二十六話
(二十六)
優翔は単純に驚いていた。
今、和仁から受けた稽古の内容をもし他人に説明するなら、和仁に習った最速最短の力が乗った優翔の手刀が和仁の頭に当たると思った次の瞬間、関節を捻られたり体を振り回されたりする感覚は一つもなく地面に組み伏せられ、全く動くことが出来なくなったとしか言いようがないものだった。すこし誇張したようになるかもしれないが、気が付いたら畳に組み伏せられていたと言ってもいいのかもしれないとも思った。
そもそも、手刀を和仁に打ち込んでいく時から違っていた。
日頃の稽古でも空手の稽古でも感じた事のない、相手に打ち込みたくないという漠然とした感覚が優翔の体に満たされていて、
「行きます」
と、二回も声に出してから、破れかぶれに打ち込んだ結果が、今までの三回の稽古とは全く違う“打ち込み取り”の受けの体験だった。
優翔は左右の手刀の打ち込みを為す術なく組み伏せられた後、優翔に掛けの番が回って来るが、受けよりも掛けの方が厳しいものである事を和仁に思い知らされる。
「それでは行きます。今日が初めての土曜稽古なので当たりそうだったりあぶなかったりしたら手前で止めますが、隙はどんどん付いて行くのでよろしくお願いします」
和仁はそう言うと優翔の構えの準備が整ってから手刀を打っていく。
「おっと、と」
手刀を止めた和仁は、
「軌道が違うのでびっくりすると思いますが、受けの形は変わらないので“起こり”を見逃さないようにしてください。もう一度行きますね」
優翔が和仁に教わった最短最速の手刀の軌道は、今までの稽古で受けていた大きな半円形の軌道と大きく異なり半楕円の軌道を描くもので、優翔は反応に遅れ、和仁の右手刀は優翔の右手刀の内側に入り、和仁が優翔の頭を力十分に手刀で打てるところまで体を進み入れる形になってしまっていた。
今やっている座技と言うのはお互い正座で腰の前に手を置いた姿勢から始まる。
和仁が言っている“起こり”と言うのは、この正座の姿勢から手刀を打つために手を持ち上げる際、肩や胸や腰に初めに起こる力みで、これは空手の稽古でもよく言われた事だった。
今度は取るぞ、と気を引き締めた優翔は掛けの姿勢を作る。それを待って和仁も姿勢を作り、矢のような右手刀を飛ばす。
優翔は三回の稽古で習った動きで、自分の右手刀で和仁の右手刀を受け、左手を和仁の脇へ伸ばす。間髪入れずに脇に入れた左手で肩を和仁の顔に向かって押し上げながら受けた手刀を丸く引き寄せて和仁の体を組み伏せようとするが、力が入らず和仁を床に組み伏せる事が出来ない。
優翔は何が起きたのか分からず、自分の体を見回すといつの間にか尻もちを付いていて、到底力の出せる姿勢になっていなかった。
「次、左行きます」
「はい」
優翔はなぜ自分の体が崩されていたのか全く分からなかった。
よくわからないが、何とかしなければと思い、今度は体にゆるみが無いようにしっかり力を入れて和仁の左手刀を受けようと思う。
和仁の左手刀の一閃を受けた優翔は、下半身に力を入れて崩されないように力任せに和仁の腕を捻りに行く。
しかし、優翔の体は氷の上にでも居るかのように畳が滑ってしまい、下半身の力が上手く乗せられず、さっきよりもひどくたたらを踏むように尻もちを付いてしまう。
(なんだこれ?)
と、優翔は思う。
優翔は今まで生きて来てこんな感覚でやられるのが初めてだった。空手の先生やバスケ部の先輩に体の強さで負ける事はいままで沢山あったが、今日和仁から感じている強さは、体が強いとかそいうものと全く違った質のものだった。自分の出す力より強い力で潰されるのではなく、自分の力が出せなくなるような感じだった。
「もう一度、お願いします」
もう一度、“打ち込み取り”を優翔は和仁に願い、にこやかにそれを受ける和仁だったが、優翔は同じように何をされているか分からないまま組み伏せられ尻もちを付かされる。優翔の体は汗にまみれ、和仁は汗一つかいていなかった。
「もう一度、お願いします」
優翔はこの不思議な状態を何とか理解しようと思い、和仁が付き合ってくれる限り何度でも“打ち込み取り”の稽古をしたいと思った。
頭も体の全力で回転させながら受けと掛けを繰り返していくと、頭痛とだるさが優翔の体を強制停止させる。
「あ!先生、花本君が熱にやられました!氷とスポーツドリンクお願いします」
「もういちど・・・おねがいします」
「とりあえず横になって!」
朦朧とする頭でいつの間にか天井を見ていた優翔は、周りに今日来ている門人が集まって各々道着を脱ぐとバサバサと仰いでいるのが見える。
「ほれ、これを飲むんじゃ」
間山堪治がプラスチックボトルに入ったスポーツドリンクを優翔に飲ませ、水と氷が入ったビニール袋を和仁が首元と脇の下と股間に挟んでいく。
「こんなことになってしまって、すみません」
「大丈夫じゃ。焦らんでいいから。ゆっくり呼吸して、ゆっくり飲むんじゃ。大丈夫」
少しずつ気分が良くなっていくのを感じながら、優翔は最近めっきり顔を合わせなくなっている母に代わって、久しぶりに優しい言葉を堪治から掛けられたことで、小学一年生の運動会の帰り道、悔しくて泣く自分を母が優しく慰めてくれたことを思い出していた。




