第189話 消失?女王の命と顔
前回のお話
エルフの女王を人質に取ったまま、ウヒトを勧誘する暇。その場にユキトが駆けつけるが。
「お、来たね」
血相を変えて集会所に飛び込んできたユキトの姿を認め、暇は抑揚のない声で迎えた。
「……やはり戻ってきやがったか」
不愉快さを隠さないユキトとは対照的に、僅かに微笑みを浮かべているかのような無表情の暇。ユキトとしては二度と拝みたくない顔である。その身を犠牲にして暇を世界から追放したアルマの顔が頭に浮かび、ユキトは奥歯をギリリと噛み締めた。
「いやぁ、あのメイドロボにはしてやられたよ。おかげで色んな異世界を回る羽目になっちゃって、たくさんの無関係な世界が滅んじゃった。
けれど、まだやり残したことがあったからね。ちゃんとこの世界にも戻ってきたってわけさ。
ところで、ボクが戻ってきたことに気付いたのはこの世界の神様のおかげかな?」
「ああ、クレアが気付いて教えてくれた。お前の気配がするってな」
「ふむ。見つからないようにこっそりと事を進めていたんだけど、さっきこのエルフの女王サマとやりあった時に色々と力を使っちゃったからなぁ。やっぱり気付かれたか」
ユキトがここに駆け付けたのは、クレアが暇の存在を感知したからだ。どうやら、この異世界に侵入する際には、深淵に起因する力を使うことで自身の存在を隠蔽していたようだが、つい先ほどの戦闘において、それなりに派手に動いたのだろう。クレアの察知するところとなったわけである。
「ところで、いつも一緒の超エルフと火球娘の姿が見えないね」
暇はわざとらしく周囲に視線を走らせた。ファウナとフローラを探しているようだ。
「……いつも同行してるとは限らないさ」
ユキトが軽く受け流す。
「そんなこと言って、裏から飛び込んで、女王サマを取り返す手筈だったりするんじゃない?」
「……頭はおかしいやつだが、頭が悪いわけじゃないってことか」
暇の言葉にユキトは内心で舌打ちした。彼の指摘は図星であり、彼女たちは気配を消して集会所の裏手に潜んでいる。ファウナからすれば、集会所の壁など紙と変わらない強度だ。暇が油断してくれれば、一瞬で壁を貫いて内部に踏み込み、ティターニアを取り戻せると踏んでいた。
「まぁ、人質を取った方はそれで優勢になったと勘違いして油断しがちだからね。そういう意味では悪くない手だけど、ボクを相手に下手な動きをすると女王サマの命がなくなっちゃうよ」
そう述べると、暇はその掌で掴んでいる女王の頭部へと視線を向けた。
そして……
「ま、下手な動きをしなくても命はないんだけど」
一瞬、ユキト達はその言葉の意味が理解できなかった。いや、その言葉以上に暇の行動が唐突だったのだ。
パシュン!!
派手ではない音を立て、ドタリと床に女王の身体が倒れ落ちた。その一連の流れは至極あっさりとしたもので、劇的と呼ぶには程遠いものだ。
暇が先ほどまで顔を掴んでいた掌からは、黒い粒子が立ち昇っている。
「ティターニアッ!!! ……っ!!!」
アウリティアがその名を叫びつつ彼女に駆け寄り、その身体に手をかける。それと同時に集会所の壁を破って、ファウナとフローラも内部へと踏み込んだ。
「「ティターニアさん!!」」
ファウナとフローラの視界に入ったのは、ティターニアの身体を抱えて絶句するアウリティアの姿だ。
「………!?」
僅かに遅れて、ユキトも女王の元へと駆け寄るが、その表情が一瞬で青褪める。
「……なんだ……これは」
女王の顔が失われていた。まるで頭部がヘルメットのようにくりぬかれ、顔の部分が脳も含めて空洞と化していた。まるで着ぐるみのように、残った頭蓋と頭皮には豊かな髪が蓄えられたままだが、顔とその中身がきれいに消失してしまっている。
「消してみましたぁ」
犯行を行った男は、まるで手品でも行ったかのように、至極気楽な口調で犯行声明を口にした。
「命と一緒に、顔も消してみた。どうかな? 覚えてるかな、彼女の顔?」
「何を言って……!?」
最愛の人をこのような姿にされて怒らぬ者はいないだろう。当然、アウリティアも怒りに揺らめく視線を暇へと向けた。だが、暇の「覚えているか」という言葉を受け、僅かな困惑がその表情に混じる。
「アウリティア、どうした?」
アウリティアの異変を感じ、ユキトが声をかける。
