除三害
三国時代、江南の義興群に周処という男がいた。周処は暴虐な性格で、郷里の人々から忌み嫌われていたが、人々は周処の前ではそのような素振りを見せることはなかった。
ところで、義興群の山の中には、人の足跡をつけて人を襲う虎がおり、また川の中には蛟がいて、やはり人を襲い、人々に危害を加えていた。それで人々は、虎の害、蛟の害、周処の害を合わせて三害と呼んでいた。
ある時、郷里の人が周処に言った。
「この里の山の虎と川の蛟は人々に危害を加え、我々は困っています。あなたの勇気を見込んでお願いしたいが、この二害を退治してくれませんか。もっとも、危険な相手ですから、無理にとは言いませんが……」
周処は言った。
「何を言うか。俺がそんな虎や蛟など恐れると思うのか。すぐに退治してやるさ」
それで周処は山に入っていき、足跡をつけて虎をおびき寄せると、遠くは弓矢で、近くは槍で闘って、虎を刺し殺した。
それから蛟を倒しに川へ行ったが、何しろ相手は水の中なので、陸上のようには闘いづらい。それで人が魚を獲るときのように、水に潜って槍で刺し殺そうとした。周処は川の中で蛟と格闘し、共に絡み合ったまま川を流されていった。
周処は長い闘いの末ようやく蛟を殺したものの、ずいぶん遠くまで流されてきてしまった。郷里に帰ろうとしたが、歩いているうちに日は暮れ、道の途中で一晩過ごし、また次の日も歩き続けて、日が暮れて一晩過ごし、そうして三日してからようやく郷里に帰ってきた。
さしもの周処も疲れ果てていたので、とにかく食事をしようと思って里の料亭に入ろうとした。金も持っていないが、いつものように付けにしておけばいいだろう。いや、むしろ二害を倒してきたのだから、お礼にタダにしてもらってもいいくらいだ。そんなことを考えながら戸に手をかけたところで、中からこんな話し声が聞こえてきて手を止めた。
「周処は本当にもう死んだのかな?」
「もう三日も帰ってきてないんだ。さすがに死んだだろう」
「そりゃ良かった。作戦成功だな。虎の害、蛟の害、周処の害で三害だが、その中でも周処の害が一番ひどかったからな。三害を潰し合わせて、三つともいなくなれば上々、そうでなくても一つだけ残ればよしと思っていたが、これほど上手くいくとはな。里の皆も喜んでるよ」
「ああ。最初、周害が虎を殺して戻ってきた時はがっかりしたものだが、蛟はよくやってくれた。その蛟ももういなくなってしまったが、これからは蛟さまとして祭ってやるか。いい魔除けになるかも知れない」
「ハハハ、そりゃいいな。ああ、もう周害がいないと思うと飯が旨いなぁ。よし、今日はお祭りだ。おい店主、酒を持ってきてくれ」
周処はこれを聞いて怒り心頭、
「周害のお帰りだぞっ!!」
と言って戸を蹴破って中に入ると、中にいた人々は飛び上がらんばかりに驚き、散り散りに逃げていった。
「待て!貴様ら!」
周処はあとを追いかけようとしたが、さすがに疲れていたので、まずは料亭で食事をしようと思って、腰を下ろして言った。
「おい店主、飯を持ってこい」
「は、はい。……あの、お代は……」
「あ?」
周処が睨みつけると、店主はおどおどして言った。
「す、すみません。何でもありません」
さて周処は、店主が食事の支度をするのを待っていたが、待っているうちに、里の人々への怒りと共に、だんだん悲しみを覚えてきた。奇妙な話ではあるが、彼は今まで、自分がこれほど人々から嫌われているとは思いもしなかったのである。
「くそっ、あいつら……」
周処は彼らの逃げていったあとのテーブルを蹴り飛ばしたが、それ以上怒る元気もなく、自らのテーブルをコツコツ叩きながら考えていた。
(あいつら、そんなに俺のことを嫌っていたのか。俺なんていなくなればいいと思い、俺が死んだと思って喜んでいたんだな……)
そう思って落ち込んでいると、隣の席からこんな話し声が聞こえてきた。
「珍しいですね。周処がこんなに落ち込んでいるとは」
周処が声のした方を見ると、隣のテーブルには、兵士のような服装をした、背が高くて醜い顔をした男と、高貴な人らしい服装をした美しい女とが、さし向かいで座っていた。男の方は続けて言った。
「あの周処が、自分が嫌われていると知ったくらいで、これほど落ち込むとはねぇ……。意外と繊細なところがあるんでしょうか」
女の方が言った。
「繊細なんてものではありませんよ。この男は常日頃から暴虐な振る舞いをしておきながら、それでも自分は人々から愛され、受け入れられるのが当然だと思っているのです。それだけ厚かましいからこその、あの暴虐な性格なのですよ」
「なるほど、それもそうですね。ハハハ」
周処はこれを聞いて怒り、
「何だ、貴様らは!?そんな口を聞いて、タダですむと思うなよ!」
