅力的なのだろうと思う。

 中川の大切な存在になりたいと小西は願うようになっていた。

 ただ、普通に気持ちを伝えても・・・などと思いを巡らしながら手芸屋に入ろうとした小西の襟首を抗う事の出来ない乱暴な力で、人目に付かない手芸屋裏のビルとビルの間に連れて行かれる。

 「だれ、」

 混乱した小西の頭が絞り出した誰ですか?という質問を遮るように、拳が顔にぶつかった。

 拳を受けた小西の視界はパッと白くなり、どうなったか分からなくなる。

 次第に顔が痛み出すのと視界が戻るのが同じで、周りが見えだすと自分が尻もちをついていることに気が付く。

 「おい?聞こえているか?」

 痛みと、視界のゆがみと、鼻が熱くぬるつく感覚とを理解するのに頭はいっぱいで、胸倉を掴まれて坊主頭にグリっとした二つの凶暴な目が小西の目を覗き込んでいるのに気が付くのに時間がかかる。

 「こんなもやしに要ちゃんは悩まされてたの?」

 「調べるのに時間かかっただけで、一人でやってもよかったんだけど、おめえ常に人をぶっ叩きたいじゃん?だからだよ」

 「こんなやわなお兄ちゃんじゃ満足できねえよ、無いよりはいいけど」

 凶暴な目から逃れたいと思う小西は、顔を巡らせて周りを見回すと胸倉を掴む坊主のほかに二人立っているのが見えるが、視界が急にぼやけたかと思うと、パッという大きな音のあと耳がキーンという音しか認識できなくなり、小西の頬が燃えるように熱くなる。

 「俺、優しいからよ。余裕があったらメガネ取ってやるんだよ。そっちの方が自分の手も痛くないし、良い音するしさ。殴るときも気を使ってるんだよ、これでも」

 小西には何かしゃべっていると思った矢先、もう片方の耳もパッといったっきり聞こえなくなり反対の頬も燃えるように熱くなる。

 「・・・い、おい?あーあー聞こえるか?ここまで打たれ弱いと困っちゃうよ。はりて二発で気絶されちゃったら何にもできねえじゃんよ。メガネ返すよ」

 小西の丸メガネが胸ポケットに差し込まれる。

 街灯の光が眩しい事で小西は自分が気を失った事と仰向けに倒れていることが分かり、胸ポケットに滑り込んでくるメガネの感触で、いままで殴っていた相手とは思えない繊細な動きだなと思う。

 「おい?聞こえるか?手荒な事をしているが、俺はお願いに来ているんだ。痛みは俺のお願いを断れなくするためだけど、分かってくれるならこれ以上は必要ないと思っている。どうする?」

 小西の横にしゃがんだ要徹は、殴打とビンタで腫れた頬に鼻血でデコレーションされた小西の顔を覗き込むように言葉を掛ける。

 パチパチ、と要は指を鳴らし、

 「聞こえますか~?」

 と小西に問いかける。

 「ぐ、ふ、ぶ、んぐ・・・聞こえ、てます」

 小西は口の中が切れて鉄の味がするつばを飲み込んだ後、冷静に答えている自分の言動に自分自身が驚いていた。

 要も殴られた人間の反応としては冷静過ぎる受け応えに方眉を小さく引きつらせるが、体全体を見回して立てない事を確認すると話を続ける。

 「お願いは一つだけ。中川愛香と関係を持つのをやめてほしい。あ、質問は無しだよ。君は頷くか、殴られるかどっちかだから」

 要が立ち上がると、坊主が入れ替わりで小西の肩口にしゃがみ込み胸倉を掴む。

 「決断が遅いと人生損する事ばかりだよね」

 要を向いていた坊主が視線で合図を受け取ったのが見えると、クリッとした凶暴な目が小西を射竦める。

 小西の身体は正直に反応し、これから起こる痛みと衝撃を予想し、体の中が裏返ったようになり、体には力が入り冷や汗が噴き出す。

 「ああ、この殴られるおっかなさで出ちゃう震え、大好きだなあ」

 坊主が頬を張る姿勢を取ると、小西は予想される衝撃から少しでも逃げる為に目をつむる。

 「なんだてめえ⁉」

 来るはずの衝撃が坊主の声だったので小西は目を開けると、着ているスーツのサイズに違和感のある中年男が坊主の振り上げた張り手を掴んでいた。



 「間山君、学生の頃とは違うのだよ」

 「理由は何にせよ、一方的なのが許せないのです、田沼様」

 小西は顔を巡らせて田沼様と呼ばれた男を見つける。小西を囲む男達から少し離れ、坊主の手を握っている間山という中年男が邪魔で、押しのけなければ行けないところに田沼は立っていた。

