13.ダンガールドの鬼姫
私を抱き上げたまま、その人はずっと笑い続けていた……何がそんなに可笑しいのだろう?
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辺境伯は風花を片腕に抱き上げたまま、クルクル変わる表情を見ては、楽しそうに笑っていた。
「うぅ~……も、やだぁ、お願い下ろして」
「あぁん?なにか言ったかなぁ……?」
絞り出す様に発した風花の懇願を、辺境伯は聞こえないという仕草をし、悪戯が成功した様な悪い顔をして微笑んでいた。
レオンハルトは、風花を揶揄っている辺境伯の様子に、風花の反応が新鮮で面白いのでしょうが……ちと、やり過ぎでなのでは……と、心配になってきていた。
あぁ~こんな事がアノ方に知れたら……
そんな事をレオンハルトが考えたその時、応接室のドアが勢いよく開かれて、アノ方が仁王立ちで立っていた。
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ダンガルディ辺境伯……アルフレッドの姉、アビゲイルは、国境の町ラッセンがモンフォールの兵に攻め込まれるとすぐに、子供達を連れて実家である領都の辺境伯の居城に入っていた。
子供達の安全を考えての事だがそれ以上に、必要とあれば領民の為に、剣を振るう覚悟で城に詰めていた。
十五歳で戦場に出てから表舞台から退くまで、アビゲイルはその剣技と才覚でダンガールドの『鬼姫』と、称されていた。伴侶を得て母となり、表舞台……戦場からは遠のいていても、守備隊での指導の苛烈さに『鬼姫』の名は、今も健在であった。
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守備隊長が“小さなお客様”を連れて戻ったと聞いて来たアビゲイルは、応接室の扉の前で、中から聞こえてきた笑い声に、ドアをノックしようと拳を挙げたまま、身動きが出来なくなっていた。
王国直属の第二騎士団員に因る裏切りで、前辺境伯……父親が亡くなると同時に、辺境伯の地位を継いでからというもの、アルフレッドが声を出して笑うところなど、姉であるアビゲイルでさえ見た事が無かった。
応接室の中で、いったい何が……?
アビゲイルはいてもたってもいられず、ノックをすると、入室の許可を待つことも忘れ、勢いよくドアを開けると応接室の中に入っていった。
お茶の用意をして追従してきた侍女頭に諫められても構わず、応接室に押し入った辺境伯の姉アビゲイルは、少女を抱きかかえて笑っている弟を見て、驚愕していた。
「ア、アルフレッド……貴方、何をして……」
「……姉上、ノックぐらいはして下さい」
「ム……ノックなら、したとも……」
「アビゲイル様……返事をする前にドアを開けて、入室していたら、ノックの意味が無いですよ……」
「はぁ」と大きく溜め息を吐きながら、補佐官は辺境伯の姉アビゲイルに苦言を呈した。
「コストナー……不作法とは思ったが、中から聞こえる笑い声が気になって、いてもたってもいられなかったのだ……」
辺境伯の姉アビゲイルは、補佐官のコストナーにシレッとした顔で言い訳していた。
「そんな事より……」
アビゲイルは、辺境伯の腕の中にいる風花を獲物を見つけた様な眼で凝視していた。
「アルフレッド、その女の子は……?」
「姉上には、関係ありません」
アルフレッド・ヴォルフ・ダンガルディ……
ダンガールド辺境領・領主ダンガルディ辺境伯は、口煩い姉のアビゲイルから隠す様に、風花を両腕で囲い込んだ。
補佐官のコストナーは、そんなアルフレッドの様子に、目を見張った。
顔に怪我を負って以来、女っ気のない辺境伯が、まだ子供とはいえ一人の娘を独占するような……執着している様子に、これは……と希望を抱いてしまっても、仕方の無い事だろう……
辺境伯アルフレッドの様子は、レオンハルトにとって予想外の物だった。だが、『ダンガールドの鬼姫』と呼ばれたアビゲイルが、可愛い物に目が無い事を嫌というほど見てきたレオンハルトにとって、アビゲイルが風花に夢中になるぐらいの事は、わかりきっていた。
