八話
(八)
英語教師の鳴村はある駅前の有名な待ち合わせ場所で、爪を噛みながら右足をカタカタと貧乏揺らしをしながら人を待っていた。
七分丈の薄い生地の紺のブレザー、同じく薄い生地の紺のズボン、優しい印象を受けるvネックのシャツという綺麗な格好が、台無しの立ち姿だ。
鳴村はイライラしている時、衝動的に虫が殺せない環境だと今度はこの癖が出る。
鳴村は悪い癖だという事を自覚している。気が付けば貧乏ゆすりを止め、つめを噛む親指を頬辺りへ持っていき顔をさすりながら何か考えている姿に見えるようにごまかすが、動きがぎこちなくそれがまた神経質で落ち着きのない人だという印象を与え、周囲の人間を不安にさせる。
鳴村は癖を止めると、屋上での出来事を反芻してしまう。
池尻明子が撮影している場面を抑える事が出来たと思ったつかの間、明子はロープでビルを降り逃げてしまう。慌てて追ったが気が付かないうちに鉄格子の潜り戸が締められ南京錠が閉められていた。義憤に駆られたラガーマンは格子を避けて体をビルの外に出してでも追いますと言ったが、文武大の大切なラグビー選手に危険な事はさせられないと思いそれはさせなかった。数名の選手から黒い服の男がもう一人ロープでビルを降りて行っただとか、明子が男と何か話し別れるとアーケードの掛かる商店街へ居なくなっただとか屋上から分かる情報を伝えてくれていたし、警察へ連絡しましょうだとか学校の先生に連絡して応援を頼みましょうだとか色々選手たちは助言もくれていたが、鳴村は逃げられたことで頭がいっぱいになり何も考えられなくなっていた。
するとそこに電話が鳴り、画面を見た鳴村は慌てて出る。
「はい、鳴村です」
(様子がおかしいが、どうなったかね?)
「池尻明子に逃げられました。メモリーカードとカメラそれに池尻明子に同行していた生徒を抑えました」
(なぜ追わないのだ?警察へは連絡したか?)
「屋上へ上がる階段の鉄格子をいつの間にか締められてしまいまして追えません。警察へはまだ連絡していません」
(使えん男だ。選手が危険だと思って追わせていないのなら、お前が格子を乗り越えてオーナーの所から鍵を借りてこい。警察へは私から連絡しておく)
そう言われると一方的に電話が切れる。
鳴村は運動がからっきしだが、今回の事を指示してきた上の人間からの命令には逆らえない。
選手たちに待つように言うと恐る恐る柵を乗り越え、最上階のオーナー住居を訪ねると、
「ほら、速くいって。犯人が逃げちゃうよ!あんたが真犯人を知っているからって協力したけど本当だったのかね?あの生徒会長の子の方がしっかりしていたように見えるよ」
「すみません」
鍵を受け取った鳴村は来た階段を駆け上がり、鍵を開ける。
「お怪我はありませんか?犯人はどこですか?」
振り返ると制服の警官が二人、階段を上がって来ていた。
このあたりから鳴村の記憶はぼんやりとしている。地上に降りて明子の特徴を警察に伝えたり、選手たちと手分けして周辺を探したりしたが明子は見つからなかった。
ラグビー選手たちが鳴村を急かすように矢継ぎ早に助言した場面や、どこかから事の次第を見ている電話越しの上からのさめざめしい声色や、オーナーの疑いの目や、警察官の動きの遅さや、もろもろが鳴村をイラつかせた。
待ち合わせをしている事を意識しビルでの出来事の反芻を止めた鳴村は、また爪を噛み右足は貧乏ゆすりをしていた。
大きく溜息を付いた鳴村は癖を止め、これから起こるであろう事を考える事にする。
今から起こるであろうことは、生きている中でもっとも快感を伴う行為だと鳴村は思う。
これから会う女性とすることは、普通の恋人達がするお互いを確認したり試したり求めたりするものとは違うものだ、と鳴村は思う。
そこにあるのは、ただただお互いの欲をお互いの体にぶつけるだけの何も生み出さない、発散だけがそこにある行為だ、と鳴村は思う。
もしかすればどちらかが間違えれば、どちらかが死んでしまうかもしれない行為だ。
鳴村は前回会って行われたことを思い出し、下半身がもう反応している事を感じる。
頭の中がそのことで満たされて、とろけてしまいそうな感覚になり自然と顔に笑みが浮かんでいた。
と、待ち人が来るであろう方を向いて立っている鳴村の視界に、薄いベージュだがエレガントな印象を受けるカジュアルなドレスを着た美女が入る。
真っ直ぐ鳴村に向かうその美女は、よく見ると顔や腕に年相応のしわが見て取れるが、それを補うすらっと伸びた腕と足、細い腰をしなやかにくねらせ、鳴村の前まで来ると、
「待ちました?」
と声を掛けてくる。
周りの今まで一緒に待ち合わせをしていた人たちは、あの気持ち悪い男にこんな美女がなぜと思う。
「いえ、そうでもありません」
「行きましょうか」
腕を組んで歩き出した鳴村は、
(恋愛ごっこの食事と会話を終えたら、始まる・・・)
と、恋愛ごっこにもなっていない会話である事を、意識できるはずもない男の頭は、これから始まる快楽の事で一杯に満たされていた。




