二話
(二)
「じいちゃん、来たよ」
「おお、まっとったぞ」
祖父の戸浦雅人が玄関で声を掛けた守人を出迎える。
「もっと遅いかと・・・ふむ、お前も何かを抱える歳になったのじゃな。茶を入れる準備するから居間で待ってなさい」
守人の顔を見て遊びに来た訳ではないことを察した雅人は、台所から電気ポットと急須と茶碗を持ってくると無作法に茶を入れ、
「まあ、飲め」
と、促すとゆっくりと一口すする。
それに習って、守人も一口すすると幾分緊張が解ける。
「今日はじいちゃんにお願いがあって来たんだ。俺に体術を教えてほしいんだ」
単刀直入に願いを伝えた守人の顔を真っ直ぐ見つめた雅人は、茶をもう一口すすってから話し出す。
「教えてやれんこともないが、お前は忍者の体術がどんなものか分かっとるのか?」
「・・・わかってない・・・」
「お前にいくつか教えてある忍術と同じじゃよ」
雅人は茶をもう一口飲む。
人が人に教えを乞うときは姿勢を自然と整えてしまうもので、作法に疎い守人でも胡坐ではあるがいつの間にか背筋を伸ばし膝に手を置いていた。
「ようは忍者の体術は奇襲の技ばかりという事じゃ。お前がわしに技を乞うという事は、人を傷つけたいという事になる。これを聞いても教えてほしいか?わしは・・・」
「じいちゃん、ちょっと待ってくれ」
咎めようという雅人に、そうじゃないという事を伝えなくてはならないと焦った守人は遮る形で声を出していた。
視線をちゃぶ台に移して少し考えをまとめてから守人は話し出す。
「おれ、この前空手やっている人だと思うのだけど、顔にパンチもらってのばされたんだ。それで一緒にいた女友達が連れ去られて、それが悔しくて最近よく思い出すようになって。女友達は友達が助け出してくれたから何もなかったけど、そのことがあんまりに悔しくて、柄にもなく困っちゃって。じいちゃんは忍術を研究しているから、なにかケンカの技って言うか、そういうのを知っているかと思ったんだ。傷つけたいって言うか、守りたいって感じなんだよ。だから、意味も分からずに聞いた事でじいちゃんを気持ち悪くしたのは謝るよ。襲うとかじゃなくて、守る術みたいなのを教えてく欲しいんだ」
腕を組んで守人の吐露を聞いた雅人は、ふむと一息吐く。
「言いたいことはわかった。じゃが、お門違いじゃな。体術の中には相手の心を読んだり、背後からの攻撃を察知したりする術などの稽古方法があることはあるのじゃが、わしはお前にこれは授けられん」
「なんでだよ、じいちゃん」
「簡単な事じゃ。わしが出来んからじゃ。まあ何かの足しになるかもしれんから修行法が書かれている巻物でも引っ張り出してみるか。来なさい」
そう言うと、さして広くない雅人の古民家で唯一、守人が小中学生の頃入る事を禁止されていた書斎に連れていかれる。
小学校低学年の守人はいつも南京鍵の掛かっているこの部屋が気になり、やんちゃ盛りであったこともありテレビのドラマで見たクリップでのピッキングの真似事をしたことがあった。
それを見つけた雅人は躊躇なく守人の頬を張った。
頬を張られた守人は吹き飛び壁に頭をぶつけ、驚きの後に痛みで泣き叫んだ。
普段優しく理知的で忍術を交えながらいろいろな事を教えてくれる祖父のビンタは、強く心に残っていた。
「じいちゃん、入っていいの?」
「ああ、さっきの話を聞いたのと、お前の茶を飲む動作でもう大丈夫だと思ったからの。もう好きに出入りしてもいい頃じゃと思ったんじゃ」
南京錠を開け中に入ると、窓には遮光カーテンが引いてあり昼間なのにかなり暗い。
雅人が躊躇なくカーテンに近づき開けると、四畳半ほどの部屋の窓以外がすべて本棚でそれでも入りきらない本が床に積まれていた。
見ると経済、政治、軍事、歴史、哲学、主にノンフィクションが中心で古いものから新しいものまで。物語は見当たらなかった。
「いい加減、整理、せにゃならんのう」
本棚の並びの中でも窓が付いていて作りが重厚な本棚の前に雅人が立つと、懐からまた違う鍵束を出し五つの鍵穴にそれぞれ違う鍵を順番に刺し回す。
「順番と鍵が違えば開かんようになっとる。今ので覚えたか?」
小さい頃から重要な場面では、その状況を覚える事を叩き込まれていた守人は、
「順番は覚えた。けど鍵の種類は全部同じに見えてわからなかった」
と答える。
「まあまあじゃな、わしがおやじからこれの開け方を盗めたのは三回目じゃったかの。ほれこれはおやじが使ってた鍵じゃ。わしの鍵は次の後継者に渡るっちゅう流れじゃ」
そう言うと、本棚から雅人が懐から出した鍵束と同じものを守人に渡し、巻物と紐で綴じられた本を慎重に物色しだす。
「守人、ちょっと巻物をもっとれ」
と言い本をめくり、
「あったあった。居間に戻ろう」
居間に戻り書物に書かれている修行法を守人に説明しながら実際に実践してみる。
「わからんな。山に籠って一人でやらんじゃいかんのかもしれんな。お?ここに人を避けよと書いてあるの」
書物を現代語に読み解き説明する雅人が、守人にはとても楽しそうに見えて、守人も気を抜けばついていけなくなる現代語訳に、夢中になって祖父と一緒に書物の上を走り回るのだった。




