二十五話
(二十五)
夏休みに入り、優翔は部活で先輩達に絞られフラフラの体になりながらも、週に三日は竜神流の稽古場へ通う事にした。優翔の中に今までとは違い守られる事は無いという気持ちと、あれほど強いと思った空手の師が涙を交えながら強く竜神流へ通う事を勧めた事が優翔を駆り立てていた。
しかし、一週間が過ぎ三回目の稽古を終えようとしていた優翔は本物を知るどころか、竜神流の稽古に不信感と怒りが積り始めていた。
優翔はこれまで空手の個人稽古の中で試合にこそ出なかったが、突き、受け、体捌き、間合いの駆け引きなど、およそ武道家として身に着けておくべき事を一通り仕込まれていたし、師との自由組手でのされた事も一度や二度ではなく、師が伝統派空手の出身ではあるが、今までの稽古内容が嘘だったとは到底考えられなかった。それに比べ竜神流の稽古は、空手の約束組手を遅くして繰り返すだけのようなもので、古流柔術特有の“表の形”“裏の形”“奥の形”の三つに括られた形、数十種類を、受け(初めに攻め、技を掛けられる人間)と掛け(攻撃を受け、それを返す人間)の役割を交代しながらおこなう稽古では、空手の稽古のような満足感は得られなかった。
「ありがとうございました」
間山堪治にまずは形を覚えようと言われた優翔は、これが初めての武術だと言う入門したばかりの中年の男性と涌井という初心者を見てくれる古参の門人の三人での稽古の三回目を終えるのたが、今日まで何も得られていない事に耐えられず、
「涌井さん、ちょっといいっすか?」
と強めに声を掛けてしまう。
すると涌井が振り返るより早く、袴の腰の所にある切れ目に手を入れた間山堪治が軽い足取りで近寄ってきて耳元で、
「花本君、土曜の夜は空いているかね?」
と、訪ねられる。
「はい、空いています」
「少し物足りんじゃろうと思っての。待っとるから」
面食らった優翔は、最近オーバーワーク気味で休みたいことを忘れ、堪治の誘いに乗ってしまっていた。
上機嫌に去って行く堪治を見送り、
「花本君、なんだい?」
と涌井に改めて聞かれるが、
「いや、なんでもないです」
と、涌井にもっと稽古がしたいことを伝えようとしていたのを優翔は止める。
「土曜は、自分もいるからよろしくな」
と、肩を叩かれ、涌井は笑顔が張り付いた顔を一層笑顔にして帰り支度を始めていた。
優翔は堪治に稽古が物足りないと感じていたのを見透かされていた事に動揺した。優翔は見透かされていた事に、少しの怖さと安心と期待が入り混じった初めて感じる気持ちになっていた。体は部活で疲れていたし、空手の先生に言われていなければこの道場に通う事など無かった所に、退屈な武道初心者のおじさんとの形の稽古では、竜神流の稽古場に来るよりバスケの自主練に充てた方が良いのではないかと思い始めていたところだった。
優翔は部活で初めて本気でバスケに取り組んでいる人間との練習を体験して、コテンパンになっていた。もちろん体力テストの“中の上”という評価は間違っていないから、二年三年の先輩と当たっても当たり負けはしないのだが、チームワークというものが優翔には皆無だというのを嫌と言うほど突き付けられていた。だから最近は部活と勉強と稽古の時間以外をバスケ雑誌を読み戦術戦略の勉強に充てるようにしたし、先輩たちの会話をよく聞き自分に何が求められているかを常に探っていた。しかし長年染みついたワンマンプレーの癖は抜けず、自分が裸の大様だったことに打ちのめされる毎日だった。
そこに来てこの三回の稽古は、行き場のない優翔の気持ちを焦らせるものになっていたのだろうと一人帰りの電車に揺られながら思い、あっさての土曜の夜の稽古次第でこれからの事を決めようと優翔は思った。
「今日の稽古は上級者向けじゃ。君みたいな中級者だと、ちときついかもしれんから、見学でも大丈夫じゃ。くれぐれも無理してケガだけは無いようにしとくれ」
土曜の夜の稽古は、涌井、間山和仁、戸浦守人、あと三回の稽古では見た事のない人間が数人で、いつもの芋を洗うような稽古場が嘘のようだと優翔は思う。それに優翔が着替えているところへ堪治が来て言った言葉が何か滑稽に感じて、少しにやけてしまっているのではないかと思った。
(日頃の稽古の内容で、上級者向けって言うのは、バスケ部の体力テストだったらどの成績の人たちの事を言うのだろう)
そんなことを優翔は稽古が始まる前に思っていた。
「そんじゃあ、座技の“打ち込み取り”から始めようか」
堪治が声を掛けると、和仁がすっと近づいてきて、
「よろしくお願いします」
と正座で頭を下げる。
「よろしくお願いします」
優翔も頭を下げ、道場の決まりで稽古歴の低いものから受けを担当するべく構えると、手刀を和仁の頭へぶつけようとするが、
「花本君、もっと深くぶつけるような間合いと踏み込みでお願いします」
構えた優翔を一目見た和仁はそういうと、「こうやって真っ直ぐ」と言いながら優翔へ手刀を打つまでの体の動かし方を教え姿勢を作らせると、優翔の手刀を掴み自分の頭の打つべき場所へコツコツとぶつけ確認させる。和仁が教えた動きと確認した間合いは、手刀の力が最も入り、そのままぶつかれば脳震盪を起こしてもおかしくないものだった。
「えっと、本気ですか?」
「本気です。さっきの間合いじゃあ頭の手前の」
和仁は額の前、十センチくらいの所を指さしながら、
「ここら辺を狙っていました。あとあの姿勢からの踏み込みじゃ相手を倒すことは出来ません。今日の稽古ではしっかり掛けの頭を狙ってください」
和仁はそう言うと、息をふうっと一つはいて、優翔へ真っ直ぐ向き直り、掛けの姿勢を取る。
「それなら本気で行きます」
優翔は一目で自分が狙っている場所と体の動かし方を予想した和仁に向き直りそういうと、三回の稽古とは全く違う稽古をこれからしなければいけないという気持ちを作ることにした。




