二十一話
(二十一)
期末テストを終え夏休みを目の前に文武大付属高校は、全体的にゆっくりとした時間が流れていた。ゆっくりとしていても、期末テストの気持ちの焦りから来る緊張が終わったというだけで、次への目標を定め、この夏休みをどのように過ごすかで各々のスポーツ選手として、文化系学徒としての将来が決まる事は明白であり、文武大付属の要求するものの高さに再び挑む準備をするまた違った緊張感が漂っており、それは陸上の幅跳び選手が観客へ手を叩き、会場を巻き込み勢いを付ける、そんな大きく飛ぶための助走に入る期間だった。
そんな中でも、図書室の管理人で本に囲まれているのが幸せな図書委員長の高梨黒と、図書室で自分の能力を人の為に使うにはどうしたらいいかを探し求める間山和仁の二人が作る空気は、文武大付属の校内の雰囲気とは関係なく、本のページをめくる音、時計の秒針、椅子を座りなおす動作音、外から聞こえるセミの音が全ての図書室で、文章に刺激され見た目より激しく二人の脳内で繰り広げられている電気信号を妨げてはいけないと思わせる緊張感のせいで、普段、声を出し能動的に自分の目標へ向かう生徒がこの空間へ入れば借りてきた猫のように静かにさせる力を持っていた。
その空気は、図書室を図書室たらしめる厳格な雰囲気を作るのに必要なものだった。
お互い同じ図書室で本を読み、先の虎男の事件が終わっても一緒に下校する事を続けている黒と和仁だが、和仁が図書室へ通い出した当初、ふとしたきっかけでキスをしそうになった事がまだ根強く二人に残っていた。二人ともまた変な事にならないようにとお互いが気を使い、二人は出来るだけ近づかないし話さないのが常であったが、今日は黒が淡々と本を読む和仁へ話しかける機会をうかがっていた。
黒が話しかけられないのは、珍しく見知らぬ女子生徒が、「剣道の歴史」と言う本を和仁の隣の円卓で読んでいるからだった。
「この本を貸してください」
見知らぬ女子生徒は一時間ほどその本へじっくり目を通し、黒の座るカウンターへ分厚いその本を持ってくるとそう告げ、図書室から出て行った。
「会長から聞いたよ。間山君って本当にすごいね。怖い人たちを簡単に倒しちゃったって、会長興奮していたよ」
女子生徒が出て行ってからすぐ話しかけたら、この話がしたくて仕方がないと思われるのではないかと思った黒は、十五分ほど開けて和仁へ話しかける。
生徒会長の田沼興三郎は何か事件があると生徒会員へ情報を共有する。それは高梨黒へも例外ではなかった。
「上手く行ったのは、たまたまだと思います」
少し考えた後、和仁は答える。
「たまたま戦った人が自分より弱い人だっただけだと思います。自分より強い人は沢山います。運がよかっただけです。それに戸浦も父も涌井さんも居てくれたから大丈夫だっただけなんです。自分なんか・・・」
そう言うと本を持ったまま、和仁は視線を円卓の中心を見ながら考え込んでしまう。黒は和仁が葛藤している事を感じ、話し出すのを待った。
「自分はいつか人を殺してしまうのではないかと思うんです。戦っている時に自分は何も考えられなくなっているんです。自分が今まで稽古してきたものを相手にそのままぶつけてしまっているんです。祖父にも父にもこのことを話しました。でも大丈夫だと笑うだけで、なぜ大丈夫なのかを答えてくれません。もし殺してしまったらと考えると」
本を置いた和仁の手が震えている。
「あそこで戦わなければ、会長達がひどい目に合って自分は今よりももっと、ひどく後悔をするのは分かるんです。でも殺したくないんです。これはわがままなのでしょうか?」
目を閉じて震える手を自分の手で押さえ込むように組んだ和仁は、両肘を円卓へ突き額に組んだ手を当て、どうしたらいいか分からず神に祈るように自分の暴力性を反芻していた。
「私も大丈夫だと思うよ」
震え強張った和仁の手に、静かに隣の席に座った黒は優しく触れて緊張を解きほぐすように話し出す。
「私は間山君が今までどんな稽古をしてきたか知らないし、強さがどれくらいかもわからないけど、間山君のおじいさんもお父さんも、こうやって悩んでいる姿を見ていたり、稽古を見ていたりするから大丈夫だって言うのだと思うの」
少し黒は言葉を切って考てから、言葉を続ける。
「ここからは私の勝手な想像だけど、間山君ていつも悩んでいるでしょ?だから大丈夫なのだど思うよ。殺しちゃう人って相手の事なんかどうでもよくて、相手の事なんかこれっぽっちも考えてないから殺せちゃうんだと思うの。だから間山君は辛いと思うけど悩みながら強くなっていくのだと思う」
黒の手に和仁の手の緊張が取れて行くのが伝わる。そして、真っ直ぐ和仁の目を見て伝えた黒を、和仁も真っ直ぐ見返していた。
「あの・・・」
和仁は自分の持っている力を肯定し、このままで大丈夫と背中を押してくれる目の前の黒へ、ありがとうと言う気持ちと、目を合わさないようにしていてもいつも感じ抑え込んでいた感情があふれ出し、感謝の気持ちを伝えて離れなければという理性を裏切り、組んでいた手を解くと緊張を解いてくれた黒の手を優しく握り返していた。手の甲で感じていた黒の手の平は温かく柔らかかったが、手の平と手の平を合わせると黒の手は小さくか弱く柔らかで温かかった。
「だから・・・大丈夫・・・」
握り返された黒は、言葉をつないで理性を取り戻そうとするが、稽古で鍛えられ今まで握ったことのない手の感触と大きさに驚き、鍛えられた手が繊細に優しく自分の手を包み込むのが和仁の繊細な心を投影しているようで、黒も日頃抑え込んでいた和人と同じ感情があふれ出し、強く繊細な手の指へ自分の指を絡めていた。
指を絡め合った二人は、お互いが手を通して感じている温かさと気持ちが、見つめ合う事で確信になり、途中何度もお互いためらうように目を反らすが、逸らされた方が指で大丈夫と伝え、目を合わし、唇を近づけて行く。
「ちょっと!それ私のじゃない!」
不意に、図書室前の廊下を生徒二人が大声を出しながら、バタバタと走り抜けて行く。
我に返った二人は手を放し背中を向けて、
「ごめんなさい!」
「こちらこそ、すみません!」
と言い合うと、図書委員長はカウンターへ、学警部部長は読書へ戻る。黒は話を始める前に済ませていた貸し出し中の図書の管理カードの整理をもう一度始め、和仁は本を逆さまに持ったまま、今起こったことは何だったのかと考える。
「おしい」
「もうちょっと、だったのに~」
その様子を戸浦守人と相川春香が、図書室の引き戸の窓からこっそりのぞいていた。
「あ、ごめん」
春香は見入っているうちに、守人の服の端をつまんでいた。




