閑話:マリーのつぶやき
読みに来ていただき有難うございます。
ローゼン王国の辺境ダンガールド……
隣国フランクとの国境を守護する、ダンガルディ辺境伯様が治めるこの地で私は生まれました。
領都セントールの城下町にある雑貨屋が、私が生まれ育った家です……
父は王都にある商会の二男で、行商をしていましたが母と出会い、この地に根を張る事を決めたのでした。
王都にある父の実家から定期的に商品を仕入れ、二人の兄も家業を手伝い、経営は順調で、私は何ら不自由する事もなく、子供時代を過ごしました。
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十三年前、前領主様が隣国との小競り合いの最中に、王国の騎士の裏切りにより命を落とされました。
『ダンガールドの鬼姫』と称されるアビゲイル様の活躍で敵兵は退けられ、裏切り者の騎士もその身を拘束され、断罪されたのです。
年下の医薬師様と結婚されていたアビゲイル様が後見人となり、辺境伯となられたアルフレッド様を支えました。
それまでローシェンの街の治療院で働いてらした旦那様とお子様たちと一緒に、アビゲイル様は城郭の中に戻ってこられました。
年若い辺境伯様を侮ったのかフランクの雑兵どもが、度々国境を越えダンガールド領内に侵攻してきました。
その度毎に、受けた被害以上に敵兵を内倒し国境の先へと押し返す……『鬼姫』様以上に苛烈な辺境伯様を、敗走兵達は『辺境の悪魔』と呼び怖れ慄きました。
辺境伯アルフレッド様が十八歳になり、成人された年のことでした……
国王様に謁見する為、王都に行かれたアルフレッド様でしたが、第三王女様と婚約をされて、辺境へ戻られました。
王女様とのご婚約に領民たちは、流石はダンガールドの領主、辺境伯様だと、喜びに沸きあがっていました。
十一歳になったばかりの私も、近所の幼友達と一緒に、籠一杯の花びらを振り撒いて、辺境伯様を出迎えました。
《アルフレッド様~》
《ご領主様~》
《ご婚約おめでとうございますぅ~》
「領主様の婚約者って、お姫様なんでしょ~?」
「きれいな人なんだろうなぁ~」
物語に出てくる様なお姫様を想像して、友人達とキャッキャウフフと騒ぐ私達に、二歳上の男の子が馬鹿にした様に呟きました。
「うへぇ~、バカだなぁ…お前ら……」
私達には聞こえないと思ったのでしょう……女の子の集団に一斉に睨みつかれた彼は、笑った顔のまま凍り付いたように固まっていました。
「ちょっと、聞き捨てならないわねぇ?」
「バカ?って私達のことかしらぁ?」
「アハ……アハハ……」
私よりも二つ年上の幼馴染ランドルフは、引き攣ったような笑みを浮かべ、一目散に逃げて行きました。
「キャハハハ…馬鹿ねぇ」
「逃げたって、無駄なのに」
「「「「「ねぇ~~~」」」」」
この国では子供が八歳になると、教会で読み書き、算術を勉強する事が出来ます。“学供”と呼ばれるその制度は、先々代の国王様が『知は力なり』といって平民であっても、読み書き計算が出来る様にと制定されました。
強制ではありませんが、領都に住んでいる子供達は挙って教会に通い、勉強をしていました。
私を含め、五人の女子から逃げ出した幼馴染のランドルフも、当然教会に通っていました。
ランドルフは私以外の女の子に謝ると、性格のキツイ子から先に、まるで物語の騎士の様に手を取ると、その手の甲にキスをしました。
「ランドルフったら……」
「もぉ~しょうがないわね……」
整った顔をしたランドルフは、いつでもそうやって、女の子の機嫌をとっていました。
二歳しか違わないのに、ランドルフはいつでも、私の事は子供扱い……小さな妹ぐらいにしか、思っていない様でした。
五年前、十五歳になったランドルフはダンガルディ守備隊に入隊しました。守備隊に入る事は男の子たちの憧れだったのです。
女の子の憧れは、侍女になって王都にあるお屋敷か、お城で働く事……?