「……ティターニアの顔が思い出せない」
「顔? 顔って……本当だ、ティターニアさんがどんな顔をしていたか、出てこない」
ユキトとアウリティアの困惑する様子を見て、満足そうに暇が頷く。
「うん、ちゃんと消えてるね」
「貴様、俺たちの記憶……いや、恐らくは世界の記録から……ティターニアの顔を消したな」
アウリティアは怒りが振り切れたのだろう。その声は抑揚のない静かなものだった。
「うん。そうだよ。
でも、女王サマに関しては、顔だけ消したことで君たちも気が付けたみたいだけど、存在そのものを消されたら、さっきまであんなに信頼していた仲間であっても思い出せないんだねぇ」
「何の話だ……」
暇の妙な発言にユキトはなんとも言えない不安を掻き立てられる。
「いや、さっきまで一緒に戦ってた仲間の方は、完全に消しちゃったから、君たちには何の記憶も残っていないんだなぁって思ってね」
ユキトの心の中にざわざわしたものが広がっていく。確かに、ユキトもアウリティアもティターニアの顔を思い出せないでいる。恐らくは、ユキト達だけでなく、この世界の誰もが彼女の顔を思い出せなくなっているのだろう。
だが、もし顔だけでなく、存在そのものを名前ごと消されたとしたら。初めからいなかったものとして、誰もがその存在を忘れ去ってしまうのだろうか。
(今、この場に来ているのはファウナとフローラ……サブシアで待機しているセバスさんとストレィも覚えている……イーラ、アウリティア、クレア……大丈夫だ。こいつを世界から追い出してくれたアルマも記憶にある……だが)
ファウナやフローラ達の名前を思い出せたことに安堵を覚えつつも、ひょっとしたら、彼女達と同等の仲間のことを忘れているかもしれないという不安がユキトの心を騒めかせる。
「俺たちの仲間を誰かを消したって言うのか……」
ユキトがそう呟くのと、隣でティターニアの遺体を抱えていたアウリティアが動いたのはほぼ同時だった。
「うるせぇ! ティターニアの命と顔を返せ!!!」
ティターニアを抱えたまま立ち上がったアウリティアの魔力。それが急激に膨れ上がり、暇の周囲の空間が急激に歪んでいく。空間の歪みに身体はついていけていないのか、バキバキと暇の骨の折れる音が聞こえた。
「潰れろっ!!」
アウリティアの言葉によって、歪んでいた空間が一点に収縮していく。当然、空間内に存在していた暇の身体も一点へと圧縮されることになる。
ムギュブ!!
湿った音を出しつつ、暇の身体がそこから飛び散るはずの血液ごと凝縮されていく。胴体を中心に圧縮されることで、その姿は小さな球状の胴体から手足が生えているような状態となっている。その手足もどんどんと球体に吸い込まれていく。
このまま全身が球状に折り畳まれ、さらに圧縮され、空間ごと蒸発する。アウリティアの攻撃魔法としても、最上位のものの1つだ。相手の防御力を無視した空間蒸発魔法である。
だが、暇がそう簡単に消えるようであれば、前回の戦いの時点でファウナやフローラが倒していただろう。その2人も油断のない表情で、球状に潰されていく暇を見つめている。
「ひぇぇ、ひどい姿にされたもんだ」
やはりと言うか、お気楽な声とともに、球状に潰された身体へ引き込まれつつあった彼の手足にグッと力が入った。それと同時に空間の収縮が停止する。続いて、その手足で空間を掴んで穴から這い上がるかのような動きをすると、暇は自らの身体を展開させていく。
「……ちっ」
その非常識な光景にアウリティアが舌打ちを隠せない。だが、彼もこの魔法で暇を殺せるとは思っていなかったのだろう。特に取り乱した様子もない。
間もなく、暇は元の姿で元の位置に立っていた。暇の身にまとったエルフ服がズタボロになったことと、集会所の床材の一部が剥がれて空間とともに消失した以外には、何ら変化が無いように見える。
再び、暇と対峙するアウリティアとユキト。そのユキトの心中では消された仲間という単語が何度も反響している。
だが、そこに聞き慣れた声が響いた。
「アイツに消されたのはティターニアさんの顔だけね」
「!?……クレアか。 じゃあ、あいつの言っていた消された仲間ってのは」
「はったりで間違いないね。少なくとも今は」