 田沼は大正ロマンを思わせるグレーのスーツにパンツ、シャツにチョッキと蝶ネクタイ、綺麗に整えられた口ひげにポーラーハット、手には黒と銀細工が見て取れるエル型のステッキを持ち、身に着けているものすべてオーダーメイドではないかと思わせた。

 服飾の世界に身を置く小西は、この街に似つかわしくない田沼の徹底された出で立ちに、目を離せなくなり全身の毛穴が逆立っていた。

 「先輩を離せ!」

 なぜか、手を取られる坊主は動くことが出来ず、三歩離れた所に居たフードを被る男が何の躊躇もなく間山の顔に右の拳を振ってぶつけに行く。

 間山の横っ面に拳が当たる刹那、間山は拳分だけ上半身を反らせると通り過ぎる拳を左手で掴む。

 間山はパーカーと坊主それぞれの右腕を交差させ腕を絡ませて抑え込もうとするが、視界の左端に何かを振りかぶって迫る要が見えたため、取った手を放し振りかぶった脇下にこれ以上ない拍子で潜り込む。

 死角に入られた要には間山が視界から消えたようになり、死角を取った間山は右手で要の肩甲骨を捉えると、腕が絡み合ってもみ合っているパーカーと坊主にぶつけるように撫で上げる。

 要は間山が居なくなってたたらを踏んでいるところに、背中から体制を狂わされてつんのめるように振り上げたビールケースごと、パーカーと坊主にぶつかってしまう。

 「おっさん、ただもんじゃねえな。手を取られて動けなくなるなんて初めてだぞ」

 要はビールケースを持ったまま倒れた衝撃で指を脱臼してしまい、パーカーはビールケースの角がこめかみに当たったようで蹲っていた。

 坊主は右肩を少し痛めたようで、左手を肩に当てながら右腕を動かすと、手の甲を間山に向けて顎の前に拳を構える。

 少し前傾姿勢で大きく歩幅を取り、深く腰を落としたボクシングのピーカーブースタイルで体を左右に振りながら、信じられない速さで間山に迫る。

 近付いた坊主が身体を右へ振り左肩でフェイントを掛けると、今度は左に体を振り体重を乗せた右フックが吸いつくように間山の左頬に迫るが、坊主は弾かれたように、けっという声を出し仰向けに倒れ、動かなくなる。

 腰の前に両手を開いて構えていた間山は、迫る右フックを左手で下から摺り上げるように逸らし、人差し指の第二関節が飛び出ている変わった形の右拳を腰から坊主の喉への最短距離で突きさしていた。

 「歩けるかい?」

 目の前で一瞬のうちに起きた暴力の応酬を理解できず、呆然と見ていた小西の脇に両側から田沼と間山は手を差し入れ立たせると、何の躊躇もなく人通りの多い道へ向かい、近くに止まっていた黒塗りのセダンに乗り込ませる。

 「あのボクサー、相当慣れていますね。鼻血が出るような角度と脳みそを揺らして思考力を奪う質のパンチを狙って打っていたようです」

 間山は走り出した車の後部座席で小西が殴られたところを指で触ったり下から覗き込んだりしながら、助手席の田沼に報告するように話す。

 小西は勝手に右や左を向かされて傷や打たれた箇所を間山に確認されるが、不思議と嫌な感じはしなかった。

 「念のため、病院に連れて行くからね、君」

 「あ、あの、ありがとうございます」

 車で送ってもらい、小西は病院で治療を受け、夜間受付に行くと、

 「お代は田沼様から頂いています。これを預かっていました」

 そう言われ渡された手紙には、間山義幸(よしゆき)という名前と住所、

 “もしこの先、身を守りたいと思うのなら、ここに行ってみるのを勧めておく”

 とだけ記されていた。

 夜十時過ぎに、都会の真ん中にある総合病院の夜間受付から出た駐車場で、ついさっき起きた事が嘘であったのではないかと小西は夜空を見上げて思うが、抜けてはいないがぐらつく奥歯の痛みと詰められたガーゼで片方の鼻でしか呼吸できない自分の身体を感じ、実際に起きた事であるのを痛感する。

 「布買うの、どうしよう」

 体の痛みに加え課題に取り掛からなければならない事を思い出し、小西は自分の体が更に重くなるのを感じるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