一番は、愛する方との、結婚でしょうか……
私の夢は侍女になって辺境伯様の処で働いて、辺境伯様や将来的には……辺境伯様のお子様のお世話をする事でしょうか……
そんな私の憧れの女性が、ランドルフの姉、クレアさんでした。
辺境伯様の姉、アビゲイル様付きの侍女だった彼女は、侍女でありながらも武器を扱う事ができ、その強さは守備隊の隊員にも引けを取りませんでした。
十三歳になった私は侍女見習と、守備隊の予備隊員として、朝夕の鍛錬に参加する様になっていました。
ランドルフのお姉さんの様に、いざとなったら主人を護る事が出来る侍女になる事が、私の目標でした。
そんなある日、ランドルフのお姉さんは……辺境伯様の居城に滞在している王女様によって、侍女失格と、暇を出されて家に帰ってきました。
ランドルフが言うには、王女様はとても、甘やかされてお育ちになったようでした。
侍女だったクレアさんは、仕事先での事は、家族にさえ、何一つ喋る事はありませんでした。けれど、彼女の手首には、扇で打ち据えられた跡が、痛々しく残されていました。
鬼姫と戦場を駆けられるクレアさんが、抵抗する事無く打ち据えられた……そんな彼女の、何が侍女失格だったというのでしょうか……
無抵抗の者を打ち据える第三王女に……お姫様というモノに嫌悪感が募りました。
ある日、遠出をされる辺境伯様と王女様の従僕として、森に出掛けていたランドルフが、単騎で、慌てて城に戻ってきました。
「医者を!医者の手配と、教会に治癒のできる者を呼ぶよう、知らせを……」
騎乗してきた馬共々、這う這うの体で城にたどり着いたランドルフは医者の手配を、と告げると、その場で意識を失くしそうになりました。
当時はまだ副隊長だったレオンハルト様に、桶で頭から冷たい水をかけられ、事情を聴かれたランドルフは、死んだ川魚の様な目をして、私にぼやいておりました。
ランドルフの報告によると、落馬事故で、辺境伯様と甥っ子のマクシミリアン様が大怪我をされたとの事でした。
落馬事故の原因を作ったとされた王女様は挨拶も、帰り支度もそこそこに、友人共々逃げる様に王都へと戻って行かれました。
優秀な医薬師でもあるマクシミリアン様のお父様のカーディナル様と、お母様の……アビゲイル様がご不在の時の不幸な事故でした。
辺境伯様は事故の後、ご自分の怪我は後回しにし、甥のマクシミリアン様の治療と回復を優先されました。
王都から戻って来られたカーディナル様の治療とアビゲイル様の手厚い看護により、マクシミリアン様の怪我は良くなっていきました。
治療を後回しにされた辺境伯様の麗しいお顔には、目を背けたくなるほどの醜い傷が残り、右の目からは視力が失われたとの事でした。
傷物になられた辺境伯様に追い打ちをかける様に、王女様との婚約を破棄するとの手紙が届けられました。
辺境伯様とアビゲイル様は、怒る事もせずこれ幸いと、辺境への余計な口出しをしない、という確約を、王家と交わしたそうです。
王女によって解雇されたランドルフの姉クレアさんは、足を動かすことが出来ずに、歩けなくなってしまったマクシミリアン様付きの侍女として、再雇用されました。
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三年前、十五歳になった私は辺境伯様のお城で念願だった侍女として、正式に働くことになりました。
私が辺境伯様のお城で、働くようになって直ぐの事です。
五年前の事故以来、明るい話題が無かったダンガールドに久々に明るい出来事がありました。
マクシミリアン様が誕生されてから、七年ぶりに妊娠されたアビゲイル様が、男のお子様を出産されたのでした。
明るい話題は、それだけではありません。怪我をされて以来、声を発する事の無かったマクシミリアン様が、末のギルバート様のお相手をする内に、言葉を取り戻されました。
それだけでなく、無邪気なギルバート様に癒されたのでしょうか、気難しいマクシミリアン様が、お子様らしく笑う事も増えるようになりました。
末のギルバート様が立てる様になり、歩きだし、駆ける事が出来る様になっていくうちに、歩けなくなったマクシミリアン様も、歩けるようになるのでは?と、皆が期待していました……でも、そんな奇跡は起こりませんでした。
歩くことが出来なくとも言葉を取り戻し、明るくなられたマクシミリアン様に、アビゲイル様とカーディナル様、兄上様達も、明るくすごすようになられました。
辺境伯様は……無表情で笑ったりしないのは、十年以上前からの様ですので、辺境伯様については割愛させていただきます。
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侍女として城勤めを始めてから、三年が経ちました。
侍女長のアンナさんから一人前の侍女として、お褒めの言葉をいただくまでに成長もし、可愛い後輩もできました。
