第186話 季節外れ?手作りチョコは好きですか?
前回のお話
エルフの一部に人間へのヘイトが溜まりつつあるらしいが……?
サブシア領で新しい作物が普及するまでの流れは次のようなものだ。
まず、ユキトが電子辞書に載っている作物からサブシアで普及させたい品種を選ぶ。きっかけとなるのは「あの料理食いたいから、この世界で再現してみるか。足りない食材は……」といった単純な動機であることが多いのだが、基本的にユキトの世界の料理はどれも美味しいと思われているため、誰からも文句が出ることはない。
その次のステップは作物の召喚だ。ユキトが選定した作物を実際にこの世界に顕現させるのは、フローラの役目である。フローラには、古事記にその名を遺すオオゲツヒメの加護が付与されており、この能力によって彼女は知識にある作物を生み出すことができるのだ。
ユキトが元の世界より持参した電子辞書。その中に格納されている百科事典には、よほど珍しい作物でない限りは写真も記載されている。フローラがその写真と説明を元に、対象とする作物を強くイメージすることで、品種改良が施された地球産の作物がこの世界に出現するのだ。
「この加護を付与した時は、古事記の記述に倣って作物が尻から出るんじゃないかと心配したんだけどな……」
「本当に、本当に良かったです……。
って言うか、ユキト様の世界にはホントにそんな伝説があるんでしょうか? そ、その……お、おし、お尻から……なんて」
「いやいやいや、そんな嘘言っても意味ないだろ。本当なんだって」
どうやらフローラは、いまだにその逸話を疑っているらしい。
さて、この段階では出現した作物は極僅か。一回の料理で使い切ってしまう程度の量である。当然、サブシア領内で作付けに回せる量には遠く及ばない。フローラに不眠不休で頑張ってもらうという手もあるが、ユキトとしては料理のためにブラックな職場にするつもりはない。
そこでアウリティアの出番だ。ユキトは忘れがちであるのだが、アウリティアはエルフの英雄であり、この世界有数の魔術の達人である。その彼が開発したという成長促進系の魔法を用いれば、種や種籾、苗といった初期状態から1週間から2週間程度で作物が収穫できてしまう。
「2か月もあれば、国中に回せる量が確保できるな」
「一応、すごい魔法なんだから、もっと感激しろよ。
というか、フローラさんにも基本的な成長促進魔法は教えてあるぞ。彼女、南大陸では世界樹を再生させたんだろ?」
「それはそうだが、フローラには作物を生み出してもらってるしな。それに魔法少女に変身しても、多くの作物をまとめて収穫に適した状態まで成長させるのは、難易度が高いらしい」
「確かに単にでかく成長させれば良いって話じゃないからな。しかも、農場全体を対象とした範囲魔法として使おうとすると結構難しいかもな。
ま、カレーをさらに美味しくするためだ。仕方ない。 てりゃ!」
そんなわけで、各種作物……特にカレーに用いるスパイスについては、アウリティアが特に念入りに増産してくれている。作物によっては、土壌や気候などの適性もあるはずだが、魔法で無理やりどうにかしているらしい。恐るべきカレーへの執念である。
一方、新しい技術については、その定着ルートが作物とは少し異なっている。まず基本的に新技術に目を付けるのはストレィだ。彼女は電子辞書を用いて、地球の技術の修得を進めており、興味がある技術についてはユキトに再現の許可をもらいに来る。
「ねぇん、ユキトくぅん。この技術なんだけどぉ」
「ぶっ!! 核反応じゃねぇか!!!」
彼女の提案の5割くらいはその場でユキト却下される。3割程度については試作のみが許され、サブシアに技術として広まるのは残りの2割程度だ。それでもお決まりの活版印刷や製紙技術、紡績技術、蒸気機関などのテクノロジーがサブシアに定着し、産業を活性化させていた。王国の他領からすれば、サブシア領は異世界のように見えるだろう。
ストレィの申請を吟味するユキトとしては、地球の技術がこの世界に及ぼす様々な影響を考慮して、開発の許可を判断しているつもりだ。特に銃などの兵器の開発については、一切進めるつもりはなかった。そもそも、ファウナが1人いれば、サブシアの兵士に銃を持たせて戦力の向上を図る必要など皆無である。
だが、開発の許認可に対して慎重な姿勢を維持するユキトに対して、ストレィは参考意見を付けるようになった。
「ねぇ、ユキトくぅん。この発電機についてだけどぉ」
「電気か。今のサブシアにはまだ早いだろ……電気が一般になると、便利になる反面――」
「クレアール様はぁ、いいんじゃないって言ってくれたけどぉ?」
「ぐぬぬ、クレアがOK出してんのか。分かった。まずは試作までだぞ?」
クレアが良いというのであれば、ユキトがこの世界への影響を心配しても仕方がない。なにしろ、相手はこの世界の最高責任者であるのだ。流石に銃などについてはクレアも首を縦に振らなかったようだが。
「まぁ、さすがに銃はね。戦争の在り方が大きく変わっちゃう。モンスターへの対抗手段になるという利点もあるけど、こればっかりは生まれる悲劇の方が大きいから」
「剣で人を殺すと、手に感覚が伝わってくるからな……」
ユキトも、その感触には未だに慣れることができない。いや、慣れるべきなのではないと思っている。もちろん、この世界には魔法があり、魔法で人を殺すことも可能だ。だが、それができるのは魔法職のみ。その点、銃は一般人でも引き金を引くだけで簡単に人を殺せる。
「というわけで、ガトリング砲はダメだ」
「はぁ~い」
以上が昨今の作物や技術のサブシアへの導入の流れである。
だが、今回サブシアに新たに取り入れられるのは、作物でも技術でもない。いや、強いて言えば作物なのだろうが、行事という方が正確であろう。
「バレンタインデーというのは、異世界の行事であり、女子が好きな男子にチョコを配るのだ」
アウリティアとの会話でバレンタインデーという単語を口にしたユキトが、ファウナに「なにそれ?」と尋ねられ、うっかり話してしまったのだ。ユキトの回答に対して、ファウナとフローラとストレィが興味を示す。
「チョコって何? 食べ物? どうやって作るの? ユキトも好きなの?」
「ユキト様、そのお料理は私にもできるものなのでしょうか?」
「へぇ、電子辞書によるとぉ、随分と手間がかかるお菓子みたいねぇ」
チョコレートを作るためには、カカオが必要だ。これはフローラの力があれば何とかなる。だが、そこからの完成までの工程はかなり難易度が高い。それでも、女性陣はチョコづくりに挑むようだ。
「皆さん、カカオを準備しました」
フローラの声にファウナ達の視線が集まる。奇妙なことに、その中にアウリティアも混じっていた。
「お前はエルフの王女という奥さんがいるだろうが」
「だからだ。妻も甘いものは好きだからな。逆チョコってやつだ。久々にプレゼントしてもいいだろ」
「ぐぬぅ。リア充め!」
「ハーレム状態のユキトに言われたくない」
どうやら、アウリティアもチョコ作りに参加するようだ。面倒くさがり屋ではなかったのだろうか。
「まずはぁ、しっかりとぉ洗ったカカオを炎でぇ焙煎するみたいねぇ」
「では、私にお任せを!」
カッ!!