アビゲイルは弟である辺境伯に、「関係ない」などと言われても、そんな事ぐらいで風花に対する興味を失う事は無かった。
若くして辺境領を引き継いだ重圧に、普段から感情を露わにする事無く、特に怪我を負ってからのアルフレッドは声を上げて笑うどころか、微笑すら浮かべる事も無かった。
その弟が……笑う事などなかったアルフレッドが、楽しそうに、声をあげて笑っていたのだ。
重責を担っている弟の、鬱屈した心を癒してくれるその存在を、何としてでも取り込まなければ……と、アビゲイルは思ったのだった。
まぁ、そんな事より……何よりもアビゲイル自身が、可愛い子に目が無かった……
自分の腹を痛めた子供は男児ばかり……可愛い女の子が欲しかったアビゲイルは、目の前の小さな少女が気になって、気になって、しょうがなかった。
弟の関係ない発言など無かった様に、アビゲイルは、弟の腕の中にいる少女に、直接声を掛けた。
「お嬢ちゃん、お茶はいかがかしら?美味しいお菓子もあるのよ?」
優しそうな女の人の声に……しかも、美味しいお菓子とお茶、と耳にした風花は、ジッとしてなどいられなかった。
「あの、下ろしてください。お願い……」
そう言って風花は、辺境伯の顔を上目づかいに見ながら
小首を傾けた。美味しいお菓子を食べる為なら、あざといと言われようが、出来る事は何でもする風花だった。
「むぅ……」
辺境伯は風花のお願いに、唸りながら……それでも、風花を離そうとはしなかった。
風花の事を抱いたまま、お茶とお菓子が置いてある、テーブルの前の長椅子へと移動した。
風花を抱いたまま長椅子に腰掛けた辺境伯は、風花を横向きにして、膝の上に座らせたのだった。
風花は辺境伯の膝の上で、何で離してくれないの?これでは、お茶の入ったカップにも、お菓子にも手が届かない……そう思っていた。
アビゲイルは、辺境伯の隣に座ると、アルフレッドには構わず、風花に話し掛けた。
「初めましてお嬢ちゃん。私はアビゲイルよ」
「は、初めまして……風花、です」
「……おい、なんで姉上にはすぐに名前を言うんだ?」
アビゲイルに素直に名前を教えた風花に、アルフレッドは不機嫌そうに言うのだった。
「え?だって、名前を教えてくれたから……人に名前を聞く時は、名乗ってから……だよねぇ?」
風花の言う言葉にアルフレッドは、そんな事で?それだけであんな態度を取っていたのか……と思った。
だが、確かに名乗っていなかったと、思い返したアルフレッドは、機嫌が悪い顔をして、ぼそぼそと風花に名乗るのだった。
「アルフレッド……だ……」
「……風花……だ、よ」
渋々といった態度で名乗った弟と、名前を告げてすぐそっぽを向く少女……
二人のやり取りを見ていたアビゲイルは、ひねくれた態度の弟を、残念な物を見る様な眼差しで見ていた。
顔の怪我が元で婚約を破棄されてから、弟の女嫌いは、益々ひどくなっていた。身内と、侍女頭のアンナ以外の女性には、挨拶さえまともにしていなかった。
そんな弟が……風花という少女に対しては、子供とはいえ、両腕に抱いて離そうともしない……今は子供でも、数年たてば……
幸せな結婚生活をおくっている姉からすれば、弟にも幸せな結婚をしてもらいたい。
アビゲイルは風花に一縷の望みをかけるべく、絶対に逃がさない……と、心に決めたのであった。
アルフレッドの膝の上にいるせいで、お茶にもお菓子にも手が届かない風花の様子に、アビゲイルは皿の上にお菓子を載せて、風花へと差し出した。
「そこ(膝の上)にいては、届かないでしょう?はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
うわぁ、なんて気が利く女性なんだろう……
風花はアビゲイルの気配りに感謝すると、早速お菓子を口に入れた。
「美味しいぃ~」
朝も昼も……何も食べていなかった風花は、皿の上にあったお菓子を包ばっていた。
そして、絶妙なタイミングで、アビゲイルは風花にお茶を飲ませると、空になった皿にお菓子を載せて、再び、風花に手渡した。
