十一話
(十一)
七月の中頃を過ぎ、文武大付属高校はそれぞれの生徒が取り組む課題に対して相対評価に基づいて設定された期末テストに向けて、学校全体がピリッとした引き締まった空気に満たされていた。個人への課題の結果を高く求められる文武大付属だが、普通の五教科に対しては緩く設定されており、特に鳴村のような情熱の欠片もない英語教員の授業でも、普段であれば専門科目を選び自分の限界に挑む生徒たちにとってはありがたいものになっていた。
そんな当たり障りのない授業のはずの鳴村の授業が池尻明子を逃がして一週間、明らかに生徒達から好奇心と侮蔑の視線が向けられるようになっていた。あからさまに鳴村を嘲り笑う声や、仲間の笑いを取る為に“事件の真相を”などという小さいが鳴村にも聞き取れる声を発するものが絶えなかった。
(くそ!俺は言われたことをしただけだぞ!運動部の連中はこれだから嫌いだ!)
明子を取り逃がした週末、ささくれ立った鳴村の心は年増の美女との快楽のぶつけ合いで平静を取り戻したが、それも二、三日だけで、いつの間にか生徒たちには“池尻明子がはめられた”という説の噂が広まり、鳴村の心を再び不安定にした。
どこからともなく現れたこの説は生徒たちを納得させるだけの説得力があった。
曰く、生徒会長の田沼興三郎の所へ教職員調査委員会から盗撮の調査の依頼があった事。
曰く、依頼を受けた田沼は新聞部で生徒会書記の池尻明子が、カメラに詳しい事からこの依頼を担当することになり、他の生徒会員ぐるみで調査準備をしていた事。
曰く、学校周辺の盗撮に使われたと思われる建物で池尻明子が調査とテスト撮影をしている時に、教職員調査委員である鳴村教員が池尻を盗撮の犯人だと断定して捕まえようとした事。
曰く、この噂を裏付けるべく生徒会員の友達を持つものはこぞってこの噂を確認すると、生徒会員はみな「その通りだ」と答えた事。
この池尻明子が失踪する一連の出来事を生徒会側からの視点で説明された噂話は、普段自分の課題で頭が一杯の運動部の脳筋生徒たちも納得させるのに十分だった。
新聞部の顧問から刺し止めを食らって掲載されなかったが、新聞部でもこの噂を取り上げまとめた記事が書かれていたとの話も聞こえてきていた。
鳴村は、悪い方に転がっているのを感じていた。
あのビルの一件以来、上からの連絡がないのも鳴村の焦りと不安を掻き立てていた。
(大丈夫だ。あの人からの依頼だし、あの人のためのにやったことだ。間違ってはいない)
そうは思っても、今回の一件で池尻明子を指名したのは鳴村だった。
(調査委員会が生徒会の主張を全面的に支持したらどうなってしまうだろう)
と鳴村は考えてしまう。
(それはありえない)
と、鳴村は自分の考えを振り払う。この考えは何度も繰り返し、何度も否定していた。
なぜなら、生徒会の説には証拠が無いからだった。
あるのは、鳴村が明子から受け取ったメモリーカードと調査委員会に保管されている明子のカメラとレンズが入ったキャリーバックだった。
これに勝る証拠を考える事が鳴村にはできなかった。
さらに鳴村は、明子から受け取ったメモリーカードへ騒ぎの元になった盗撮動画を保存し、明子がテストで撮影した動画を削除していた。
鳴村は万全を期して、自分が窮地に陥る事が無いように準備を整えていた。
(待っていればいい)
と、何度目かの不安に苛まれそれを否定し、最後はこれに落ち着く。
鳴村は明子が捕まるのを待てばいいのだ。
「池尻明子が親と学校に来たみたいだぞ!行ってみようぜ!」
校舎と校舎をつなぐ外廊下で、落ち着かない心を収める為に無意識のうちに右へ左と小さい虫を探しながら歩く鳴村の横を生徒が走り抜けて行く。
その声と走り抜ける生徒の風で、鳴村はまた悪い癖が出ている事に気が付き、我に返た事でズボンのポケットに入っている携帯が鳴っている事にそこで気が付いた。
「はい、はい、わかりました」
電話は例のあの人からで、明子の登校に伴い教職員調査委員会が池尻明子へ質疑応答をするから会議室へ集合するようにとのことだった。
鳴村は明子が出てきたことへの安堵と、これからどうなるのかの一抹の不安を感じながら会議室へ向う。
会議室には校長、副校長、その他教職員調査委員会の教員、PTA会長から役員がずらっと黒板を背に並び、池尻明子、その祖父と思われる親族、田沼生徒会長と数名の生徒会員が対峙していた。
「鳴村先生、こちらへ」
PTA会長が自分の席の後ろの席へ促すと、あの年増の美女の斜め後ろの席だった。
鳴村が席に着くと、PTA役員たちの化粧のにおいの中にあの美女がいつもつけているコロンのにおいを感じ、緊張感と時間が取られる事への苛立ちが漂う会議室の中でもパブロフの犬ごとく鳴村は少し性的興奮を感じていた。