と言って立ち上がったが、男の方も立ち上がって、言った。
「何だ、やるのか?」
女の方も立ち上がったが、一歩ひいて、扇子で口元をおおって、男に言った。
「ほどほどにしておきなさいよ。殺さないようにね」
「なめるな!」
周処は男に殴りかかったが、その手を取られたかと思うと、宙を舞い、床に叩きつけられていた。
「くっ!」
周処は起き上がって再びかかっていったが、やはり倒されて床に転がる。
「この……」
周処は片膝をついて、身に帯びていた刀を抜いたが、そこで女の方が周処を睨みつけ、
「打!!」
と言うと、刀は砕け散った。
「なっ……」
周処は驚いたが、そこへ続けて、何かに打たれたような衝撃を受けて、床に倒される。
「この……」
起き上がろうとしたが、さらに続けて打撃を受け、起き上がろうとするたびに床に打ち倒される。どうも誰かに棒で打たれているような感覚がするのだが、己を打つ者の姿は見えない。
周処は、これはただ者ではないと思い、その場でひざまづいて、手をついて言った。
「ま、待って下さい。どうやらあなたはただの人ではないようだ。仙人なのですか、神なのですか?」
女はこれを聞いて、扇子をたたむと、相方の男の方を指し示して言った。
「いかにも。この者は千里眼である。そしてこの私は九天玄女であるぞ」
「はっ……!」
周処はうろたえながらも叩頭する。玄女は言った。
「周処よ、お前は武勇を誇りながら、その力を人々のために役立てることもせず、いたずらに同胞を傷つけることに使っているのは、いかにも過ったことではないか。今はいつ戦乱が起こるか分からぬ世の中であるし、たとえ三国のうちの一つが天下を取ったとしても、その平和は長くは続くまい。お前はその力を、人々を守るために役立てるべきではないか」
「そ、それは……確かに、その通りです」
「お前も、人に請われて二害を除いたくらいだから、人々を助けたいと思う心がないわけではあるまい」
「確かに、そうです」
玄女は言った。
「そうであれば、お前は今日より生き方を改めるべきだ。お前はすでに二害を除いた。さらに人々のために役立つこともできよう」
周処は言った。
「そうでしょうが、しかし……私は、すでにこのような生き方をして年を重ねておりますので、今さら生き方を変えるには遅すぎるように思えます」
玄女は言った。
「遅すぎるからと言って改めなければ、それはいつまでも改められないままだ。過ちはひとりでに改まるものではない。お前が改めてこそ改まるのだ。古人も“過ちを犯して、それを改めないことをこそ過ちと言う”と言っている。お前は今から変わるか、いつまでも変わらないか、だ」
「変わります」
周処はすぐにそう言った。玄女は答えて言う。
「それでは、呉に行って、陸氏兄弟を訪ねてみるといい。そうすれば、お前のために仕官のつてがあるだろう」
さて、郷里の人々は、周処が思いがけず生きて帰ってきたうえに、彼を亡き者にしようと企てていたことが知られてしまったので、どうしようかと話し合った末、事ここに至っては周処と戦うしかないと決めた。それで各々、弓矢や槍を持って、料亭の前で周処が出てくるのを待ち構えていると、戸が開いて周処が現れた。
人々は身構えたが、周処は数歩、人々の方に歩み寄ると、その場でひざまづいて、手をついて言った。
「みんな、今まですまなかった。悪いことをした。俺はこれからこの里を去って、仕官のつてを探してくる。これからは、人を傷つけるためではなく、人を守るために働くよ」
人々はあっけにとられ、周処は気が変になったのか、それとも何かの策略なのかといぶかしんだが、周処は構わずその場を立ち、武器を持った人々に背を向けて歩き去って行った。
さて周処は、郷里を離れた後は勉学に励み、仕官して、文官、武官を歴任して御史中丞にもなった。
後になって彼が郷里に帰ってくると、里の長老は彼を迎えて、宴を張って言った。
「周処よ、もう太守になったのだったな。我々は、昔はあなたのことを厄介者としか思わなかったが、今では、かつてあなたのことを恐れていた分だけ、むしろあなたのことを心強く思っているよ」
周処は苦笑して言った。
「なるほど、“善人は不善人の師、不善人は善人の助け”というやつですな。私もそのように、善人の助けになっていればいいのだが」
長老は言った。
「ほう、学のあることを言うようになったのう。そうそう、今ではこの里では、あなたは“除三害”の人として有名になっているよ。あの“三害”を除いたということでね」
周処は言った。
「しかし、私はその三害のうちの一つなのだから、“除三害”はおかしいでしょう」
長老は言った。
「いや、そうではない……あなたは、自分自身の害も除いたのだから」