一話
不定期ですが更新していきたいと思っています。
期待せずにお待ちいただけると幸いです。
(一)
(あの角を曲がって、しばらく行ったらあの道場か・・・)
友達の間山和仁と映画を見る為、最寄り駅で待ち合わせる戸浦守人は、先週まで通っていた空手道場へ行く道を見て、行かなくなった自分へと兄弟子達に会うのではないかと言うばつの悪さで、体の中にもやもやが充満していた。
(俺があんな理不尽な状況で二週間も居たってのは、奇跡なのかもしれないな)
自分へのばつの悪さだけでも解消しようと、道場での稽古を思い返し、守人はやめようと思った思考を反芻してしまう。
守人が通っていた空手道場は、フルコンタクト空手の中でも実践派であり伝統を重んじる形主体の稽古を謳うものであった。
通い始め、体験入門の三日が終わると、三十代半ばの柴田と言う男が何かにつけて稽古で組むようになり、戸浦の稽古は厳しいものになってしまう。
受け方も捌き方も分からない戸浦に、柴田は約束組手で躊躇なく拳をぶつけた。
ぶつけられた戸浦は、当たる場所が身体ならうめき、うずくまり、頭なら気絶した。
気が付いた戸浦に、
「またやろうな」
と、汗だくな柴田が言うのと、稽古の時間が終わるのが一緒だった。
情報集めが趣味の戸浦は、空いた時間に空手の本を読み漁った。
読んだ情報を基に筋トレをして、空手の教則本に書いてあった受けを試すが、よくて三発、殆どが一発でのされてしまう。
のされ、気が付いたとき柴田に、
「どうしたらいいですか?」
と、聞いても何も答えてくれなかった。
これを十日続けた戸浦は道場に行かなくなっていた。
思い出されるのは、質問をした時の場違いな空気、疎外感、惨めな気持ち、苛立ち、無力感、これらがごちゃ混ぜになって泣き出しそうになる気持ちを抑えるので一杯になる心だった。
事の発端は、一か月前ある事件に巻き込まれ、空手家の一撃でのばされた戸浦は、女友達を目の前で連れていかれるという悔しい思いをしたことから始まる。
その事件が起きて日が過ぎる毎に、不甲斐なさが戸浦の体に満たされていった。
(自分は腕力とは違う世界で生きるんだろ?なに思い出しているんだか・・・)
親の教育方針で小さい頃から新聞を書き写させられて育った戸浦は、情報集めが骨身に染みている。
自己分析の結果、これからの人生の中に暴力の世界は一ミリも入っていない戸浦だったが、体はそれを裏切るのだった。
迫る拳をどうすることもできず顔で受けた時の痛み、世界が暗くなり視界が戻ると視界が捻じれていて自分がどこにいるのか分からない事に混乱する頭、聞こえてくる女友達の悲鳴を動かない体で聞くことしかできない悔しい思い、このフラッシュバックが戸浦の自己分析を打ち壊していく。
「どうしようもないものから逃げていても、辛いだけだよね。やってみるしかないよ」
事件の後、日を重ねる度に大きくなる、暴力から逃げていていいのか?と言う問いを親友の間山和仁にぶつけると武術をやる人間らしい答えが返ってくる。
「道場で技が上手くできない時は、そのことばっかり考えちゃうよ。でも考えても落ち着かなくて、稽古で納得するまでやるしかないんだ。戸浦のそれも同じだと思うよ」
「そうかもしれないな・・・」
間山と話している時はまだ釈然としない戸浦だったが、その日の夜にはやるしかないことを悟り祖父に相談をする為、会いに行くことを決める。
頭と行動力は良い戸浦だが、行動を鈍らせていたのは心から暴力が嫌いだからだった。
守人がなぜ祖父に相談するのかと言うと、守人の祖父は忍者マニアで師匠だからだった。
守人が空手家にのされる前、女友達だけで下校しているところを襲われる事件が起きていた。その時守人は胡椒や唐辛子を入れた卵の殻をぶつけ助けているのだが、その目潰しを教えてくれたのは祖父の雅人だった。
守人は少年の頃、新聞をノートに写せば父からお小遣いを貰え、忍者マニアの祖父の家では祖父にくっ付いて裏庭を走り回る少年だった。
嘘か本当か、守人の祖父は、
「わしは忍者の末裔なのだよ。だから教えているこれは一子相伝っちゅうことじゃ。かっこいいじゃろ」
と、守人の耳元で時々囁く。
守人の子供心には、祖父は少し変な人だが面白いお爺さんだと思っていた。
親が共働きの守人は、中学に入るまでは心配した親が祖父の所に預ける事が多く、守人も祖父にのめり込んでいたため寂しさを感じる事は無かったが、中学に上がると親も守人の成長を頼もしく思い、守人の好きにさせてくれるようになる。すると通う手間などで、祖父を嫌いになったわけではないが次第に祖父の所へは足が向かわなくなっていた。
「おお、元気しとったか?わしは暇じゃからな、昼でも夜でもいつでも来なさい」
電話で祖父に在宅かを聞いた守人は、変わらない祖父の声が裏山の草木の臭い、祖父の体臭、祖父の家の臭いが思い出され、暴力を受けてささくれ立っていた心を優しくなでてもらったような心地になる。
翌日は丁度土曜日で、電車に乗って一時間ほどで祖父の住む田舎に行ける。
緊張で朝早く起きてしまった守人は手早く支度を済ませ、電車に乗ると風景を眺めながらどんなふうに話をしたらいいかを考えてしまう。
時間が少しでも空けば新聞を書き写す守人だが、祖父の家に向かう道中ペンを握る手は止まっていた。