「ちょっと、フローラ! カカオってのが消し炭になったじゃん!」
一気に騒々しくなった領主館のキッチンの様子を眺めながら、ユキトは引きつった笑いを浮かべるのだった。
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そんな騒々しいキッチンから少し離れた領主館の一室。キッチンの騒ぎが薄っすらと聞こえてくる。窓からは陽光が柔らかく差し込んでいた。
「あの男が、もうこの世界に入っている?」
「ああ。そのような気がする。勘だがな」
窓際の椅子にはメイド姿の人影。そのメイドの膝の上では、黒猫が撫でられていた。いや、正確には黒猫のような生物である。そして、もう片方はメイドのような神であった。
「結界は張っているけど……その可能性もあるかな」
クレアはかつての暇がその身に纏っていた禍々しいオーラを思い返していた。深淵を現世に引き込んだものと思しき彼の力は、この世界を滅ぼすに十分なものであったのは確かだ。だが、クレアールの眼力はその力が巨大な大海のほんの一滴に過ぎないことを見抜いていた。
「あいつが、あの時以上に深淵の力を引き出せるようになっていたら、私に感知されずにこの世界に侵入できそうね」
「その可能性は低くない。あの男は深淵に気に入られていたからな」
「深淵の申し子か……。
でも、シュレディンガーさんはどうして私たちにそんな情報を教えるの? 黙っていた方が彼と再会しやすいんじゃない?」
「前にも述べた通り、我はあの男の味方ではない。むしろ恨みがあるほどだ。我があの男と行動を共にしていたのは、あの男がどのような道を歩むのか興味があったからに過ぎぬ。
それに、女神クレアールやシジョウ卿には色々と世話になっているからな」
クレアの膝の上で、シュレディンガーが眼を細める。一見、黒猫が撫でられている普通の光景だ。ただ、シュレディンガーの体色は「完全な黒」であるため、クレアの膝上に猫型の穴が開いているようにも見えた。
ガチャ
その時、部屋の扉が開き、そこからフローラが姿を見せる。
「あら、フローラさん。チョコ作りはもう良いの?」
「聞こえてました? ええと、私の炎だと強すぎるみたいで……」
やはり、一兆度の加護を付与されているフローラの魔法でカカオの焙煎をするのは無理があったようだ。普通に薪を燃やせば良いのだが、想い人に贈るものならば、できるだけ自分の力を使って作りたくなるのが人間というものだろう。
「なるほどね。追い出されたと」
「追い出されてはおりません! 自主的な撤退です!」
フローラが頬を膨らませる。なお、現在のキッチンでは、ファウナがカカオごとすり鉢を粉砕して、涙目になっているところである。
「ところでクレアール様、さっき部屋の前で聞いてしまったのですが……」
フローラが一転して心配そうな表情を浮かべる。
「あの暇さんがこの世界に戻ってきている可能性があるのですか?」
「可能性はね」
「ですが、あの人が戻ってきているのだとしたら、すぐに手近な村や町を襲うのではないでしょうか。クレアール様は、大きな被害が出ればお気づきになるのでしょう? そのような被害がまだないということは……」
まだ、暇は戻ってきていないのではないか。フローラはそう予想を述べる。そんなフローラの言葉に、シュレディンガーが言葉を返した。
「いや、あの男は別に快楽殺人者というわけではない。何かしらの意図を持って行動する際には、潜伏して策を弄することもある。それなりに頭は回るぞ。あの男は価値観こそ破綻しているが、論理は破綻していない。相手に同情をしないだけで、相手の思考や気持ちを読むことにも長けている。重々、気を付けることだ」
その言葉にフローラの顔が曇る。
「……となると、油断はできませんね」
数秒の間、沈黙が場を支配した。皆が、暇のことを考えているのだろう。その沈黙を破ったものは、シュレディンガーだった。それは彼なりに気を使った発言だったのかもしれない。
「ところで、チョコレイトなるものを作っているのだと聞いた。我にもひとつ味見させてもらいたいものだな」
「でも、猫にチョコは……」
クレアールの言葉にシュレディンガーが「自分は猫ではない」と抗議する。その光景を見て、フローラはクスリと笑みを浮かべるのだった。
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