穏やかな日々は、隣国フランクの辺境領モンフォールの兵による侵攻によって、破られました。
噂では、モンフォールの領主が変わった事により、以前より侵攻の速度が上がっていたとか……
美しかったラッセルの街は、無残な焼け野原になってしまったそうです。
守備隊の活躍で住民に被害が無かった事は、不幸中の幸いでした。
国境沿いの街バンデールとラッセル、二つの街が復興するまで、住民たちはローシェンの街に避難し、仮住まいで生活する事になっています。
モンフォールの雑兵を退けた、ダンガルディ守備隊の主力部隊が、領都セントールの辺境伯様の居城に、可愛いお客様を連れて戻ってきました。
私が侍女になってから三年……侍女長のアンナさんが(詳しい年数は、命が惜しいので伏せましょう)長い間、待ちに待った可愛らしいお嬢様が、私達の前に現れたのです。
お嬢様のお名前はフーカ様……
表向きは辺境伯様の遠縁のお嬢様として、保護することになったフーカ様は、この国ではあまり見た事が無い黒い髪に黒い瞳をしていました。
私と、後輩で侍女長アンナさんの娘でもあるアイシャがフーカ様付きの侍女に選ばれました。
私は嬉しさのあまり心の中で、(成人ですからね)アイシャは目の前で、飛び跳ねていました。
侍女になって、アビゲイル様をお側近くから見る様になって、気が付いた事があります。
男よりも漢らしいアビゲイル様は、実は可愛い物が大好きで、自分の代わりに可愛い服を着せる事が出来る、女のお子様を望んでいた様でした。
そして、アビゲイル様付きだった侍女長のアンナさんも、アビゲイル様に出来なかった主家の御息女……女の子を着飾らせる事が出来なかった事を残念に思っていたようです。
フーカ様が辺境にいらっしゃた事で、娘を可愛らしい物で着飾らせて、可愛がりたいというアビゲイル様の夢と、私達侍女の夢を、やっと……叶える事ができるのです。
フーカ様は何故か、自分はお嬢様ではない、などと言われますが、手入れの行き届いた手、足、それに艶のある美しい御髪……すべすべのお肌をしていて、いずれ名家のお生まれと思われますのに、お嬢様ではないなどと……何故思うのでしょう。
私とアイシャに、『一緒にお茶を……』と、おねだりをされた時のフーカ様の可愛らしさと言ったら……
ハァハァ……
いけない……つい、我を忘れてしまいそうになりました。
フーカ様の素晴らしいところは、可愛らしい事だけではございません。
精密な遊具“ジェンガ”というものを作られたり、“プリン”という美味なるお菓子を作られたり……
算術が得意で、補佐官様のお手伝いまでされて……お小さいのに、色々な事がお出来になるのです。
そして、最も刮目すべき事は……十年以上前から笑う事のなかった辺境伯・アルフレッド様が、フーカ様と過ごす様になり、声を出して笑ったり、無表情だったお顔に、笑顔を浮かべる様になったのです。
不思議な魅力を持つフーカ様には、誰もが心を奪われてしまいます。
先日の、モンフォールの侵攻による被害の後処理に、王都から騎士団が派遣されて来るそうです。
清廉な騎士様ばかりなら、心配はいらないのですが、粗野で無骨な騎士団員の目にフーカ様がさらされる事があっては……
愛らしく可愛いフーカ様ですから、浚われて監禁されてしまうかもしれません……危険です!!
アルフレッド様が騎士団が領都に留まっている間、フーカ様に護衛を付けるが決して一人にしてはならぬ……と、命じられました。
ええ、ええ……アルフレッド様に命じられるまでも無く、フーカ様から離れません。
それにしても……アルフレッド様がフーカ様に付けた護衛が……護衛のランドルフが、フーカ様に不埒な事をてしまったらどうしましょう……
幼馴染のランドルフの性格を知る私にしてみれば、あの男に護衛を任せる事は、狼に兎を与える様な事になるのでは?と、危険が心配です。
アイシャと共に、辺境伯様の執務室にお茶をお持ちするとソファに座るフーカ様の背後に、ランドルフが控えていました。長い付き合いの私には、取り繕った表情をしていても、あの男が浮ついている事がわかりました。
アルフレッド様からフーカ様が改装された備蓄用の空き倉庫まで、カーディナル様を案内する様に言われ執務室を出ようとしていた私に、ランドルフがボソッと……囁いたのです。
「あの子……初心で可愛いよな……」
ランドルフ……あの男、フーカ様に何かしたとでも言うのでしょうか?フーカ様の様子がいつもと違ってらしたのはそれで……?
そういえば、補佐官様に様子がおかしいと言われたフーカ様の額に、アルフレッド様が額を付けて、熱が出ていないか確かめていました。
アルフレッド様……フーカ様は、甥っ子様達とは違います。案の定……フーカ様は羞恥のあまり、真っ赤になってしまわれました。
初心で可愛らしいフーカ様……
は!?……やはりあの男、何かしたに違いない……
私はカーディナル様を案内しながら、両手を握り、腕をふるわせ、あの男……ランドルフからフーカ様を護る決意をしたのでした……