五話
(五)
「で、柴田さんとは何があったの?」
映画館から最寄り駅への帰り道、見終えた映画の話を熱っぽく語る和仁とは対照的に、守人は相槌を打つばかりで折角の娯楽を楽しめない精神状態だった。
そんな守人に映画の話題を打ち切り、和仁は守人に質問する。
口下手な和仁ならではの唐突な質問に、楽しみに来ている友に悪い事をしてしまったと思う守人だが、空手道場での挫折を整理することを済ませなければ何も進まないという思いの方が強く、和仁に恥をぶちまけてしまおうと決め、口を開く。
「おれ、最近空手道場に通ったんだ。そこで柴田さんに面倒見てもらったんだけど、おれ分からなくてさ。殴られて、痛くって、のされてさ。悔しくってさ・・・」
ここまで話して守人は込み上げてくる涙を止められなくなる。
こんな泣き方をするのは小学二年生以来だと冷静に考えている守人もいるが、涙は止められない。
「たった二週間通って、痛みと、のされる怖さで行けなくなっちまった」
ここまで和仁を見ながら話していた守人は、目線を落として出てくる涙に身を任せるしか出来なくなる。
守人は恥ずかしかった。
恥ずかしくて、悔しくて涙が出た。
「戸浦、これからうちの稽古場行かない?そこでうちの稽古すれば守人がなにか分かるかもしれないと思うんだ」
「そんなこと言われても・・・何もわからねえよ、きっと、おれ」
「守人、その空手道場が人生初の道場だったんだろ?」
「そうだけど」
「なら、なおさらだよ。いくぞ」
そう言うと、黙ってついてこいとばかりに駅へ和仁は進んでいく。
守人は、普段は物静かな友がこんな強引に物事を決めるのを見たことがなく、面食らってしまう。
だが、挫折した守人にはこの強引さが何かを打ち壊してくれるのではないかと、移動中流れる夜の街を眺めながら一言もしゃべらない和仁に不安と期待がないまぜになって、自分の心がぐちゃぐちゃなのが辛く流れる夜の街に浮かぶ空手道場での出来事に体を任せる事しか出来ない。
一時間ほどで間山和仁の道場であり実家に到着する。
豪邸まで行かないまでも、そこそこ広い敷地に二階建ての住宅と小さい体育館のような建物が建っており、和仁はその体育館の方へ進んでいく。
体育館までは車が十台ほど停められるであろう砂利の駐車場で、塀の際などに雑草がなくよく手入れされている。
「今日の稽古は終わっているから気を張らなくても大丈夫だよ」
和仁が守人の緊張を感じたのか力が抜けるように声を掛けるが、守人の気持ちは張りつめていた。
空手道場に行くときもそうだった。
血が逆流するような、体の中が熱くなって、ふわふわする感じになる。
(自分はこれから道場で何が掴めるのか)
頭はこれだけになる。
靴を脱ぎ二人は入口のすのこに乗ると、古びた下駄箱に靴を収める。素気ない木の下駄箱も泥一つなく手入れされていて靴を置くのに躊躇する。
「終わったら掃除するから、よろしく。稽古場に入ってちょっと待ってて」
そう言うと更衣室に和仁は入って行く。
守人は道場に入ると神棚に一礼している。
自然と礼をしている自分に驚くが、空手道場で最初に柴田に教わった事だった。
「自分のお古だけど我慢してくれよな」
和仁の持ってきた道着は空手のそれに近く、守人は以外に思う。守人は和仁が習っている武術が柔術なのだという事を聞いていたので、空手よりつかみ合う事をするのだろうとなんとなく予想していてもっと厚地の柔道着のようなものを考えていた。
着替え終わると、
「挨拶しよう」
と和仁に促され、正座で向かい合い、
「お願いします」
躊躇なく座令する和仁につられ、守人も座令を返す。
「そしたら、右手は左手首、左手は右手首を上から掴んで来て」
言われるままに守人は和仁の手を掴む。
「上から体重掛けていいから、自分の手首を上げさせないように抑え込んで」
守人は力いっぱい和仁を押さえつける。
しかし不思議な事に、和仁の手首を抑え込むために力を入れれば入れるほど体が崩れてしまい抑え込めなくなり、守人の身体は膝立ちの不安定な形に追い込まれ、手を解かれてしまう。
「なんだ?今の?」
「はい、次は戸浦」
混乱する守人を無視して、和仁は反対に守人の手首を掴む。
摘ままれた守人は、和仁の細い体の見た目からは想像できない力の強さに驚く。
「こんなの、無理だよ」
上げようとしても力がぶつかってしまい、和仁がやったように腕を上げる事の出来ない守人は、歯を食いしばりながら腕をガチャガチャと上がる方向を見つけるために動かす。終いには胸を腕に近づけ腕の筋肉を強張らせるとそのまま姿勢を戻す力で何とか手首を振り解くことができた。
何とか形になったものの、
「もう一回やろう」
と言う和仁の腕を守人が取りに行くと、先程と同じように膝立ちに追い込まれ和仁は涼しい顔で手を解き、守人は顔を真っ赤にしながら同じやり方で手を解いた。
「ごめん、思いっきり力入れたから頭が痛くなっちまった」
「おう、少し休むと戻るだろうから、深呼吸するといいよ」
息を止めて力んだせいで頭痛を感じた守人は畳に片手を付き、目をつむって深呼吸する。
深呼吸で脳に酸素が行き渡ると、守人は、
(同じだ・・・)
と、空手道場で感じたものと同じものを感じ始めていた。