もぎゅっ、もぎゅっ……
夢中でお菓子を包ばるその仕草が、まるで栗鼠の様で、アビゲイルはたまらず、風花を抱きしめるのだった。
「姉上!いきなり何を……」
「おだまり!!フーカを独り占めなんて、そんな事させないわ」
そう言うと、アビゲイルは、アルフレッドの鳩尾に拳を叩きこみ、アルフレッドが怯んだ隙に風花を奪い取った。
「え?えぇ??」
いつの間にか風花は、アビゲイルの膝の上に乗せられて、両腕で腰を抱えられていた。
乗せられている膝と、向きが代わったぐらいで、風花には、お茶もお菓子も手が届かなかった。
アビゲイルは幼い子供にする様に、風花にお茶を飲ませたり、お菓子を食べさせたりしていた。
「ふふ……可愛いわね。ねぇフーカ、貴方の年齢を聞いてもいいかしら?」
「十四歳です……」
風花の年齢を聞いて、アルフレッドは嘘だろう、というような表情をしていた。
「十四歳だと?もっと小さいのかと思っていた……」
「大隊長……フーカは始め、自分の年齢を二十一歳だと言っていたんですよ」
対面する長椅子に座ってお茶を飲んでいたレオンハルトが、アルフレッドとアビゲイル、補佐官のコストナーに、風花について、ラッセンの街で保護した事、親も親類も無く、行く当てもない事などを話していた。
「二十一歳は……無いわ……」
アビゲイルが低い声で、呟いた……
「いろいろあって、混乱していたのでしょう」
レオンハルトは眉をよせながら、淡々と話していた。
三日前までは違う世界で、二十一歳の学生だった風花が、女神様のご厚意で十四歳に若返ったなどと、説明する訳にもいかず、自分についての話だが……何も言わず黙ってレオンハルトの話を聞いていた。
「未成年で、頼れる人がいないのね……ねぇ、フーカ……私の娘にならない?」
女の子が欲しかったアビゲイルは、風花の様な可愛い女の子なら娘として育てて、息子達の誰かと結婚してくれたなら……嫁に出すことなくずっと側に置く事が出来る……と、数年先の未来設計まで立てていた。
「姉上……何を勝手な事を……」
レオンハルトからは書面で……ダンガールドに得難い娘(加護持ち)を連れて戻ると、報告を受けていた。
アルフレッドは風花の事を、居城に留めて保護しなければと、考えていた。
『女神の加護』を持つという事を抜きにしても、自分の目の届く所に置きたい……そう思っていた。
そんなアルフレッドの心も知らず、レオンハルトが問題発言をした。
「フーカの事は、私が面倒を見るつもりです」
「はぁ?嫁が来ないからって、子供に手を出すつもりかレオンハルト……」
アビゲイルは殺気のこもった目で、レオンハルトを睨みつけた。
「最初に、フーカに家族になろう……って、言ったのは、私ですよ」
「馬鹿め!言った順勝ちだなんて、認められるか!」
「私は、フーカとなら夫婦になっても……」
今迄、空気の様に気配が無かったジャスティンまでが、風花争奪戦に参戦していた。
「こうなったら、第三者的立場の私が、引き取りま……」
「第三者なら、黙ってろ!」
補佐官のコストナーが、見かねて口を挟もうとした途中で、アルフレッドに遮られていた。
「姉上の一存では、決められないでしょう?家族全員の了承を受けてから言って下さい」
アルフレッドは、正論でもって、アビゲイルの希望を取りあえず下げさせた。
ジャスティンとレオンハルトには、風花の安全を考えて、了承できない……と、認めることは出来ないと告げた。
アビゲイルの、『私の娘に』という発言から、混乱していた大人たちの話し合いが、アルフレッドによって、落ち着きを取り戻していた。
もめている大人たちに、風花が途中で、「一人でも生きていけます」と発言していたが、アルフレッドの一喝のもと、却下されていた。
そうして風花は結局、辺境伯の遠縁の娘として、辺境伯の居城で暮らすことに決まった。
諦めきれないアビゲイルと、侍女頭のアンナに連れられて、風花は辺境伯の執務室を後にした。
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