どうやら、暇の仲間を消したという発言は虚言だったようだ。ユキト達に対する心理的なゆさぶりだろう。単なるいたずらかもしれない。
「あれ? バレちゃったか。流石にこの世界の神様には何が消えたかくらいは見えてるみたいだね」
「少なくとも、あなたがティターニアの顔をこの世界の記憶と歴史から消去したことは分かっています。この世界の存在に、歴史に、記憶に仇なす行為を許すわけにはいきません」
声だけで暇と対話するクレア。暇を相手にしているせいか、口調も女神様口調だ。
だが、ユキトにも分かっている。暇の先ほどの発言は嘘であっても、彼がその気になれば、その状況を実現させることが可能ということだ。ファウナやフローラを失っても、ユキトは覚えてすらいない。そんなことが起こり得るということだ。
「クレアール! ティターニアの顔は戻せないのか!?」
ユキトがそんなことを考えていると、アウリティアがクレアールにそう問いかけた。ティターニアの顔を戻せるのであれば、仮に仲間を消されても、思い出すこともできるだろう。
だが、クレアールの言葉はそんな期待を打ち消すものだった。
「残念だけど……世界の歴史から完全に消されてる……仮の記憶を与えることはできるけれど元には戻せない」
「でしょ? 時間軸から何かの存在を抹消しつつ、その消失の影響を他に伝播させないようにするのは結構な高等技術なんだよ~。褒めてくれていいよ」
自慢げに胸を張る暇。単に皆の記憶を消しているだけではなく、時間軸における対象を消した結果として、記憶から消えているようだ。だが、本来あったものがなくなったとしたら、歴史に矛盾が生じる。それを上手く処理している点が高等技術ということだろう。織田信長をいなかったことにしつつ、江戸幕府をちゃんと成立させるのは難しそうだ。
「それも深淵の力ってやつか」
ユキトの問いかけに対して、暇が深く頷いた。
「そう。消すことについてはプロだからね、この力は。
あらゆる世界も最後には消える。果てしない時間の行き着く先。この深淵こそが唯一の真実だ。
なぁに、皆が気が付いていることさ。知的生命体はそれを知りつつ、その運命から目を逸らすために、色んな嘘をついて生きている。シジョウ君の力もそんな嘘の1つから生まれているわけだ」
「マンガやアニメはそんな大層なもんじゃないけどな」
「いやいや、エンターテインメントってのは、虚無感に立ち向かうためのものじゃないか。人はいずれ死ぬ。それを分かっていて、なおかつ人生に彩りを添えようとするための足掻きこそが君の力の源だろう」
ユキトは何となく暇が自分に執着する理由が分かった気がした。暇はマンガやアニメ、いや物語や創作物といったものを人間が虚無に立ち向かうための力だと捉えているのだろう。
「ま、そういう話はまたいずれするとして……」
暇はあっさりと話を切り上げると、思い出したように集会所の隅に固まって怯えているエルフ達へと顔を向けた。目標はそのうちの1人だ。
「さてウヒト君、君は女王サマの死にすら関わってしまったわけだけど、先ほどの質問への回答はどうするんだい?」
「ウヒト! 耳を貸すな!!」
アウリティアが叫ぶ。その怒声にビクリとウヒトの身体が震えた。
「英雄と呼ばれたくないかい? ボクならその力を君に与えることができる。それとも、この決断から逃げて、ここに残って皆に問い詰められ、責任を追及され、そのまま朽ちていく人生……いやエルフ生を送るかい?」
「ウヒト!」
「ウヒトさん……」
「アウリティア様……ファウナさん……」
そういうとウヒトはアウリティアとファウナから目を逸らした。それが答えということだろう。
ティターニアの死への罪悪感、ファウナへの恋愛感情、自身の英雄願望、恋敵への対抗意識、決断を迫ることで生まれた焦燥感。暇は様々な感情を利用し、ウヒトに自分に着くことを決断させたのだ。
ファウナがもう少し不誠実で、この場限りの言葉を吐けば、ウヒトは思い止まったかもしれない。ティターニアが無事であり、アウリティアが冷静であれば、もっと効果的に説得したかもしれない。だが、そうではなかっただけの話だ。
「ようこそ、ウヒト君」
ウヒトの手を取ると、暇はニィと笑った。
ここまで読んで頂きありがとうございます。いつもながらブクマや評価、たいへん感謝です。寒くなってきましたが、皆々様も風邪など召されませぬよう。